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青春小説「STAR LIGHT DASH!!」7-14

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第7レース 第13組 愚者の存在証明

第7レース 第14組 許せない気持ち

『ゆうかちゃん、すぐたおれるから、ママがもうあそぶなって』
 小学2年。長期入院を終え、ようやく通い始めた夏のとある日、自分ではそれなりに仲が良いと思っていた友達にそう言われた。
 今となっては、その子の母親はおそらくそういう意味では言っていなかったろうと察しはつく。
 無理をさせて何かあったら大変だから、外での遊びには誘わないこと。きっとそういう言い含めだったのではないかと思う。
 けれど、そんなのは今なら察せることで、その頃の自分にそんなことはわからない。
 その言葉は鋭い痛みだけを残して、邑香はもうその子と遊ぶことはなかった。
 周りの子たちができることを、邑香はできない。
 外で遊ぶこと。体を激しく動かすこと。長時間立っていること。
 ずっと自分の体のご機嫌を窺って、ペース配分をしないといけない。ずっと上手くできず、先生にも同級生にもたくさん迷惑をかけた。
『もう学校いきたくない……』
 姉の瑚花に弱音をこぼすと、姉は悲しそうに目を細めた後、繋いでいた手にきゅっと力を込めてくれた。
『無理して行く必要はないよ。それが邑香の本心なら』
 姉が言ったのはそれだけだった。

:::::::::::::::::::

「……どうして?」
 俯いて話す高橋先輩に対し、か細い声で邑香は問いかけた。
 右目から涙がひと条、頬を伝って落ちてゆく。
 手術するほどの大怪我をし、すぐには元には戻らない現実に絶望して、それでも、目標を真っ直ぐ見つめて歩こうとしていた彼に、どうしてそんなことを言ったのか。きっと、彼のことだ。高橋先輩のことを一切怒りもしなかったろう。
 考えている間にポロポロと涙がこぼれ落ちてゆく。
 はーと息を吐き出して、込み上げる涙を拭う。感情を抑え込むように奥歯を噛み、邑香は高橋先輩を睨みつけた。
 高橋先輩はたじろいだが、それでも、そこに立ったままでいることが残された誠意と考えているのか、逃げはしなかった。
 邑香は右の拳を握り締める。
「……あたしはシュンが先輩のことを誉めてる横顔を見てるのが好きでした」
 邑香の言葉に戸惑うように先輩の表情が揺らぐ。
「頑張っている彼に寄り添うことはできても、彼と一緒にあたしは走れなかったから。先輩のことが羨ましかった」
「……アイツはずっと孤独だったよ。藤波じゃ、レベルが合わなかったんだから」
「走れる体があるのに」
「走れる体があるから!」
「え?」
「頑張れば俺もアイツみたいになれるのかもしれないって錯覚したんだよ……そんなはずないのに……」
「…………」
「少しでも速くなりたくて、尊敬する先生のいる藤波に来たのに。同学年にはアイツがいて。先生はアイツに夢中で……」
 高橋先輩が悔しさを堪える表情でそこまで言い、大きな右手で自身の顔を覆った。
「むかつくのに、谷川は底抜けに良い奴だし、走るフォームは俺の理想で、アイツを追いかけて走ることが楽しくて仕方なかった」
 邑香は何も言えずに彼の言葉を待つ。
「みんな、谷川と一緒に走らないといけない俺のことを、ずっと憐れんでたけど、そんな感情はどこにもなかった」
 高橋先輩の目には涙が浮かんでいた。
「地区大会止まりの俺が、全国区のアイツと走れるのに、嫌だなんて思うはずもない」
「じゃあ、どうして?」
「アイツを見てると、もっと頑張らなきゃって思っちまう」
 高橋先輩が苦しそうに眉根を寄せる。
「頑張ればそこに行けるのかもしれないって。やらなきゃって思わされる……」
 邑香には俊平の走りは流れ星に見える。綺麗で、ずっと見ていたくなる。一緒に走っている人には、あのキラキラは見えないのだろうか。
 いや、違う。
 綺麗だから、手を伸ばしたくなるのか。
「頑張った結果、オーバーワークで怪我したんだ。アイツの体が耐えられるものを、俺の体は耐えられなかった。あの時の絶望感、椎名さんにわかる?」
 問いかけられて邑香は大きな目を細める。
 子どもの頃を思い出し、今も引きずりながら付き合っていかないといけないポンコツな体のことを考えた。
 彼の言葉を借りるのなら、自分は昔から絶望しかしてこなかった。
「……わかりますよ」
「ッ」
「でも、誰かのせいにしようなんて、あたしは思いませんけど」
 吐き捨てるように、それでも穏やかに言い放ち、右手で左腕をさすり、俯く。
 邑香からそんな切り返しが来るとは想像もしていなかったのか、高橋先輩は口を開かなかった。
 邑香の体が弱いのを彼もよくわかっている。そんな相手にする問いかけではなかったという猛省も含まれた沈黙だったかもしれない。
 邑香は青空を見上げ、生温い風に目を閉じた。
「もっと頑張らなきゃって思っても、自分のペースでいいよ、待ってるからって言ってくれるんです」
「え?」
「シュンはそういう人なので」
「…………」
「……それが、先輩に伝わらなかったんだとしたら、たぶん、先輩は頑張らなきゃって思ってなかったんだと思います」
 きっと言ってはいけない言葉だ。
 でも、彼に壊された、俊平の高校最後の半年間のアスリート生活を思うと、この言葉は自分が言わなければいけないと思った。
 たとえ、リハビリだけで終わったとしても、陸上部として活動し続けることと、大事な友達に絶望させられたまま、部外者になることは、絶対的に意味が違ったはずだから。
「シュンに謝る資格なんて、先輩にはないです。少なくとも、あたしはそう思います」
 憤りのまま、きっぱりと言い切ると、高橋先輩は頬の筋肉をピクリとだけ動かした。
「強い人は、元から強いわけじゃない。そう在ろうとするからそうなだけです。弱さを笠に着て、そういう人の……彼の邪魔をした、あなたのことを、あたしは許せません」
 邑香に真っ直ぐ睨みつけられて、高橋先輩はぐっと息を飲み込んだ。
 俊平ならば、きっと謝られたら許すだろう。むしろ、喜ぶかもしれない。
 それでも、意図しないにせよ、俊平が来なくなってからの2カ月間、我が物顔で、素知らぬ顔で、引退までの部活動を謳歌した彼のことを許す気にはなれなかった。
「……都合が良いって思わなかったんですか? 今日、この場にシュンがいたら、無神経にも謝ってたんですか?」
 謝るのであれば、もっと早くにすべきだったろう。
 3年の送別レースはもう終わってしまった。どうして、今を選ぶ気になったんだろう。それこそ、無神経でしかない。
「谷川はやっぱ優しいよな」
「え?」
「俺が自分の感情をセーブできずに、アイツを追い込んだ時、アイツは怒りもしなかった。ただ、”できないと思ってやってもできない”って、それだけ言われた」
 高橋先輩は空を仰いでからはーと大きく息を吐いた。
「”お前が頑張らなかったからだろ”って、言えばよかったのに、アイツは言わなかったんだよな。俺のことを尊重してくれたから」
 気落ちした涙声。
 邑香がここまで手厳しく言葉を返してくるなんて思ってもいなかったのだろう。
「椎名さんの言うとおりだよ……俺に許される資格なんてない。俺が怪我したのだって、アイツのせいなんかじゃない。分かってたのに。分かってたから、アイツにだけは知られたくなかったのに……」
 そこまで言葉を吐き出すと、高橋先輩は深く深く頭を下げてきた。ポタポタと地面に雫が落ちてゆく。
「もっと、違う形で、いることだってできたはずなのに、どうしてこうなっちまったんだろう」
 しぼり出すような声が痛く胸に刺さった。
 邑香は何も返すことができず、ただ、高橋先輩の背中を見下ろすことしかできなかった。

:::::::::::::::::::

「間に入ったほうがいいかなってヒヤヒヤしました……」
 部員がほとんど帰った後、備品の洗濯を手伝ってくれていた松川が静かにそう漏らした。
「何が?」
「グラウンド整備してたら、先輩たちが剣呑な雰囲気だったので」
「そんな物騒な話はしてなかったよ」
 松川の言い様がおかしくて、邑香はクスリと笑った。
 邑香の返しに、松川が様子を窺うようにこちらを見、洗濯物の皺をパンッと伸ばしてから、物干し用の紐に掛けた。
「……ずっとね」
「はい?」
「ずっと、あたしのせいなのかと思ってたんだよ」
「何が、ですか?」
「彼が陸上部に来なくなった原因。もしかしたら、何かしちゃったのかなって、ずっと考えてた。でも、全然わからなかった」
 邑香の言葉に、松川は息を飲みながらも、作業の手だけは止めなかった。なので、邑香も、洗濯物を留めてゆく。
「先輩は」
「ん?」
「先輩は、どうして、谷川先輩が来なくなった後も、部活を続けたんですか?」
「……夢だったから」
「夢?」
「運動部でマネージャーをすること。子どもの頃からの夢だったから」
 邑香は真っ直ぐに答え、それを聞いた松川は目を細めた。
「陸上部を選んだのは、シュンがいたからだったけど、あたし、別に、シュンがいたから、マネージャーになったわけじゃないんだ。それに」
「それに?」
「仮に何かあって、シュンが来なくなったとして、あたしまで来るのをやめたら、シュンも気にするだろうと思ったし……何より、シュンと示し合わせて居なくなったみたいで、シュンの印象が悪くなるでしょ? それだけは絶対に嫌だったの。あたしは何を言われてもいいけど」
「…………」
「彼は、あたしの夢を分かってくれてたので」
 どこまでも真っ直ぐな口振りに、松川が優しい眼差しでこちらを見てくる。
「……やっぱり、おふたりはお似合いだと思います」
 そう言われて、嬉しい気持ちが半分、悲しい気持ちが半分湧き上がって、胸の中で綯交ぜになった。
「もう、終わったことだよ」
「終わってないですよ」
「ん?」
「だって、先輩、まだ谷川先輩のこと、好きじゃないですか」
 眼鏡越しに松川の真っ直ぐな眼差しが、邑香を捉えていた。
「……終わりにしないでください。お願いですから」

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