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創作文芸

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#創作文芸

四倍速のしあわせを

四倍速のしあわせを

夕飯はなにがいいかと尋ねたら、シチューがいいなと返ってきた。彼のいうシチューは具がごろごろと入ったホワイトシチューで、大きなボウルにたっぷりとよそって、それだけを黙々と何杯も食べる。
「ごはんとか、パンとか、いらないの」と聞くと、「だって、シチューって小麦粉だし」と彼はいう。変わらない答えに胸がちくちくと痛んだ。

彼とは、かつて住んでいた部屋のすぐそばのコンビニエンスストアで知り合った。再会した

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きみの嫌いなもの

きみの嫌いなもの

カサカサと紙袋を開いて、紙のカップに入ったコーラを取り出す。時間が経ってしまったからだろう、紙カップは少しふやけてやわらかくなっている。ストローを挿して、氷が溶けて薄まってしまったコーラをひと息で飲み干し、ため息をついた。

ハンバーガーを買ったのは、久しぶりだった。

「ああいうファストフードって、嫌いなんだよね」

深夜、煌々と光るハンバーガーショップのネオンライトを見て、運転をしていた彼がつ

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夏の夜の夢

夏の夜の夢

毎晩のように、好きだったひとの夢をみる。

湾岸道路を、少し離れて並んで歩く。
歩道を行く自転車が、わたしたちのあいだをすり抜けていく。
好きだったひとがすぐ横にいるのに、その顔を直視することができずに、わたしは彼の足元で跳ねるスニーカーの紐ばかり眺めている。

彼がわたしを「春の朝みたいなひとだ」とたとえたことがあった。
「あなたのそばにいると、あたたかくて眠たくなる」
言葉のとおり、彼はよく眠

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ひとり

ひとり

ときどき、無性にひとりになりたいときがある。

特になにをするわけでもなく、濁ったり、透明になったり、世界から切り離された自分を、時間をかけて見つめたい。
よごれた河川に落ちたペットボトルの空き容器のように揺蕩いながら、めぐる思考に流れ流されていたい。
砂浜に流れ着いたとびきりの貝殻を探すように、忙しない日々にまぎれてしまった特別を探したい。

体にぴたりと合ったソファに寝そべりながら、自分に問う

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