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青春小説「STAR LIGHT DASH!!」7-13

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第7レース 第12組 ちっぽけな青春

第7レース 第13組 愚者の存在証明

 春休み初日の練習が終わって、邑香が活動記録と鍵を返しに行ったので、俊平は部室棟の裏で壁にもたれかかって座って待っていることにした。
 松葉杖は使い慣れたとはいえ、小回りも利かないし、動き回るには不自由でしかない。
『早く、固定しなくてもよくなんねーかな……』
 包帯で固定した膝を擦りながらぼんやり独り言ちていると、誰かが慌ただしく走ってくる音がした。
『もう、部室閉まってんじゃねーのー?』
 後を追うように歩いてきた声の主は高橋だった。
 激しい足音をさせて部室棟の廊下を走っていく音。高橋も穏やかな足取りで歩いているのか、部室棟の数段だけある階段を、タンタンタンと上る音がした。先に走ってきた部員が、部室の戸を無理やり開けようとしているのか、ガンガンと音がする。
『あ、ダメだ。終わった。閉まってる』
 長距離走の小松の声だった。
『残念でした~。タオルくらい、替えあるだろ?』
『あるけど、溜めて出すと母ちゃんに怒られんだよ』
『まぁ、仕方ないじゃん。今日のところは帰ろーぜ』
 高橋がおかしそうに笑いながら、またゆっくりとした足取りで戻ってくる音がする。
 先程とは打って変わって、小松の足取りものんびりしたものになっていた。
『谷川、なんもできねーのに、春休みも練習来んのかな?』
 なんとなく思ったことを口にしたのか、ぼんやりと悪意があるのに、悪意を感じ取れない声で小松が言った。
『え?』
 唐突な投石に戸惑うような高橋の声。小松は少し間を置いてから、また切り出す。
『……お前が1年の時怪我したのだって、アイツのせいじゃん』
 ――怪我……? 何の話だ?
『それは違うよ』
 小松の言葉を即否定する高橋。
 俊平は思わぬ形で立ち聞きする形になってしまい、どうすればいいかわからないまま、会話を聞くことしかできない。
 せめて、怪我をしていなければ、すぐにその場を立ち去れたのに。
 そのまま行ってくれればいいのに、2人は階段を下りたところで立ち止まり、話を続ける。
『お前が1番被害者じゃん、これまでさ。ずっとアイツと走らされて。比べられて。ずっと嫌な思いしてたろ?』
『それは違うだろ。谷川は頑張ってただけじゃないか。そんな言い方するなよ』
『……頑張ってただけねぇ。速い奴は黙って強豪校行けって話だよ。ま、その自信がなかったから、こんなとこいるんだろうけどさ』
『小松。怒るぞ?』
 いつも口調の穏やかな高橋が、その時ばかりは声に凄みを利かせて、その話を切った。小松も、高橋の機嫌を損ねたくて言ったわけではなかったのか、高橋のその様子に気圧されるように押し黙った。
『そんな顔すんなって。悪かったよ。……あ、付き合ってもらったのにあれだけど、俺、電車の時間になるからそろそろ行くわ』
『……ああ。俺も頭冷やすよ』
 気まずさに耐えかねたのか、白々しくそんなことを言い、駆け足で行ってしまう小松。
 高橋はまだその場に立ち尽くしているようだった。
 なので、俊平は松葉杖を支えにしてゆっくりと立ち上がり、部室棟の影から出た。
 松葉杖の先がコンクリートを叩く音に気が付いたのか、高橋がこちらを見る。俊平の顔を見て、少しだけ焦ったように眉根を寄せた。
『た、谷川、どうした?』
『……ユウが今職員室行ってて』
『そ、そっか。その、今の……』
『ごめん、聞こえた』
 高橋相手に誤魔化しても仕方なかったので、俊平は真っ直ぐにそう言って、視線を地面に落とした。
 2人の間を風が吹き抜けてゆく。
『……怪我って』
『え?』
『怪我って、何の話……?』
 ゆっくりと視線を上げると、高橋が緊迫した顔で、息を飲み込んでいるのが見えた。
 彼がこちらに歩いてきて、俊平の前までやってくる。
『高校1年の冬』
『うん』
『俺、部活来ない時期あったでしょ?』
『うん』
『練習のし過ぎで怪我して。医者からも逢沢先生からも、ストップ掛けられて。それで、しばらく休んだ』
 極力感情を抑えて、高橋は淡々と話すだけだった。
 俊平は当時彼を廊下で見かけた時のことなどを思い返しながら、下唇を噛む。
『ごめん、オレ、全然気が付かなかった』
『うん。谷川みたいな大怪我じゃなかったから、杖とかついてなかったし、見た目だけだと分かんなかったと思う。仕方ないよ』
 高橋は努めて優しい表情で言ってくれた。
 頭の中で当時の色々なことが過ぎっては消えてゆく。
 高橋が俊平に対して、作り笑いをするようになった日のこと。
 志筑部長がもう少し部のことにも気を配れと話してくれた日のこと。
 もう少し気を付けて見ていれば分かるような……パズルのピースのように、ヒントはそこここに転がっていた。
 俊平は自分のことばかりで、高橋が苦しんでいることに気がつけなかった。
『……言ってくれたら』
『言って、何か変わった?』
『え』
『速いお前を見て、もっと頑張らなきゃ、俺なんて高校3年間ずっと大会にも出られないかもしれない。だから、谷川、手抜いてくれよ。なんて、俺に言えって?』
『ちが……』
『俺、谷川のこと大好きだよ。だから、そんなこと言いたくないし、言おうとも思わなかった。すごい奴と一緒に部活できて誇らしい。そう思うようにしてたよ』
 はっきりと言葉にしながら、高橋の目には涙が浮かんでいた。
『でも、なかなか割り切れなくてさ』
 怪我から復帰してきたその後、彼から前のような覇気が見て取れなくなったのは、そのためだったのかもしれない。
『親が見かねて、選手じゃなくて、もっと別の形で、陸上と関われるような……そういう道を探したらどうだって言ってきたんだよ』
『それで……』
『うん。それで、元々成績も悪くなかったし、そういう進路にしようかって思い直して』
 俊平は高橋の顔を真っ直ぐに見ることができず、彼の肩口を見つめていた。
 高橋が親指の腹で目の涙を拭い、ふーと息を吐き出す。
『でも、やっぱさ、走るの楽しいよ』
『……うん』
『俺が去年の9月復帰した時、お前だけは何も変わらずに受け入れてくれたよな』
『事情知ってたし』
『話せる範囲のだけどね』
『……うん』
『あの時、気付いた。俺、谷川のこと誤解してたって』
『誤解……?』
『コイツは走るのが好きなだけの馬鹿で、速い遅いで、人のことなんて見てないんだって、気付いた』
 高橋の言っている意味が分からず、俊平は首を傾げる。
『俺にくれたアドバイスのどれも、嫌味でもなんでもなく、素直な言葉だったんだって』
『当たり前だろ』
『……でも、お前がそれをできたのってさ。俺のこと、眼中になかったからだよな?』
『そんなこと』
 そこまで言って、俊平は次に続く言葉をはっきりと言えなかった。否定の言葉を言えるほど、俊平は高橋をきちんとリスペクトできていただろうか。
『そんなことあるでしょ』
 言葉に詰まった俊平を見透かすように、高橋は寂しげに言い、ふーと息を吐いた。
 風が高橋の前髪を揺らす。
『どんな気分?』
『え?』
『2年間必死に頑張って、怪我して。単なる趣味の人間にレギュラー取られるの』
 高橋の声はひどく冷めていた。
 そんなことを言われると思ってもいなかったので、俊平は胃に鉛でも詰め込まれたような心地がした。
『……色々頑張って、部の連中にアドバイスするの、いいと思うよ。すごくお前らしいよ。でもさ、怪我した奴の言葉なんて、みんな、真っ直ぐ聞けないよ』
 頭の中でガンガンとフライパンでも叩かれているようだった。
『お前がこれまでやってきたことの中に、部内の連帯を強くする、はなかったから。お前のこと、きちんと心配してるやつなんて、少数だよ』
 言われてしまえば、それはその通りのことで。
 チームとして強くなりたいという俊平の気持ちは、自分の目標のための練習に埋もれて、何もできてはいなかった。
 新人戦のリレーの結果がいい例だ。綻びは分かっていたのに、大会までに改善するよう、動くことはしなかった。そして、それは大会以降もできていない。
『でも、できることからやらなきゃ』
『……もういいって』
『え?』
『いい子ちゃんしなくていいって。お前のはさ、口だけなんだよ』
『…………』
『自分のことでいっぱいいっぱいの時に、いい子のふりすんなよ。目障りだから』
 高橋の語気が強くなる。グッと俊平は唾と一緒に息を飲み込んだ。
 彼の顔を見ると、苦しげに眉根を寄せて、奥歯を噛み締めるような表情をしていた。
『きっと、本心なんだろう。分かってる。お前は正しい奴だから』
 俊平は何も言葉が出てこず、高橋を見つめることしかできなかった。
『……俺にはできなかったよ。お前は正しくて強いからできるんだ』
『そんなこと……』
『だから、お前を見てると、俺はどんどん惨めになる』
『…………』
『走るので勝てなくたって、すげー奴だ、で終わるよ。でも、今のお前見てると、無性に癇に障る』
『高橋……』
『俺も、あの時、もっとちゃんとすればよかったって思わされる』
 高橋が視線を地面に落とし、拳を強く握りしめた。
『なぁ、谷川。みんながみんな、お前の歩幅では歩けないんだよ』
 ポロポロとこぼれ落ちたのは涙だった。

『俊平くんと走ってもつまんない。だって、結果なんて分かってるもん』
 子どもの頃からずっと言われてきた言葉が過ぎる。
 いつもいつも、何度か繰り返した競走の後、誰も彼も、そう言って俊平の傍から離れてゆく。
 和斗でさえ、傍にいることはやめないでくれたけれど、決して俊平と走ることで競おうとはしなくなった。
 邑香が練習を見に来てくれるようになって、俊平は1人ではなくなったけれど、ずっと怖かった。
 陸上のことしか考えていない俊平に、いつか見切りをつける時が来るんじゃないかと。
 ”互いに競い合って高め合える相手が身近にいてくれたら。”
 たったそれだけの望みだったのに。
 そして、俊平にとって、高橋はそういう存在になれる。なりたいと思った相手だったのに。
 でも、高橋にとってはそうではなかった。
 高橋はきっと、俊平がいなければ、……怪我をすることなんてなかった。

『……高橋』
 俊平はか細い声を絞り出した。いつも声が大きいので、そのギャップはかなり大きかっただろう。
『できないと思ってやってもできないよ』
 しゃがれた声でそう言い、松葉杖を握り直す。ぐっと腕に力を入れて、松葉杖を操り、高橋の横を通り過ぎる。
『……オレから言えるのは、それだけだよ』
 高橋が何か言いかけたが、俊平はそのことには気付くこともなく、松葉杖を操って、その場を後にした。
 歩いている途中で、邑香が声を掛けてきたので、極力顔には出さずに一緒に帰った。
 その翌日から、春休みが明けるまで、俊平は陸上部には顔を出さなかった。そのまま、高校3年の1学期が始まり、ほどなくしてから、邑香に退部届を手渡したのだった。

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