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「難しい」「わからない」は大事か?【教養主義のリハビリテーション】【ブックレビュー】
なぜ読んだ?
小林康夫・山本泰編『教養のためのブックガイド』を読んだことをきっかけとして、「教養」とは何なのかを考えるようになった。
そのような心理状態で図書館をさまよい、この本を発見した。教養の歴史および未来について知見が得られそうだと感じたため、読むことにした。
基本情報
タイトル:教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)
著者:大澤聡
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感想総論
教養について、読書について、大学について、教養主義の歴史について、メディアについて、現代の「知」についてなど、様々な方面に対して示唆に富む本。
印象に残った点(一部)
第1章 【現代編】 「現場的教養」の時代……鷲田清一×大澤 聡
新書の氾濫が論じられていた。
鷲田「読者が自分のものの見方をごそっと入れ替える、あるいはゆさぶる、そんな本を求めているのかというと、ちょっと「?」がつく」
「いまの読者は自分が日々漠然と感じたり考えたりしていることを確かめるために本を手にしているふしがある」
大澤「なんとか食らいついて理解したいなんて読書スタイルは消滅しつつある。それは「教養主義の崩壊」とそのままイコールです」
第2章 【歴史編】 日本型教養主義の来歴……竹内洋×大澤 聡
昔の大学のゆるさが羨ましい…
竹内「私が大学院生だった時代はずいぶん大学にも余裕があって、さほど論文を書かなくても何もいわれなかった」
竹内「博士論文なんて書かなくてもまったく問題にならなかった。いや、むしろ書くべきではなかった」
大澤「場に応じて「見た目」や入角度を変える必要があるんだけど、その時に切れるカードが減ってきているということでしょう」
大澤「なにか書きたいという欲望だけが先走っている。自己実現の欲望だけが肥大化しているという意味では、社会のカラオケ化はまだつづいている」
大澤「わかりやすい新書をかけるかどうかが指標になるわけですね。いかにもマーケティング・ビジネス化した大学ですね」
書きたい欲望だけが先走っている話は、宇野常寛『遅いインターネット』における主張と似ている。
第3章 【制度編】 大学と新しい教養……吉見俊哉×大澤 聡
文系学問の意義の話。
例…電車の最適化。
理系学問は「電車の速度を上げるにはどうすればよい?」という問いには答えられる。しかし「どういう電車がよい電車か?」には答えられない
→理系学問のみでは今の価値観の外側に出られない。
第4章 【対話のあとで】 全体性への想像力について……大澤 聡
「いまは、「知っている」ことへのリスペクトが急速に低下している時代」
「「知識より意見を」とか、「理論よりも実践を」とか、あの手の物言いには一理あります。(中略)今となっては不勉強や怠慢の言い訳として便利に使われているにすぎない」
「たいていは歴史上のあまりに凡庸なパターンにはまっていて、議論を無邪気に巻き戻してしまう」
「先人たちが時間と労力と資金をかけて導き出した解や失敗をきっちり補助線として導入する」
「「知っている」は課題解決や議論の前進のためにどんどん「使う」」
「そこに至る思考のプロセスじたいも知っておく。それは読書によってしか知りえないことです」
「知識を欠いた薄っぺらな意見発信ばかりになってしまった」
以下は、「どうせみんなすぐ忘れるんだから、大学の授業を受けても、本を読んでも、意味なんてないよ」に対抗する論として非常に重要な文章だと思った。授業を受ければ、一つ一つの細かいトピックは完全に理解できなくとも、分野全体の地図が頭に入る。これは実感としてある。
Google効果(Googleで検索した物事はすぐ忘れてしまう)にも関連してそう?
「知識や情報はいちどはこの「身体」を通過させないと使いものにならないんじゃないでしょうか」
「くわしくは知らなくても、関連ワードやジャンルの見取り図ぐらいは頭に入っている。だから推測できる。「あたりをつける」こともできない人間が、「調べればわかる」といってしまう。滑稽でしょう」
読後に考えたこと:アンケートに左右されるべきでないモノもある
アンケートの「面白かった・つまらなかった」や「わかりやすかった・難しかった」に左右されてはいけないモノもよくあると思う。
例として、大学教育で「つまらない、難しい」という意見があるからといって、理学部工学部でやる数学を簡略化したり授業量を減らしたりとか、文系において論文を読む授業を減らしたり読むものを簡単なものにするとかは、慎重に判断すべき。極端に言うならば、九九は覚えるだけでつまらないからやらないとか、九九のうち七の段は難しいからやらないとか、そんなことになりうる危険性がある。長い目で見ればやっててよかった・やるべきだったとなるのではないか。
また関連して、評価を高めるためだけに、コンセプトに反したり関係なかったりことをするのは避けた方が良いし、コンセプトを達成することを怠ってはならない。前者としては、その方が客が喜ぶからと言って、企業理念に反したことをするなど。個人的にはまだしも団体全体としては避けるべき。後者としては、大学の〇〇学部なら当然これをやるし知っているべきである内容を、人気がないので授業でやらないなど。
関連する例
NHKの「欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント」でやっていた内容
データではなく質的な現実も考えようというの。
「世界を技術的な目で見る人には周りの物全てが最適可能な資源として見える」という言葉は非常に印象的
『The tyranny of metrics 測りすぎ
なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』も関連しそう。
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最後まで読んでいただきありがとうございます!
この本以外に読んだ本の一覧はこちら↓
https://note.com/aki_2022/n/nfdb10f5f9395
他の本のブックレビューはこちら↓
https://note.com/aki_2022/m/m22b583d2df3f
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