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「。」まで337文字のトカトントン

まず、話の便宜上、太宰治『トカトントン』の一部を引用する。
すこし長いが、ご勘弁を。

何の疑うところもなく堂々と所信を述べ、わが言に従えば必ずや汝自身ならびに汝の家庭、汝の村、汝の国、否全世界が救われるであろうと、大見得を切って、救われないのは汝らがわが言に従わないからだとうそぶき、そうして一人のおいらんに、振られて振られて振られとおして、やけになって公娼廃止を叫び、憤然として美男の同志を殴り、あばれて、うるさがられて、たまたま勲章をもらい、冲天の意気をもってわが家に駆け込み、かあちゃんこれだ、と得意満面、その勲章の小箱をそっとあけて女房に見せると、女房は冷たく、あら、勲五等じゃないの、せめて勲二等くらいでなくちゃねえ、と言い、亭主がっかり、などという何が何やらまるで半気違いのようなが、その政治運動だの社会運動だのに没頭しているものとばかり思い込んでいたのです。
【『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇』太宰治 文春文庫 p437-p438
  引用作『トカトントン』】


引用したのは太宰治『トカトントン』の一節。
というよりか、字義通りの一文である。

句点(。)まで337文字。読点(、)の数じつに25個

2ツイートでは収まりきらない分量だ。

引用中太字で示した「男」一語を修飾するのに297文字費やすという贅沢ぶりである。こんな長い修飾は見たことがない。

文は短く ―理科系の作文技術―

続いて、以下の文章を読んでいただきたい。

 仕事の文書の文は、短く、短くと心がけて書くべきである。
 ある人は平均50字が目標だという。本書の1行は26字だから、ほぼ2行、私も短く、短くと心がけてはいるが、とてもその域には達していない。
 私の考えでは、本質的な問題は文を頭から順々に読み下してそのまま理解できるかどうかであって、、すらすらと文意が通じるように書けてさえいれば、長さにはこだわらなくていい;ただ、長い文はとかく読みかえさないと判らないものになりがちだから、「短く、短く」という心得が強調されるのだと思う。
【『理科系の作文技術』 木下是雄 中公新書 p118】

理系に限らず、文章作法一般の、最大公約数的意見だと思う。
文章作法に関する書籍は多くあるが、「冗長に書け」と勧めているものはない。異口同音に「簡潔に書け」と主張している。

一文を60字以内、読点をなるべく少なく、というのが大方の意見だ。短い文章のほうが、すっきりとして読みやすい。頭に入りやすい。これは実務的文書だけでなく、小説にもあてはまるように思える。

名文家と称される作家の文章は、たしかに、一文が短い傾向にある。
森鴎外しかり、志賀直哉しかり。当代では山田詠美などはその代表だろう。試みに山田詠美の『間食』の冒頭を例示しておこう。

 死体の作り方なら、小さな頃から知っていたよ、と花は言う。昼寝をしている母親の顔に白い布巾をかけて遊んでいたのだそうだ。もうしない。若い頃の話だと、彼女は続けて笑いをこらえる。若い頃だって、と雄太は思う。まだ、はたちを越したばかりのくせに。白い布をかぶせただけじゃ死なないって解ってからは、無駄な抵抗は、もう止めた。それに、本当に死んじゃったら困るでしょ? 本当に死んでしまったら困る人。彼女の言葉に彼は頷く。それでも、時折、そういう人の死を誰もが願う。本当に死んじゃったら困る人。
【『風味絶佳』 山田詠美 文春文庫 p9 引用作『間食』】
 

冒頭の一段落で240字。
「。」と「?」、合わせて12個。240÷12=20。
つまり、一文あたり平均で20字だ。実に簡潔。

これと比べて、太宰の文章はなんだ。「男」一語修飾するのに297字もつっこんでいる。『間食』一段落よりも長いのだ。

冗長な文章は駄文か?

しかし、長い長いとはいうものの、太宰の337字の一文はすんなりと読みこなせてしまう。頭に入ってくる。読むのが苦にならない。

これはなぜか。
 
たぶん、リズムが良いからだろう。引用した『トカトントン』の文章を丁寧に読むと、以下のことに気がつく。

〇小気味よく同じ言葉を連発している
「汝自身ならびに汝の家庭、汝の村、汝の国」の「汝」
「振られて振られて振られとおして」の「振られて」

〇文末の母音を重ねている

「やけになって公娼廃止を叫、憤然として美男の同志を殴、」= イ音
「あばれ、うるさがられ、」= エ音
「たまたま勲章をもら、冲天の意気をもってわが家に駆け込」= イ音

こうしてみると、長いから駄目、短いから良い、などとは一概には言えないだろう。論旨が通っていれば、一文が長くなっても問題ないのだ。

しかしだからといって、なにか文章を書くときに、思い上がって太宰や谷崎のように、息の長い文章を書こうとは思わない。

長く伸ばしてそれでいてするする読ませる、というのは、玄人にしてなせる業だ。

自分のごとき素人は、なるべく読みやすく、つまり「短く、短くと心がけて書くべき」なのだろう。

以上。

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