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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」2-9

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第2レース 第8組 在りし日の星空

第2レース 第9組 Step by Step

カーフレイズ 100回×3セット
スクワット 100回×3セット
フロントランジ 100回×3セット
サイドランジ 100回×3セット
レッグレイズ 25回×3セット
プランク 1分×3セット
ダンベルベンチプレス 8回×5セット
アップライトロウ 8回×5セット
バックエクステンション 30回×5セット
ランニング 朝晩各5キロ   ……etc

 振り返ってみれば単純なことで、崩れてしまったものはまた同じように積み上げていくしかない。
 できる範囲のことをコツコツと続けてゆく。積み重ねを繰り返すこと。それは、子どもの頃からずっと自分がやってきたことだ。
 最も直近にあった目標が失われただけで、まだ、自分の最終的な目標が失われたわけではない。
 だから、信じて続けるだけ。信じて信じて繰り返すだけだ。
 だって、まだ、自分はやりきっていないから。

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『スカウト? すごいじゃん』
 中学2年の新人大会の後、県内でも屈指の陸上競技の強豪校からスカウトを受けた。スポーツ特待生としてのお誘いだ。
 こちらを見下ろすように朝礼台に座っている邑香に、俊平はバイシクルクランチをやりながら視線を向ける。無自覚に足をプラプラさせているものだから、意識的に視線の上げ方を気を付けないといけない。
 彼女はあの頃はまだ髪が長かった。風に流れてゆく髪を耳に掛けて直しながら、感心したような表情の邑香。俊平はその長い髪がサラサラと動くさまを見るのが好きだった。度重なる塩対応のせいで、周囲からの評判は最悪だと聞くが、俊平の前では特につんとした様子を見せることもなかった。
 予定回数をこなして、俊平がゆっくりと体を起こすと、すかさず、朝礼台から降りてきて、タオルを差し出してくれる邑香。
『椎名って、なんで評判悪いの?』
 タオルを受け取り、汗を拭いながら、ストレートに訊くと、邑香は目をぱちくりさせ、おかしそうに笑った。
『知らないよ。谷川くん、そういうこと、本人に聞くもんじゃないよ』
『……だって、他から聞いたら、それは間違った情報だろ?』
『間違った情報?』
『ただの噂っていうか』
『ああ、そうだね。確かに』
 俊平の言葉に納得したのか、うんうんと頷く邑香。少し考え込んでから続ける。
『よくねぇ、校舎裏に呼び出されるんだよね』
『……へ?』
『下駄箱とか机に手紙が入ってて』
 きな臭い話かと思ったが、どうやら、果たし状的な呼び出しのことではないようだ。
『知らない人からの手紙なんて怖いから、いつも無視してごみ箱に捨ててるんだけど』
『あーーーーーー』
 その言葉で、俊平の頭の中ではなんとなく情報が繋がった。いきなり、大きな声を出したので、邑香がびっくりしたように目を丸くする。
『な、なに……?』
『椎名、それは不味いかも』
『不味いの?』
『うん』
『でも、校舎裏は行きたくないよ』
『そりゃそうだ。行かなくていいよ。ただ、学校のごみ箱に捨てるのだけでもやめたほうがいいと思う』
『そう。わかった。気を付ける』
『うん』
 中学に上がってまだ半年経たない邑香には実感がないのだろうけれど、俊平から見ても、彼女はとても可愛い部類の女子だった。
 小学校ではどのように接してきたのか分からないが、俊平が感じ取った範囲での予防線は張っておかないと、彼女自身が孤立する恐れがあったので、それだけ伝えた。ただ、その1カ月後、事件は起きてしまうので、結局焼け石に水だったのだけれど。

:::::::::::::::::::

「え? 月代さんと後夜祭出ることにしたの?」
 夕方、リハビリ後に会った奈緒子から昼間あったことを話され、驚いてそう返した。その顔がおかしかったのか、奈緒子がふふっと笑いをこぼしてみせる。
「友達2人が、絶対そっちのほうが楽しいじゃんって」
 これまでよりも柔和で、本当に楽しげな笑顔だったので、俊平は目を細めて優しく笑みを浮かべる。
「どうかしましたか?」
 小首をかしげて尋ねてくる奈緒子。俊平は唇を尖らせて誤魔化すように笑った。 
「良い表情してるなって思っただけ」
 『やってみれば?』という言葉を金曜に掛けたほうがよかったろうかと、少しだけ考えていた。でも、自分の立場だったら、やってみたいなという気持ちが仮にあった場合、周りから言われることでやる気がなくなるな、などと思い至って何も言わないことにした。昼に何があったのかはわからないが、解決したのであれば、それでいい。
「何も、解決はしていないんですけどね」
 安堵した様子の俊平を見上げ、困ったように奈緒子はそう言った。意味がよくわからず、俊平は歩くスピードを緩める。
「あ、他意はないんです。足の調子もなかなか戻らないし、ピアノだって……納得のいく形で弾けないってだけで」
 杖の底でコンクリートを叩く音が俊平に合わせてゆっくりになる。俊平は夕空を見上げて、腕を組み、んーと唸った。横を見ると、不安げに地面を見つめている奈緒子の表情。耳の後ろで結わえた髪が、ピョンピョンと歩く拍子に合わせて揺れている。
「難しいとは思うけど」
 奈緒子がその声でこちらを見上げてくる。
「あれもこれもって慌てると上手くいくものもいかないから、まずは目の前のことを楽しまない?」
「目の前のことを楽しむ」
 俊平の言葉をただ繰り返して口にし、飲み下すようにまた地面に視線を落とす奈緒子。
「オレ、3月に焦って失敗してるんだ」
 首の裏を掻きながら、真面目な声でそう返す。
「ナオコちゃん、あの時言ってくれてたのにね。頑張り屋さんには割とあることだってさ」
「……何か、あったんですか?」
「んー。過ぎたことだから。……お互い、出来ることをやっていこうね」
 奈緒子からの問いを笑顔で誤魔化し、俊平はそれだけ返す。
 以前声を掛けてくれていた企業からの連絡が退院前に来た焦りから、退院後にもう治ったと嘘をついて陸上部の練習に出た。
 ほんの2週間前まで当たり前のように動いていた足だ。手術もしたのだから、きっと大丈夫だ。そんな甘い考えがあった。
 走ってみると、膝はすぐに悲鳴を上げた。上半身だけが前に行こうとして、前のめりに転がる。幸い、大事には至らず、その日はそのまま家に帰った。
 ――ああ、本当に、6月の大会には間に合わないんだ。――
 その時、ようやく現実を理解した。
 陸上しかしてこなかったのに、その陸上の世界から自分は見捨てられたのだ。追い詰められた心地がした。
 そこから数日間の記憶はあまりにも曖昧で、思い出そうとしてももやがかかったように判然としない。
 その間に、たぶん、邑香に何かをしたのだろう。春休みが明けた後、自分と彼女の間には大きな距離ができていた。原因がわからないことで、自分から声を掛けるのが躊躇われて、そのまま数カ月が過ぎてしまった。
 和斗には仲直りしろと何度も言われたが、原因が分からないのに、仲直りなどしようもないじゃないか。
「俊平さん、私は年下なので頼りにならないかもしれませんけど」
 奈緒子の真面目な声。
「お話くらいは聴けるので。気が向いたら話してくださいね。奈緒子は、俊平さんの力になりたいです」
 杖を持っていないほうの拳を握りしめて、とても真剣に言葉を口にしてくる。
 こちらが怯むくらいに、真っ直ぐでキラキラと眩しい子だ。中学生ゆえの純粋さなのだろうか(周囲から見たらお前だって似たようなものだよ、と言われるであろうことを本人はわかっていない)。
「さんきゅ」
「いえ。俊平さんは、私の恩人ですから」
「え?」
 予想外の言葉に俊平は目を丸くするが、奈緒子はにこにこーと天真爛漫な笑顔を浮かべると、それ以上は何も言わなかった。

:::::::::::::::::::

 呼吸を意識しながら、軽やかな足取りで足を前に出す。
 夜になっても気温が下がらない。見事な熱帯夜だ。暑さを避けるために早朝と夜に走っているのに、これではほとんど意味がない。
 首にかけていたタオルで顔の汗を拭い、歯を噛み締めたまま、思い切り息を吐き出す。
 高校近くの河川敷まで出ると、さすがに川の近くだからか、気休め程度だが涼しく感じた。
 雲一つない空は、緑がかった夜の色をしている。一面に広がる星々はとても綺麗だった。
「これで、暑くなけりゃ最高なのに……」
 吐き捨てるように呟き、ゆっくりとスピードを緩める。酷使しすぎるとまた膝のケアが大変になるので、調子のよさを感じながらも、いつも通りの距離で折り返すことにした。心肺機能だけは維持したいので、走れる限り走ることにしているのだが、痛めているのが膝なだけに負荷が気になる。腿上げを数回し、膝の感覚を整えながら、ようやく止まった。
「夏だし、プールトレーニングでも取り入れよっかなぁ」
 病院併設のジムにはプールまではないので、市営プールにでも行くしかないだろうか。
 肩で息をしながらぼんやりとそんなことを考えていると、ランニング用のボディバッグにしまっておいたスマートフォンが、ポコンと鳴った。
 もぞもぞとバッグを体の前に回し、青色のカバーのスマートフォンを取り出してアプリを開く。通知の主は岸尾圭輔だった。

ケースケ【先パイ、お久しぶりです。夏休み最終週に、3年の追い出しレースを企画しようと思っています。先パイのご都合はいかがでしょうか?】

 陸上部のグループからは、3年に上がった時に退会していたので、わざわざサシで送ってこなければならなかったようだ。申し訳ない心地がする。

しゅんぺ【久しぶり】

 いつものことで、タップをミスってそれだけ送信される。
「あ、やべ。……んー」
 俊平はこの文明の利器が得意じゃない。短文回答で済むものであれば助かるのに。

しゅんぺ【オレ、もう陸上部辞めたんだけど】

 既読がつくが、そこから圭輔のリアクションがない。確かに、この返しは返信に困りそうだ。けれど、素直な気持ちなので仕方ない。
 スマートフォンをしまい、ボディバッグを背中に回してから、グッと大きく伸びをする。屈伸をして、ぐるりと腰、首を回し、その場でタンタンと走って足の感覚を確かめた後、また走り始めた。
 目の前には、怪我をする前の自分の背中が幻のようにちらつく。彼に追いつき、追い越さないといけない。だから、振り返っている時間も、思い出を噛み締めている時間も、今の自分は必要としていないのだ。

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第2レース 第10組 青春星夜


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もしよければ、俊平にスポドリ奢ってあげてください(^-^)