連載小説「STAR LIGHT DASH!!」4-1
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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」
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第3レース 第10組 遠い夏の日
第4レース 第1組 はじまりのストップウォッチ
『……おそとでたいなぁ』
幼い頃、よく入院をしていた。
窓の外を眺めて、ぽつりと呟くだけ。
出たいと思ったって出られない。倒れてしまうから出てはいけない。それをきちんと理解はしていた。
邑香には生まれてからずっと制限があった。
同じ年の子たちがしていることの半分も楽しむことができない。
小学校もほとんど通えなかった。
通っている間も、すぐに具合が悪くなるから、可哀想な子、という目で見られる。
それが嫌で、自分のほうから周囲に壁を作ってしまい、どんどん人間関係の構築の仕方が分からなくなってしまった。
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中学入学後、両親や姉、教師たちの協力もあって、小学校よりは調子を崩さずに学校に通えるようになった。
ペース配分や、日傘での紫外線避け、温度や湿度、体への負荷に気を配ることで、だいぶましになっていった。
運動はできなくてもいいから、運動部のマネージャーをやってみたい、とはじめ女子バスケ部に入部したが、1カ月もせずに、先輩と揉めて退部を余儀なくされた。
『あのフォームだとそのうち怪我するから言っただけなんだけどな……』
暗くなった校庭にしゃがみこんで、溢れてくる涙を袖で拭う。
泣いたまま帰ったら姉に心配を掛けるのが確実なので、どうにか涙を引かせようと目を閉じて涼しい風を肌で受ける。
そうしていたら、誰かがこちらに歩いてくる音がした。
まだ人がいたなんて思いもしていなかったので、邑香は慌てて目を開く。
『タイム、計ってくんない?』
朗らかな声だった。
泣いているのに気が付いたのか、陽気に声を掛けてきたその少年は困ったように目を白黒させた。
当時の彼は邑香よりは高いものの、背もそんなに高くなく、筋肉もそこまでムキムキではなかった。
元気なことに学校ジャージの半袖短パン姿。日に焼けた肌と華奢な体つき。可愛らしい少年、という表現がよく似合っていた。
『あ、え、えーと……なんでもない。気にしないでくんなまし』
見ないふりをするように素早く踵を返す少年。
けれど、見過ごせなかったのかおずおずと振り向いた。
『あのさ、何があったか知らないけど、大丈夫?』
邑香は俯いたままコクリと頷く。
お願いだから放っておいて欲しい。
今は、相手への憤りもあるけれど、何より自己嫌悪中なのだ。
『……平気……』
『あの……』
『平気って言ってるだろ?!』
つい声を荒げてしまって、邑香はしまったと思った。しかも、くらりと頭がふらつくおまけつきだ。
頭を押さえたのを誤魔化すために、前髪を掻き上げて少年を見ると、屈託の無い表情でこちらを見ていた。特に気にしないように、にっこりと笑いかけてくる。
『もし時間あるなら、タイム計ってほしいんだ』
え? この人、空気読めない人か何か?
この流れでその発言が出てくる意味が分からなくて、邑香は絶句した。
『いつも、自分で計ってるんだけど、やっぱし上手くいかないんだぁ。それでさ、もしよかったら、計るの手伝ってくんないかな? って思って』
『…………。あたしが?』
『うん。お願い♪』
パンと両手を合わせてお茶目に笑う少年。
この所作からして同い年? でも、こんな人、同学年にいたろうか。そんな風に考えながら、邑香は見定めるように少年の表情を見つめる。
『……いいけど、別に』
邑香の返答に、少年の表情が更にパァッと明るくなった。
『そう? サンキュー☆』
表情がコロコロと変わって、無邪気そのもの。
邑香の中に、ある動物が浮かんだ。
『人懐っこいわんちゃんみたい』
つい呟いてしまった言葉に、少年が首を傾げる。
『なんでもない』
邑香は誤魔化し笑いをして、少年が差し出してきたストップウォッチを受け取り、立ち上がる。
その笑顔に見惚れるように彼はキョトンとし、すぐに思い出したように自身を指差した。
『あ、オレ、谷川俊平。よろしくな!』
『椎名邑香。これ、押すだけでいいんでしょ?』
邑香の素っ気無さも何のその、俊平は全く表情を変えなかった。
『そうそう。押して。すれば、オレの記録がまた1つ増えるから』
『ふぅん』
『じゃ、ここまで走ってくるから、掛け声よろしくな!』
そう言うと、フォームを確認するようにリズムを刻みながら駆けていく。
その時は想像もしなかったのだ。
こんな能天気そうな少年に、恋をすることになる自分の姿なんて。
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「椎名先輩、まだ残るんですか? 何か、手伝いましょうか?」
邑香が部室の整理をしていると、忘れ物をしたとかで戻ってきた1年の松川里美(まつかわさとみ)がそう言った。
少し地味めな印象だが、背が高く姿勢が良いので、遠くから見ても、「ああ松川さんがいる」とすぐ見つけられるような子だった。
男子部室の電気が点いていたから、わざわざ顔を出してくれたのだろう。
いつもいつも丁寧な子だ。
部室の入り口には、松川の友達なのか、2人可愛らしい女子が立っていた。
邑香と目が合って、ペコリと会釈をしてくる。
邑香は特に会釈を返さずに、松川に視線を動かした。
「整理されてないと気に食わなくてさ。こんなので大会前に怪我でもしたら、それこそやりきれないでしょ?」
「確かに、そうですけど……。もう遅いですし、帰ったほうが……」
「うん。松川さんは帰りな?」
「……でも」
「あたしが好きでやってるんだから気にしなくていいよ」
素っ気無い口調。自分でも、言った後に良くない言い方だったと思った。
こういうところが好かれない原因なのだ。
「……門限あるんで、今日のところは帰りますけど、キリの良いところで切り上げて帰ってくださいね?」
「うん。お疲れ様」
最後だけはきちんと笑顔で声を掛け、すぐに作業に戻った。
「感じわる~! まっつん、わざわざ見に来たのにさぁ」
聞こえてるよ。心の中で失笑した。
けれど、その後、松川の穏やかな声。
「不器用な人なんだよ~。しょうがないの。嘘つけないんだから」
「ホント、サトミって他人に甘いよねぇ」
「え? だって、私、椎名先輩いなかったら、陸上部入ってないし。すごい良い人なんだよ。見てると可愛くて和む」
「ホント、まっつんの好みって理解できないわー」
「そうだよね~。2年にお姉ちゃんいるけどさ、あの人の評判最悪だもん」
評判も何も、人付き合いをしていないからしょうがないかなぁ。
目を細めてうーんと唸った。
邑香は心を許した相手とでないと気安い話はしないし、世間話なんてものも器用に出来るタイプじゃない。
それに加えて、周囲の女子のテンションに合わせられないのだ。
何をそんなに毎日元気なのかと疑問に思うほどだ。
合わせていたらすぐ貧血を起こしてしまうだろう。そのほうが面倒で、他人にも迷惑が掛かる。
邑香はとりあえず無造作に落ちていた用具を片付けて、ひと心地ついた。
本当に、どうして男子はすぐに散らかすのだろうか。
一応、部室は公共の共有スペースな訳で、自分たちの部屋とは違うのに。
それに、俊平がいたらこんな状況には絶対にならない。
考えなしで邪気が無くて、陸上バカのあの男は、グラウンドや用具に対して、とても丁寧に礼儀正しく接していた。
『用具を大事に出来ない選手は大成しねーんだ』
それが彼の口癖だった。
なので、男子部部室の中でも、俊平のロッカーはいつもすっきり片付いており、床に物が落ちているなんてことも無かった。
「意識改革が必要な気がするなぁ……」
邑香はポツリと呟き、もういいかと区切りをつけることにした。
こういう意識の違いが、県大会上位常連の俊平と部員たちの間に温度差を生んでしまったのは確かだった。
その温度差も気にせずに、自分さえ頑張ればどうにかできると考えていた彼にも問題はあったかもしれない。
今振り返ってみると、問題は山積みだったのだ。
:::::::::::::::::::
『オリンピック?』
陸上部の練習後、俊平が屈託なく、迷いのない眼差しで言った言葉を上手く飲み込めなくて、邑香はオウム返しした。
先輩たちと思い切り揉めて、長かった髪が短くなってから1カ月。もう冬は目の前だ。
我ながら思い切り過ぎたと後悔したくなるほどの冷たい風に首を縮める。
『オリンピックで金メダル獲るのがオレの夢!』
斜に構え始める男子が多い中、1つ上の先輩であるこの人は、半年前に出会った時と同じで、純粋無垢な中型犬のように人懐っこい笑顔を見せている。
こういう時、どう返せばいいのだろう。
正直、この人ならいつか獲るんじゃないかと思う自分もいる。
『夢があるなんてすごいね』
無難な受け答えだったかもしれない。心の中で眉をひそめる。
『え? 椎名はないの?』
『昔からやっちゃいけないことの制限が多かったからなぁ』
ぽやーんとした調子で返すと、俊平が不思議そうに首をかしげてみせる。
『制限?』
『なんでもない』
生まれつき虚弱体質だったので、激しい運動なんてもってのほかだった。外で元気に遊びまわったこともない。
最近は体が大人に近づいてきたからか、子どもの頃ほど、調子を崩したりすることも減っていた。それでも、なんとなく、諦めることが当たり前になっていたから、何かをやってみたい、という感情はあまり持っていなかった。
『ないなら、それはそれで楽しいな♪』
彼は無邪気にそう言って、夕空を見上げる。
『……何が楽しいの?』
『だって、これから、色々見つかるかもしれないじゃん』
なるほど。そういう考え方もあるのか。
『いつか見つかったら、教えてよ。オレだけ話したの、なんかあれだし』
『谷川くんが勝手に話したんじゃん』
『あれ? そうだっけ? ……何の話してたんだっけ?』
『これだもんなぁ』
間の抜けた俊平の言葉に邑香はくすりと笑いをこぼす。
上手く世界と接する力がない自分に、ようやく1人、友達ができた。
彼は何も言わずに空気のように自分を受け入れてくれる。だからなのか、居心地がいい。
たくさんじゃなくていい。
優しい世界が欲しいわけでもない。
ただ欲しいのは、――自分を拒絶しない世界だ。
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もしよければ、俊平にスポドリ奢ってあげてください(^-^)