何から書いたらよいのでしょう。 あなたが遠いところへ行ってしまってから、5年が経ちます。 なんかこういうの、直したり推敲したりするの違うなと思うので、思い浮かぶことをつらつら書こうと思っています。 あなたがいなくなってからのこの5年で、世界は結構色々変わったなと思います。 コロナ禍、という実に異常な事態が何年も続きました。 その間ライブにも行けなかったし、行っても声出し禁止とか。ヒトリエも、無観客配信ライブをやったりとか。 「ニューノーマル」なんて言って、この
『結婚しない男』という阿部寛主演のドラマが一昔前にあった。 阿部寛演じる主人公は確か一級建築士で稼ぎも良いのだが、とんだ偏屈者。口癖は「結婚出来ないんじゃなくて、しないんです」。毎晩自宅で趣味のクラシック音楽を爆音で聴くのが楽しみ。 そんな彼が急な病気(←大したことはない)で受診した病院の女性医師(夏川結衣)と知り合い、ああだこうだ衝突しケンカしながらも交流を深めていく。そこに主人公の隣人女性(国仲涼子)と飼い犬・ケンちゃん(確かパグかフレンチブルドッグ)も絡んできて
「また今度にすればいいじゃない。」 「またの機会があるよ。」 「そういうのは、歳を取ってからでもできるから。」 私の母(70代前半)は、よくそんなことを言う。 確かに、呑気で楽天的な気質の人ではある。でもこの呑気さは、事あるごとに「また今度」「いつか」「そのうち」を口にするのは、性格的なものだけではない気がする。 昭和28年、戦後生まれ。高度経済成長の時代に青春を過ごし、バブルの時代に子育てをした。1995年に阪神・淡路大震災が起こるまでは、何千人、何万人とい
まる子の声を長年務めていたTARAKOさんが亡くなってしまった。 私は小学生の頃からちびまる子ちゃんが大好きで、今も原作単行本の殆どを持っている。原作を読む時も、まる子の台詞はTARAKOさんの声で脳内再生される。 前日に『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』の作者である鳥山明先生が亡くなったこともあり、夜7時からのテレビニュースを見ていた。 そこであることに気がついた。 「あれっ…そういえばテレビのニュースって、毎日必ずスポーツコーナーがあるのにカルチャー(文化
老化が進んでいる。 生え際や内側の方は白髪だらけだが、黒に近い青のカラーで誤魔化している。白髪染めはまだしたくない…。 一見若い頃と体型はあまり変わらないように見えるが、お腹はブヨブヨ。整体の先生に「体重落ちにくくなっているでしょう」と代謝の低下を見抜かれた。 歯医者通いが終わらない。上の歯2本の神経が死んだので、抜いた。右の前歯は死んでいて茶ばんでいるのだが、いい先生なのでどうにかこうにか差し歯にはせず残してくれている。 息をするようについついテレビをつけてし
「大体いい子って何よ?親に迷惑かけない子?携帯電話にロックかけない子?テレビの電源消す時は、主電源まで切る子?いい子って何よ?何なのよ!?」 10年前に大ヒットし、今年の4月から9月までBSで再放送された朝ドラ『あまちゃん』の中で主人公の母親・春子(小泉今日子)がまくし立てる台詞だ。 若き日の春子(有村架純)は地元・北三陸で有名なスケバン美少女だった。アイドルになりたいという夢を叶える為、高校を中退して上京した。1984(昭和59)年の話。 春子は「いい子」ではなか
私の母の出身地は秋田県内陸の阿仁地域だ。 かわいいローカル線・秋田内陸縦貫鉄道が南北に走り、「花の百名山」と呼ばれる森吉山が聳えている。鉄道ファンの方や、登山をする方はご存知の方も多いかと思う。内陸線に乗っていると清流・阿仁川でアユ釣りをしている人を車窓からよく見かける。電車の窓から手を振ると、多くの住民の方は手を振り返してくれる。 バター餅が人気を博して久しいが、あれはこの地域発祥のおやつだ。 旧阿仁町・森吉町・合川町・鷹巣町が平成の大合併で一緒になり、今は「北秋田
小学校4年生の頃の話だ。同じ社宅内に住んでいた同級生が、ジャニーズのファンクラブに入っていた。 その子は小4にしてジャニーズのファンクラブに入っていた他にも、色々とませていることで有名だった。大人のお姉さんが読むちょっとエッチなマンガを読んでいたり、芸能人や恋愛についてやたらと詳しかったり。 高校生のお姉ちゃんがいた影響があったのかも知れない。同級生は皆、今で言う「ちょっと引く…」という反応を見せていた。 児童数が少なく、全体的に仲のいい平和な学校だったこともあって特
2018年2月、私は平昌冬季オリンピックに熱狂していた。 丁度その頃は写真に関係する人間関係が全くと言っていい程上手く行っておらず、人間関係にばかり振り回され、写真に対する意欲を失いかけてしまっていた。現実逃避するかのように、テレビの中で繰り広げられる熱戦に夢中になった。 フィギュアスケート、カーリング、スノーボード…色々な競技を観たが、半年後実際に会場にまで足を運んで観ようと思ったのはスピードスケートの全日本選手権だった。 何故スピードスケートだったのかは、今とな
こんにちは。あなたに手紙を書くのは、二度目です。 一昨年の6月1日。あなたの追悼会に設けられたお手紙BOXに入れた手紙が、私が書いたあなたへの最初のファンレターでした。 思い返してみるとあの日、私はまだあなたが亡くなったということをよく理解出来ていなかったのだと思います。だから、あなたに宛てた手紙を書いた。新木場STUDIO COASTへ行けば、あなたに会えるような気がしていたのでしょう。 コーストで出会ったあなたは、ステージの上で穏やかな笑顔を見せた大きな写真でし
私にはASD(自閉スペクトラム症)という障害がある。所謂「発達障害」と呼ばれるものにカテゴライズされる障害である。 最初に説明しておくと、これは生まれつき脳みその作りが大多数の人とは違っている為に生じている障害である。親の育て方がなっていなかったからとか、食べ物がよくなかったとか、化学物質のせいとか、そういうことに起因するものではない。 私の人生の異様な上手く行かなさの原因がこの障害に起因していたとわかったのは、僅か10年足らず前の話である。要は大人になって、他の病気
いつまで続くのかわからない緊急事態宣言、自粛にもうほとほと疲れ、うんざりしている人も多い今日この頃かと思う。私も、その一人だ。 先日、消耗品を買いにショッピングモールへ行った。物凄く混んでいた。最早緊急事態宣言が出ていても誰も自粛していない。 「自粛」には、どうやら限界があるらしい。 2011年当時もそうだった。被災地の為に、東北の人達の為に自粛しよう。楽しいことや、華やかなことは控えよう。 だが、2週間もするともう気が滅入ってきた。 テレビから繰り返し流れる、
今では常識となっているが、救援物資は個人レベルで送らないこと。事前に受け入れ側にコンタクトを取り、受け入れ態勢が整ったら送ること。色んな物を一つの箱にごっちゃにして送らないこと。 東日本大震災が発災した当時、そういった常識はまだ整っていなかった。被災地、特に東北の物資不足は深刻化していた。こういう物が不足しています、今すぐに欲しいです、助けて下さい。そんな訴えがテレビからも流れてきたし、ツイッターにも流れてきた。 私は、しまむら的な店とドラッグストアへ行った。買い込ん
本震から、何日が経った頃だろうか。余震は相変わらずずっと続いていたが、首都圏の不安の中心は放射能に変わってきていた。 東京の方でも、線量が高くなっている。ツイッターには怪しげな情報や、恐怖で混乱する人達のツイートが溢れていた。 私はやっと「ツイッターにかじりついているからダメなのだ」と気付いた。テレビも消した。ラジオから、情報を得るようになった。 本震発生直後は「買い物をしてから帰りたい」と言い出し、11日の夜は大イビキをかいて熟睡していたうちの母。得体の知れない放
3月11日、夜。 自室は色々な物が落ち、家具は動き、足の踏み場もない状態だったので、隣の部屋で母と妹と一緒に寝ることにした。 が、寝られるわけがなかった。何しろずっと揺れている。緊急地震速報もひっきりなしにテレビから流れてくる。あのイヤーな音が。その度に飛び起きた。 いつでも逃げ出せるように、中学の頃部活で履いていたバレーボールのシューズを枕元に置いていた。何度か「ヤバい」というレベルの余震が来て、履いた。 そして、夜中の何時頃だっただろうか。おかしな場所で大きな
2011年3月11日金曜日、午後2時46分。私は、母の運転する車でホームセンターに向かっていた。展示に出品する絵を飾る、額を買いに行く途中だった。 私は助手席の窓から、散歩をしている人をぼんやり眺めていた。その時、唐突に母がこんなことを言った。 「この道ずいぶん悪いね」 いつも行くホームセンターに向かう、いつもの道。綺麗に舗装されている。そんなバカな。すると、前を走っていた中型トラックが突然ハザードを点灯して停車した。 道が悪かった訳ではなかった。猛烈な揺れで母