「美しくない日本語」で書いちゃうことにした。ダメ?
こんにちは!noteを始めて約2週間の、朝瀬あきです!
noterのみなさん、noteを書くとき、
「日本語の正しさ」って、気にしていますか?
私は、かなり気になってしまうタイプです。
元々、編集・校正系の仕事をしていたことがあったので、「Webメディアで書くときは、正しい日本語であるべきもの」という気持ちが強いんですよね。
でも、noteを書き始めて、気がついたんです。
美しい日本語じゃなくて、良くない?
って。
そう思った理由は2つ。
1. 書く時間を短縮するため
私が、書く時間を削減するためです。
やっぱり、「正しい日本語・綺麗な日本語を書かねば!」と思うと、より長い時間がかかってしまうんですよね。
(経験のあるnoterさん、いらっしゃるでしょうか?)
「noteを継続していきたい」と思った時に、どうしても「書く時間を確保できない」という悩みが出てきてしまい。
であれば、「文章の正しさ」は一定諦めるべきなのかもしれない、と思ったんです。
2. 内容を、より伝えるため
つまり、読み手のかたが、読みやすさ・親しみやすさを感じられるようにするためです。
結果、内容を、より理解したり・共感したりしてもらえることに繋がるかなと思っています。
例えば、
「本日、寝坊してしまったのです」
って書いてあるより、
「今日、寝坊しちゃったんだよね」
って書かれている方が、なんだか親しみが持てませんか?
noteを始めてから、色々なnoterさんの投稿を読みました。
そのなかでは、「あ、私このnoterさんの文章好きだな」と思ったことも。
そんなときって大抵、「くだけた、話し言葉のような文面」だったんです。
だからきっと、
という印象が生まれて、その結果、親しみが湧いて、その人の文章をもっと読みたくなったんだと思うんです。
巷でもよく言いますよね。
って。
そう思い当たったとき、「美しい日本語」が、必ずしも正解ではないのかも、と思えるようになりました。
あくまで、「伝えたいこと」が目的。文章は、手段。
もちろん、綺麗な日本語で書かれている文章や、それを体現されている方を否定する気は全くなくて。
むしろ、そうしたところまで気配りができて、信念があって、日本語の知識があって、それを実行できる誠実さがあって。
とても素敵だなと、尊敬しています。
(それに、日本語を正しく守っていくことも、大切ですよね。)
でも、私にとっては、読んでくれる人に、親近感を持ってもらいたい。
「あ、なんかこの人本音で喋ってるんだな、なら、ちょっと話を聞いてみる価値ありそう」って思ってもらいたい。
そして、そんな文章を、継続的に書いていきたい。
だから、「日本語の正しさ」は、しばらく少し忘れてみようと思います。
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(さいごに)
繰り返しにはなりますが、「正しい日本語」は、とっても大切だと思っています。
でも、この時代のSNS、
・いち個人として使う分には、もっと自由で良いはずだし、
・私のnoteの影響範囲なんて、とーっても限られているのかな、
と思います。
願わくば、私のnoteが成長して、「やっぱり、正しい日本語で書いた方が良いかな?」という悩みが生じますように!笑
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