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若さゆえの美学

ちょっと強めのタイトルをつけてみた。

「若さゆえの美学」

話は変わるが、いまぼくは電車に乗っている。最寄りの駅に到着するまであと3駅だ。

これを書きたい、と思ったビッグテーマをあと3駅で書けるのか。途中で終わってしまうかもしれないが、この生配信のようなドキドキ感を文章でも味わっていただきたい。

では、いこう。

若さゆえの美学

前提として、ぼくは歳をとる。

あなたもとるし、たぶん生きていたらみんな歳をとる。

だから、若いから偉い、といったことが今回書きたいわけではない。

わけではないが、「若さゆえの美学」が存在するのではないか。それって結構大切なのではないか。

みたいなことを思っている。

たぶん、これを読んでくれている人は、このワードのどこかに引っかかって、この記事を読んでくれているのだと思う。

もうその時点で同志だ。たぶん似たようなことを考えている。いや、考えているというより、感じているの方が表現は正しいだろう。

歳をとることは悪くない。むしろ、いい歳の取り方をしたいなあと思う。

でも、いま自分が思っている「少しだけ素直で、社会に対して少しだけ真っ直ぐみている」この感覚は、おそらくいましかない。

あとあとになると、たぶんちょっとだけやさしくなって、みれる範囲も、身体で覚えた経験も、どれも自分の認識に作用するから、ある意味尖った見方ができるのは、今しかないだろうと思う。

だから、美学なのだ。

それは社会的というより、自分の納得感が大切だ。

社会的な承認というより、自分なりの仮説をもつこと。

それが正しいのかどうかはわからない。

わからないけど、いましかできない表現がある。

アウトプットがある。

それらを大切にして、旗を掲げて、

仲間を増やして、思いっきり楽しんでみたい。

それができる。だから「若さゆえの美学」

実は、何事も、自分ができるという、信じる勇気から、何かが生まれるのかもしれない。

そう思う。10分間だった。

あ、たぶんついた。(実は少し前についたのだが...)

ではまた、明日あおう。

ばい!

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