「それは」をめぐる冒険 〜文章読解における文法の使い勝手〜

今回、高学年の長文読解術について書いてみました(エッセイ風にするつもりが、研究授業のレポートみたいになってしまった…)。結構、踏み込んだ内容です。ご高覧いただけたら。

1)児童文学の古典をテキストに

5年生と、エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』読解にずっとに取り組んでいる。児童文学の古典的名作であり、文体(個人的に子どもの頃から親しんだ高橋健二訳を選択)も構成も洒落ていて、今読んでもとても垢抜けた印象だ。ジェンダー観やルッキズム、ステレオ・タイプなど、結構問題点も多いのだが、そういう時代性に言及さえすればやはり素晴らしい。なんといっても各章に付いている「第○の反省は 〜について述べます」という考察が、物語文と説明的文章の橋渡しとして手頃で、塾の先生としては実に助かる教材だ。子ども達を、モノを考える人間に育てなければ…という100年近く前の著者の志に、現代の教育が支えられている。

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b254636.html

昨日の授業で取り組んだのは「第五の反省は 好奇心について述べます」(写真参照)

自分は子どもの頃これを読んで「確かに、物語の先をチラ見するのは悪い事だ」としみじみ思い、以来どんなに気になっても出来ずにいる。結構苦しい(笑)。
本章は、物語が佳境へ向かって一段加速する章である。まさに、先がどうなるかチラッと見てみたくなる瞬間だ。そこに、こういう考察を挟んでくる著者一流のやり方は心憎いばかりだ。

2)読解における文法の使い勝手

さて、5年生ともなると、中学入試問題レベルに取り組めるようになる事を、勉強の目的にする。
それは要するに、社説や新書など大人向けの文章を読み取れるようになる、ということだ。しかも、「自分にとって、分かり易い部分だけをつまみ喰い」みたいな読み方ではなく、「しっかりと本文に即して」読む事が要求される。
しかし、いきなり社説・新書はやはり苦しい。その中間点としても本書は手頃で、平易な語彙で、なかなか難しく奥深いことを語っている。
今回は、2段落目以降のクリスマスの贈り物の比喩は、1段落目の実際の読書法に置き換えて説明するとどうなるか?と問いかけた。
そうすると、みな、自分にとって分かり易い部分だけを取り上げて、書きやすいように書いてしまい、なかなか「漏れなく」と行かない。
(↓小5の子のノート。この子は、結構書けている方だった。)

自分はいつも、そもそも「漏れなく読む」とはどういう読み方かを、文法を用いて説明している。
今回の鍵は、第2段落冒頭の主語「それは」。具体的な語ではなく指示語が主語、いわば「空白の主語」。前段と後段をリンクさせる、本文読解にとっては文字通り「キーワード」だ。

ところで、日本語の主語は、例えば「が」は格助詞だが「は」「も」は副助詞ではないか、とか、「本が読みたい」など目的語に「が」を適用している、とか、「結局、未だに正確には定義されていないのでは?」という疑問がつきまとう。

自分が教える時採用している主語の捉え方は、こうだ。
①主語は、「が・は・も」が付いている語である。ただし、「は」と「も」は、他の連用格助詞「に」や「で」などと併用(〜には、〜では、〜にも、〜でも、など)されていないこと。(併用されている場合こそが、副助詞としての通常の用法であろう。)
②主語は、話題として特に取り上げる、という用途である。たとえ意味内容の面で目的語であっても、それを今の話題として、そこに焦点を当てていることに変わりはない。
③「が・は・も」の直後からを述部とみなし、どこまでが、その提示された話題に対する説明なのかを読み取る。
④まず、見つけた主語のイメージ映像を頭に浮かべ、次いで、述部の説明に従ってそのイメージを変容させる。これで、内容理解完了。
この方法が、小学1年生から公立高校受験のレベルまで非常に有効であることを、経験的に発見してきた。

さて、ここからが今回の「冒険」である。小学生にとって、極めて「非日常的」な、読み取りの世界。まるで古びてかすれかけた地図を辿るように、慎重に、確認しながら進む。
第2段落、冒頭の1文の主語は「それは」である。「それ」を話題として取り上げるということで、とりあえず、暫定的に話題の内容は「空白」にしておく。話題となるべき何かが、とりあえず存在するぞ、と。

先に、述部を確認してみよう。
「は」の直後は、「つまり」。辞書を引くと「言い換えると、結局」とある。この「つまり」は、「それは」直後にある以上、「それは」に対して効いていて、空白の主語が表すべき内容は、この「つまり」以下によって言い換えられると、確定できる。

では、「つまり」以下の内容は?ここは、比較的具体的で掴みやすく、サッと確認できた。
①クリスマスの二週間も前に
②どんな贈り物がもらえるか知ろうとして
③お母さんの戸だなの中を
④かきまわして見るようなものです。
この場合①〜③は全て④に係るので、①〜④でひとまとまりの内容と見て問題ない。

これで、
・「それは」の「それ」が表す内容に対して、その説明(述部)として「クリスマス二週間前にお母さんの棚をかきまわす行為」が比喩として挙げられ、
・「つまり」によって「それ」の指し示す内容とこのかきまわす行為の比喩とが、意味の上で等価で、置き換えてよいものであるということが、
・誰の目から見ても確かに間違いないと、確認できた。

ここまで整理した上で、改めて「それ」という指示語の指す内容を前段から確認する。「空白の主語」の空白を埋める作業だ。これは前回授業でやってあったので、「作者のお母さんが、小説を読む時、いつも先に結末を確認してから通して読むこと」とスムーズに把握できた。
これで、第1段落と第2段落1文目の関係が確定。2文目以降は、比喩のレベルで、提示された問題が敷衍されて行くので、後はひとつずつ丁寧に潰して行けばいい。

ここまで来て、やっと初めて、当初掲げた問題「後半のクリスマスの贈り物の比喩は、前半の実際の読書態度に置き換えるとどうなるか?」という問いに「漏れなく答える」態勢が調ったのである。
ちなみに、私の解答はというと、写真の通り(オンラインとオフライン半々の授業でした)。

3)授業を振り返って

この取り組みの当初、生徒たちは
①「それ」という指事語が指している内容の話と、「それは」に対する述部の話と、今どちらの話をしているかの区別すらついていなかった。
②また、「つまり」という接続詞は、すっかり無視していた(クリスマスとかお母さんとか贈り物とか、実体のある言葉ではないので)。
ーー要するに、自分にとって感覚的に、分かり易いところだけを、勝手に拾い読みする状態だったのだ。
それは、日常生活でおしゃべりしているのと同じ、緩い意識のレベルである。しかし、その意識で入試問題に取り組むと、「偶にマルが取れる」レベルになってしまう。
手間で時間もかかるけれど、大体4,5年生くらいの時期に、こんな風に文法的に解体して、文章を読み進める際のルールを、じっくり身につけさせる。
当然、これを身につけきるまでの間は、なかなか成績が伸びない。
しかし、この段階を辛抱して通り過ぎると、ある時、爆発的に、何を読んでも意味が解るという状況がやってくる。
そういう経験を、毎年している。

こうした文法的な確認は大人の自分にとっても面白い。「それは」という主語が、何故、接続詞的に機能するのか?それは前段内容に対する指事語であることと主語であることの二重性のおかげであり、「それ」という言葉自体の空白性が、その役割を担っている。根拠があるんだなぁ、と思う。
また、偶々、最近、大学入試の小論文を塾の卒業生に教えることになり、改めて野矢茂樹の『新版 論理トレーニング』を解き直していたら、こんな記述に出会った。

「(前略)接続関係に注意しながら議論を読むトレーニングをしよう。ポイントは速く読むことにはない。むしろまったく逆で、いかにゆっくり読むかである。実際、急ぎ足で読み飛ばすよりも、何気ないところにも注意しながら立ち止まることの方が、「読む脚力」は要求される。なぜこの言葉がここで使われているのか、この箇所とこの箇所はどういう関係にあるのか。そうしたことを、きっちり考えていく。それはふだんの読書とはまったく違う作業となるだろう。」

https://honto.jp/netstore/pd-book_02731780.html

この記述に出会い、「扱っている文章は子ども向けのものだけれど、やっている方法は本寸法だったのか!」と、少々(かなり)誇らしい気持ちになった。

これを小5的に捉えると、どうなるか。先述した解説を聞いた後、生徒は「なんか算数の問題解くみたい!」と言った。確かに算数の方が、そもそも最初から、技巧的な取り組みを要求する科目だ。自分の自然な感覚ではなく、理詰めで確認して進むことを、そう表現したのだろう。
何年か前に、1年生の算数の得意な子が「算数にはスキマがない!」と言ったのが、心に残っている。それが思い出された。国語だって、スキマなくやれるしやるべきなのだ、と、いつも思う。

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