【短編】 セルフカットがおすすめ
私の髪の毛は、この九十年で十メートル以上の長さになっていた。
髪を切ってくれる店へ最後に行ったのは九十年前の十五歳の頃だし、その店はきっともう無いだろうと思っていた。
「中華飯店の娘娘です。出前のご注文ですか?」
「あの、髪を切って欲しいのですけど、中華飯店なら無理ですよね……」
「いえ、うちの店長は九十年前にカリスマ美容師だったみたいで、髪を切って欲しい人が電話してくるかもしれないと接客マニュアルに書いてあって、その」
電話の向こうにいる店員は、興奮気味にそう話す。
「そんな電話が掛ってくるわけないだろうと従業員の誰も本気にしていませんでしたが……。はあ、はあ」
「落ち着いて下さい。私はただ髪を切りたいだけで、これは間違い電話で」
「今、店長を呼んできますので……」
店員がそう言うと、受話器からイングランド民謡のグリーンスリーブスの寂しげな電子音が流れてきて、私は草原にぽつんと立っている枯れ木になった自分を想像した。
「おう、俺に髪を切って欲しいのはお前か?」
「いえ、そんな大層なことではなくて……、私は九十年も髪を切っていないので、どうしたらいいかと思っただけで、自分でハサミで切ることもできますから」
「おうおう、お前の髪を九十年前に切ったのは俺だぜ。ちゃんと日記に書いてあるんだ。髪を切ったあと、少女のお前が、少しはにかんだ顔をしたことがね」
私は、昔少女だったことも忘れていたし、誰かにはにかんだことも覚えていない。
「今からそっちへ行くからな。逃げるなよ」
私は店長が来るのが怖くて逃げたかったけれど、何十年も体をまとも動かしていなかったから脚が動かない。
「おうおうおう、お前の髪を切りにきたぜ」
「嫌です! 警察に通報しますよ!」
十分後に、店長から手渡された鏡を覗くと、私は、髪が短かった頃の少女の姿に戻っていた。
「俺には、もう思い残すことはない」
そう言って店長は、微笑みながら死んでいった。
私は、なぜか殺人犯として罪に問われて有罪となり、九十年間の懲役刑を受けたあと解放された。
街をとぼとぼ歩いていたら、中華飯店の娘娘があった。
店のアルバイト募集の張り紙を見つけ、ダメもとで応募してみたら採用された。
その後、私はお店の看板娘になって、百九十五歳の時空を超えた少女としてメディアにも注目され、挙句の果てにアイドルデビューまでさせられた。
やっぱり、髪は自分で切るべきだったなあと。
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