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異常気象と“女子力”とジェンダー規範

秋の三連休は異常気象かのような暑さ。
都内でも、夏の暑さとは異なるとはいえ、日中は夏物で外出する人が目立ち、ふつうに11月の秋物を着ていたら汗がひたたる陽気でしたね。

とっくに衣替えが終わってこれから冬に向かおうという時期ですから、あまりに異常気象がつづくと、アパレル業界が困るだけでなく、農産物の先行きも心配されますが、絶好の行楽日和に薄着で太陽の光を浴びられるのは、ある意味、おてんとさまからのプレゼントかもしれません。

街中では、いつも以上にさまざまな服装をした人が行き交いますが、ファッションは先取りが基本とはいえ、やはり明るい色彩、軽快な素材感、適度な肌魅せは、見る人を艶やかで活動的な印象を与えるだけでなく、着ている本人もエンパワーされるものがあると思います。

このような感性をいい換えるならば、ある種の“女子力”とでもいえるのではないでしょうか。

ファッションを楽しむのは必ずしも女性とはかぎりませんが、たしかに男性のファッションはアイテムの幅がせまいし、気象条件によってファッションを楽しむという発想はあまりないのかもしれません。



この点、レディースファッションは秀逸です。

ただ暑さ、寒さに対応するだけでなく、微妙な季節感の進化や揺れ戻りにあたって、適度にアイテムを加えたり、変化させたり、用い方を変えることで、本人の感性やその日の気分も交える中で、まさに一期一会の自分を演出することができるのです。

ただファッションとしての意味や意義があるだけでなく、豊かな気象変動がおそう日本で生活するうえでの、機能面もまたすぐれているといえます。

純粋に暑さ、寒さや湿度、風速、降雨といった点を考えても、バリエーション高く弾力的に対応できるのは、スーツやTシャツ、ジャージくらいしかないメンズものよりも、はるかにレディースものに軍配があがると思います。



だれしも異常気象はカラダにこたえるものですが、そんな中にも、レディースファッションは気象変動への対応を通じて、ファッションを楽しむ余地が十分にそなわっているのです。

わざわざその日のファッションを考える暇がないとか、そんなことを考えるのはそもそも無駄ではないかという考え方もありますが、ものごとのとらえ方は人それぞれとはいえ、ひとまず前向きにとらえ表現を楽しむ余地があることは、素晴らしいことだと思います。

ひるがえって男性は、「男たるものファッションなんて・・・」という発想は今では薄らいでいるにせよ、やはり女性ほどファッションの幅がなく、表現への意欲も弱いといえるでしょう。

大切なのは、このような多くの男性たちの発想は、生物学的に男性であることからもたらされる特質というよりは、社会的・文化的な習慣として事実上、押し付けられてきているということです。



人間の人生においては、メンタル、心の持ちようがとても大事です。同じ出来事、同じ現象でも、受け止め方や価値観しだいで、その後の展開は大きく変わります。

極端な例をいうなら、人間が病気にかかって死亡するリスクは、その病死じたいの状況、深刻さに左右されるのはもちろんですが、場合によってはそれ以上にメンタルのありようが致命的に大事だといいます。

ただ仕事のことしか考えない人生の景色においては、暑さ、寒さは不快感以外の意味はなく、とにかく感情、感性を押し殺して目の前の仕事に集中せよ、というのが古典的な男性のあり方ですが、これではストレスがたまりまくるか、そもそもストレスじたいの感覚が麻痺するかに陥ります。

その点、従来はあまり前向きに評価されてこなかった女性の感性の幅や表現の豊かさの意義は、固定観念のカバーする視野をこえて、ものすごいポテンシャルを秘めているのかもしれませんね。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。