雰囲気症候群?

この前、小学3年生たちと「意見」について勉強した。

ずっと勉強してきたかこさとしの『みずとはなんじゃ』を下敷きに、みんなで『漢字とはなんじゃ』を書こう、という企画。

https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=120253

『みずとはなんじゃ』のラストは、水の性質の説明を尽くした後、かこさとしさんの「水を大事にしよう」という意見で締め括りになっている。
『漢字とはなんじゃ』も、そろそろ一段落。そこで、みんなも、漢字の勉強に対して自分の「意見」を述べてみよう、と。

そこで、まずは「意見」を辞書で引く。すると「ある問題に対する自分の考え」と出てくる。
これは、発言が意見として成立しているには
①ある問題に対する内容になっていて
②自分の考えである
という二つの条件を満たしていないと、ということだなと。

そのことを説明してから、意見を述べる練習として、生徒と以下のやり取り。

A「お腹すいたな」
B「ねぇ、公園行かない?」

という例文を提示して、Bちゃんの言うことは意見かな?と聞くと、Aちゃんと関係ないこと言ってるから意見じゃない!ただ言いたいこと勝手に言ってるだけ!とみんな。
では

A「お腹すいたな」
C「えー、でもしょうがないじゃん」

Cちゃんの発言は意見かな?と聞くと、黙るみんな。
しばらくしてからある子が
「意見じゃない」
「どうして?」
「のばしぼう(ー)がついてて、意見っぽくないから」

この発言には、小学生を教える時の、教える側にとっての大事な問題が含まれているぞ!と食いつく自分の心。
普段、色々な場面で、教える側自身、教える内容の理解が曖昧なせいで「これは、こんな感じ」と雰囲気で教えてしまっていないか、という事。
子ども達は、そこから、雰囲気でものごとを捉える習慣がついてしまっていないか、と。判断基準が「〜っぽいか、ぽくないか」。

Cの台詞に対して、みんなどうして黙ってしまったのか?多分、「お腹すいたな」という問題に対応した内容(空腹を我慢するより他に方法がない)だけど、言い方の雰囲気が、自分がこれまで意見と思ってきたものと違うから、だったのでは。Bの台詞の方は、雰囲気からして意見っぽくなかったから「意見じゃない」って即答できたけれど。

このままだと、Bの「ねぇ、公園行かない?」も「公園に行けばいいと思います。」と意見っぽい雰囲気の文体なら、意見になってると感じてスルーしてしまうかもしれない。
発言した子はたまたま、自分のそういう「ぽさ」で判断する考えを、言葉で上手に説明できた。でも、他の黙っていた子たちも、似たようなことを感じている子が多かったのでは。

・整った言い方(大抵の説明的文章はそう)を読んだ時、議論の噛み合わせのポイントに気付けない
・自分の意見が問題と噛み合ってなくても、言い方を整えて、これで大丈夫と感じてしまう
・よくある言い方以外の、意見の展開ができない

これは、高学年を教えていると頻繁に出会う場面。

この、ものごとを分節して考える事ができない、「それっぽい感じ」かどうかで正誤を判断してしまう、「雰囲気症候群」とでも言いたい子ども達のこの状況。かなり、裾野も広くて根も深いのでは。

頑張って、分けて考えること教えなきゃ。

この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

32,933件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?