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熊本生まれ産地直送のアク強め 不器用で理屈っぽくて生きてくの大変💨 周りの素晴らしい方…

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熊本生まれ産地直送のアク強め 不器用で理屈っぽくて生きてくの大変💨 周りの素晴らしい方々に支えてもらって、 感謝の恩返しをするべく、 日々、精進中です! マイペースによしなしごとを綴っていけたらいいなと。

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「自己紹介」

熊本生まれ熊本育ち。 妙齢ですが、年齢はただのナンバーと恭子さんが言っていたので、気にしないフリをしているアラフォーです。 特にネガティブって訳でも無いんですが、幼少期から何かと心配性です。 心配する一番の理由は、「良くないケースに対処するための案を予め準備しておくため」と、 ここ10年くらいで自覚しました。 心配が過ぎて、臆病になり、チャレンジしないまま後悔するようなこともあったので、 今はあまり怖がらずに「アクシデントも思い出じゃん」くらいの気持ちで生きる毎日です。

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「自己紹介」

    頭痛のたね

    頭痛持ちの私は頭痛薬が手放せなくて、 あらゆる配合のお薬を試して、やっと見つけたお気に入りのお薬があります。 それを飲めば必ず効くし、しかも割とお手頃価格。 売ってある場所は限られたお店だけど、幸いお店もそう遠くはない。 家の在庫が無くなりそうになったら、2箱は必ず買って、1箱は緊急持出袋の中の薬と交換。 1箱は予備としてストックしておきます。 でも多い時は週4日1日3回飲むこともあったりして、体調が悪いと買い物に出るのも考えられなくなっちゃうから、ストックを切らしてし

    頭痛のたね

    色んなカテゴリに属する私だけど、 たまにそのカテゴリ全部から抜け出して、 羽を伸ばしたい時がある。 けど、そのカテゴリに属する有難みを 理解しているから、広げかけた羽をそっと閉じます。

    色んなカテゴリに属する私だけど、 たまにそのカテゴリ全部から抜け出して、 羽を伸ばしたい時がある。 けど、そのカテゴリに属する有難みを 理解しているから、広げかけた羽をそっと閉じます。

    象の背中

    ”象の背中”という映画 象は自分の死期が迫ると、そっと群れから外れて一人で死に場所を探しに行くんだそうです。 もしかしたら明日死ぬかもしれないのに、50年後の老後が心配。 きっと私も両親のように病気をして早く死ぬに違いないと確信しているのに、老人福祉施設の利用料の心配をしています(笑) 今日も元気です。

    象の背中

    やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

    やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

    みんなが誰かのサンタさん

    もうクリスマスがすぐそこまで来ています! 少し早いですが、私は昨日嬉しいプレゼントをもらいました☆ 我が家では例年、11月15日までにサンタさんへプレゼントリクエストのお手紙を書くとプレゼントが届くというシステムになっています。 クリスマス当日の子供たちはとても早起きで、ツリーの下へ集合したら、ご飯も後回しでプレゼントに大騒ぎしています。 幼少期、私の所にもサンタさんが来てくれていました。 我が家に来るサンタさんはプレゼントを必ず床の間に置いていました(笑) 小学5年生の

    みんなが誰かのサンタさん

    良い意味で「どこも同じ」

    転勤族なので、色々な地域を転々とします。 初めての引越しの時は緊張と不安で、泣く泣く熊本を離れました。 引越しから半年くらいは、観光気分であちらこちら遊びに行きますが、そんなに遊んでばかりもいられないので、当然「日常」がやってきます。 土地勘がないのでGoogleマップ片手にスーパー、病院、本屋さん、モール…と色んな所へ足を伸ばして少しずつ範囲を広げました。 少し落ち着いてきたかなと思うころに、ちらほらお友達が出来たりして、慣れた頃に次の辞令が出るわけですが(笑)

    良い意味で「どこも同じ」

    「込み上げるもの」

    2人の子供がいます。 2人が誕生した日から、 私のただひとつの願いは、この子たちの「安泰」になりました。 母となった私の世界は、 2人の安泰なしには、どのような成功も幸せに結びつきません。 仮にどんな過酷な状況へ追い込まれたとしても、願いはひとつだけです。 日々の営みがある以上、問題は様々な面で発生します。 健康面での不安、仕事の悩み、人間関係やお金。 でも、どんな問題も子供の安泰と比較する事になれば容易いものになります。 子供の安泰と言っても、欲張る気はありません。

    「込み上げるもの」

    「ちょっと悲しい話かもしれない」

    そういう運命なのか、若いうちに身近な人と永遠のお別れをする機会が多くありました。 故人それぞれの生きてきた道のりを見て思うのは、 産まれて、 どんな道を選んで、 どんな風に終えるか。 それだけなんですよね。 本意か不本意かいずれにしても道を選択して、 そこに結果が伴う。 その道のりで希望があったり、挫折があったり、 出会いがあり、別れがある。 四角から丸になって、たまにへこんだり削られたりして。 嫌な過去は忘れてしまいたいし、無かった事にしたいものもあるけど、もし

    「ちょっと悲しい話かもしれない」

    「バタフライしなくて済む方法」

    学生時代、水着を着てプールサイドに立っていると「バタフライ上手そう」と言われました。 実は金づちです。 クロールは出来る?けれど息継ぎが出来ないという致命傷がありました。 他の泳法などもってのほかです。 実は泳げない…とバレるのが怖くて25メートルを息継ぎなしで泳げるという偉業を成し遂げ、 こちらは命懸けなので当然1位です。 息が出来ないのですから、最初の一息でゴールしなくてはいけません。 しかも、他人は息継ぎをしていない私の事など見ていませんから、1位になった私は「

    「バタフライしなくて済む方法」

    「テイク2を繰り返す勇気」

    負の感情は誰だって、出来るだけ持ちたくない。 持たずに生きられればどんなに楽か。 でも持って初めて得ることの出来る感覚もある。 不安に押しつぶされそうなシーンで 「失敗したらどうしよう」 「間違えて恥ずかしい思いをするかも」 こう感じる時に「自分は緊張している」 と受容することで、練習や訓練を重ねた日々が浮かぶ。 練習や訓練を重ねた自分の姿が自信に繋がる。 そもそも失敗を恐れる気持ちは子供の時からの刷り込みで身につく。 「点数が悪くて怒られた」 「落ち着きがないと通知

    「テイク2を繰り返す勇気」

    「足りないもの」

    多くの人が「自分に足りないもの」「自分の欠点を補う」という、ある意味の完璧主義に終始しがちでは? 私自身も心のどこかで完璧に憧れがある。 仕事でミスをすると「ダメな自分」のレッテルを自らヒラヒラとプットしている。 完璧に仕事をこなせば完璧な人間というものでもないはず。 無意識のうちに完璧に執着する結果、心がボロボロに…という流れも少なくない。 仮に完璧だとしても、環境に左右される「完璧」だとすれば、それは完璧ではない。 人は満点でなくても良い。 失敗をしてもいいし、

    「足りないもの」

    楽しんでみて

    「スキ」を続けるのは案外大変 人も物も、状態はずっと同じではなくて、 変わり続けているから。 変化すら愛おしいと思えることはわずか。 嫌になるのはなんでだろう? それは、相手ではなくて、自分が変わったから。 悪いことではありませんよ、 許容範囲が広がることもあるし、 妥協出来るようになる。 苦手だったものも、それが味だと思えてくる。 もちろん、スキだったものが、少し窮屈になることも。 ずっと同じであることなんてこの世には無いんだと。 だったら変化を受け入れて、楽し

    楽しんでみて