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女の子はいつでも

子供の頃から地理が好きだった。
幼稚園に入るか入らないかくらいの頃から道路標識を見つけるのが好きで、行先表示の標識を見て漢字の読み方と地名を覚えた。

電車に乗る機会が多かった環境もあって電車、特に新幹線が好きだった。
東北・上越新幹線の上野駅が開業した記念に親が貰ってきたソノシートのレコードを毎日飽きもせず聴いていた。当時は駅ごとに到着メロディーが違っていて、レコードには駅名アナウンスと到着メロディーが収録されていた。それを毎日飽きもせず、ぐるぐるぐるぐる。ルーティーンだ。

「次は郡山、郡山に停まります」

あのアナウンスと到着メロディー、何だかやっぱり今でも血が騒いでしまう。ワクワクする。

先月、5年ぶりに新幹線に乗車した。新幹線ホームに上がった瞬間、英語のアナウンスや電光掲示、耳をつんざくような高音の不快な入線音でめちゃくちゃテンションが上がった。ライブ前の、客電が落ちた瞬間くらい興奮した。
ということは、私は紛れもない鉄なのだろう。今までも好きだなという自覚はあったが、血液中に結構な濃度の鉄分が含まれているのだと思う(貧血気味だが…)。

そんなこんなで、地図を見ることも好きだ。

幼少期は家にあった道路地図を眺めることが好きだった。小学校に上がると休み時間も地図帳を眺めていたので「真面目だね」なんて不思議がられたり、揶揄われたりした。
真面目に予習をしていた訳ではなく、ただ好きだから眺めていた。ここの街はどんな風景で、どんな建物があるのかなとかそういうことを妄想するのが好きだった。

綺麗な字面や響きの地名を見つけるのも好き。北海道の「美唄」「空知」「恵庭」などにはとても惹かれた。どんな綺麗な所なんだろう、行ってみたいなあ、と思っていた。
前述のように鉄道が好きだったので、鉄路を辿って妄想旅行をするのも好きだった。
今のように調べたいことは何でも検索し、見たいものは何でもYouTubeで見られる時代ではなかったので、妄想力の発揮のしどころだったのである。

あまりに地図が好きで、10代になると部屋に大量の道路地図や地図帳を積んで読んでいた。
高卒認定を取得しようと考えた時、その先の進路も考えることになる。真っ先に頭に浮かんだのは、地理学科だった。
地図の勉強がしたい。地図を作る人になりたい。ゼンリンとか、ああいう会社に就職して地図を作りたい。そう考えた。

ある大学の、オープンキャンパスを訪ねた。詳しいことはもうあまり覚えていないが、一つだけ強烈な記憶がある。

「地理学科は女の子少ないから、可愛がられますよ!」

女性職員からそう言葉をかけられた。

今ではこんな言葉で受験生を勧誘したら大問題になるだろう。「◯◯大学のオープンキャンパスでこんなことを言われました」なんてSNSに上げられでもしたら終いだ。大炎上。
しかし、私のこの話は何しろ二十数年前。SNSもスマホも当然存在しなかったし、インターネットといえば手打ちのHTMLで書かれたしょぼいホームページをパソコンで、Internet ExplorerとかNetscapeで見ていた時代だ。「古の」というやつである。
何より「女子だから」が然程問題視されなかった時代。「女の子は可愛がられますよ」はむしろいい意味の、メリットを強調する謳い文句だった。うちの学科は学びやすいですよ!的な。
だが、私は思った。

可愛がられる為に地理学科行くんじゃないのにな。

私は当時にしてみれば変わり者で、偏屈な若い女だった。よく言われた言葉がこれだ。

「そんなんだと彼氏できないよw」
「鴎ちゃん、隙がないからなあ〜。隙を作らないと男は寄ってこないよ」
「女の子はあんまり知識ひけらかさない方がいいよ。結婚できなくなるから」

「地理学科は女の子少ないから可愛がられますよ!」には「???」と思えた私も、これらの言葉には深刻に傷ついていた。
当時はまだ「女は嫁に行ってナンボ」という時代だった。結婚できないなんて、嫁の貰い手が無いなんて恥ずかしい。
加えて、結婚は恋愛結婚でないと恥ずかしいとされていた時代。「見合いなんか人間的に欠陥があって恋愛できない奴が結婚する為の最終手段だよねw」みたいな価値観が世間に蔓延っていた。
「そんなんだとモテないよ」「彼氏できないよ」「結婚できないよ」と指摘されてしまうというのは自分の人間性を疑問視され、将来をも危惧されているという重大な問題だったのだ。

「絵が描けて音楽好きっていい趣味なのにさぁ〜、地理とか地学…モテないよ」
「隠した方がいいんじゃない?地図とか、岩石とかが好きなんて…女の子なんだから…」
「合コンでそういうこと言っちゃダメだよ」
「鴎ちゃんはさ〜、ちょっとバカっぽくしなきゃダメだよ!男は頭悪いコの方が好きなんだから!」
「愛嬌だよ、愛嬌❤︎」

そんな感じのことを結構言われたなあ、と思い出す。ひどい時代だった。

地図が好きで、鉄道が好きで、地名が好きで。遠い場所の風景や暮らしを思い浮かべるのが好きで。
山や川や海岸といった地形、土地の高低差、気候、植生。その土地の風景や暮らしを構成するものには必ず、地球という惑星の成り立ちが絡んでいる。何百年なんてスパンは、つい最近のこと。自分が長く感じている5年や10年なんて、秒だ。
だから地学も好きだった。高卒認定の受験科目では、地学を選択したが。

「女の子で地学は珍しいね」

男性講師に、またそんなことを言われた。地学のクラスにいた女子は2人。
そのもう一人が、当時からずっと付き合いのある友人である。
授業が終わってからも地球の成り立ちだとか、ブラックホールの向こう側には何があるんだろう…なんてことを休憩室でずっと話していた。取り留めもなく。

私が地理や地学を好きであることに何も言わなかった人、或いはそのことをさらりと好意的に受け止めてくれた人。「女なのにw」と言わなかった人。そういう人達とは、今でも長く付き合いが続いていたりする。不思議なものだ。

高卒認定の予備校に入学した時、適性検査というのを受けさせられた。文系と理系、どちらに適性があるかを調べる検査。今でもあるんだろうか。
私は理系40%、文系60%というほぼ半々と言っていい結果が出た。だが担任(女性)からこう告げられたのだ。

「女の子だから、理系は考えなくていいね。」

私もこれに疑問を持てなかった。前回のエントリーでも書いた「それがあまりにも当たり前だと思い込んでいて、疑問すら持てなかった」状態。
この頃はまだ当然のように「女性は生来感情的で論理的思考が苦手なので、理系には向いていない」という言説がまかり通っていたのだ。
もっと雑に言うと「女はバカ」「女は頭が悪い」。流石にこういう言い方はされなくなってきてはいたが、高齢の男性はまだ人目も憚らずこんなことを堂々と言えていた時代だった。

そんなひどいことを言われても黙っていたの?と驚かれるかも知れない。黙っていたというか、『虎に翼』の劇中の表現を借りると「スンッ」だ。
何も言わず薄ら笑いを浮かべたり、或いは「あはは、またそんなことをおっしゃる」と作り笑いで応じたり。「スンッ」だ。
当時はまだ「男の人の方が偉いのだから」「男性の方が社会的地位が上なのだから」というのが世間の常識だった。だから女性はどんなに怒りを感じていても、理不尽なことを言われても「スンッ」としているしかなかったのだ。

女は論理的思考ができない。要するに頭が悪い。つまりバカ。
その影響が残っていたのだろう。私達の世代でも、まことしやかに囁かれていたのがこれだ。

「頭のいい女はブスw」
「頭のいい女はモテないw」
「勉強ばっかしてるからオシャレに無頓着w」

論理立ててものを考え話す、理屈っぽい女はモテない。そう言われていた。
「鴎ちゃん隙作った方がいいよ」「地理とか地学好きとか言わない方がいいよ」「バカっぽくしてなきゃ!」「だから彼氏できないんだよw」
私がそんなことばかり言われた理由もこれだ。理屈っぽい女だから。

根底にあったのは「女性が男性よりも秀でているのは好ましくない」「女性が男性よりも前や上に出るのはいかがなものか」という古来からの風潮であり、そこに男性側の「俺より頭のいい女なんかさ〜、俺が見劣りしちゃうじゃん」という歪んだプライドが上乗せされていた。
マッチングアプリなんか無い、合コン全盛の時代。「男に選ばれる」為には目立ち過ぎず、かと言って地味過ぎず、サラダを小皿に取り分けたりしてよく気が利く細やかな女性らしさをアピールし、かつ程よい賢さを滲ませるのがいい。コーデは大人カワイくキレイめ、笑顔も忘れずに!
そんな「どんな女だ」な記事がファッション誌に踊っていた。
あんな戦略立てて化けの皮かぶって合コンに成功して結婚した人って今どうなってんだろうな。ふと考えたりする。

「鴎さん、パソコンとか得意なの〜?え〜、すごぉ〜い。私ぃ、そういうの全然弱いからぁ、彼氏がぜーんぶやってくれるんだ❤︎」

そういう人がよく居たな、と思い出す。このタイプは何故か語尾をだらしなく伸ばす話し方をする。
車の運転、電気系の諸々、力仕事に大工仕事。何も自分で出来ない。やろうともしない。二言目には「ぜーんぶ彼がやってくれるの❤︎優しいの❤︎」
カワイイから、おバカでもいいんだもん❤︎だって、将来は◯◯くんのお嫁さんになるんだもん❤︎
ああいう人、どうなったんだろ。何でも旦那さんに頼りきりの人がたまにいるけど、ああいう感じになったのかな。

まさに「か弱くて、頭があんまりよくない風にしていると男が助けてくれる」→「モテる」という事例。実際こういう人は、彼氏が途切れなかった。だが、何事も距離を置いて突き放して見てしまう癖があった私から見れば。
彼女達は「弱い女の子を守ってやってるオレって何て強くて頼り甲斐があって男らしいんだろう」という彼氏側の自己満足と「男らしくあるべきだ、男らしくしなければ」という強迫観念を利用しているだけだった。
男性の側が彼女に便利使いされているだけのように感じて離れていった…という話も聞いたことがある。そりゃそうでしょう。
今の若い人から見れば「あざと」「キモ」「痛い」「無理」としか思えないだろう。

彼女達は、何故あんなにキモくてイタい振る舞いをしていたのだろう。
いまだにその癖が抜けないのか、語尾をだらしなく伸ばしたカワイコぶりっ子な話し方をする同世代の「おばさん」に時々出会う。若い頃のキモくてイタい癖が抜けていないことに、気が付いていないのだろう。
ファッション誌や、一部少女マンガの「女らしさ」「カワイさ」「モテ」を鵜呑みにして洗脳されていたのだろうか。或いは、母親から教え込まれていたのかもしれない。

「女の子はね、いいお嫁さんになっていいお母さんになる為に生まれてきたんだから、一生懸命勉強なんかしても仕方がないの。かわいく、優しく、女らしくしなさい。男の人に愛される女の人になりなさい。幸せな結婚をして、可愛い赤ちゃんを産むの。それが女の幸せよ」

友達の話を聞くと、そんなことを言う母親は決して少なくなかったようだ。うちの母親は前のエントリーで書いた通り、ずっと仕事を続けたかった人だからそういったことを言うことはなかったが。

時代は、世の中は少しずつ、牛の歩みで変わる。

私が「女の子だから理系は考えなくていいね」と、性別を理由にいきなり理系の道を切り捨てられた数年後、突如として「リケジョ」という言葉が持て囃されるようになった。
髪を巻いてバッチリメイクをして、白い割烹着を着て研究室に入り、世紀の大発見をしたとされた女性研究者が丁度今の大谷翔平みたいな扱いをメディアから受けていたことがあった。結局あのナントカ細胞は、あったんだか無かったんだか。
白い割烹着。あれ、プロデューサーみたいなおじさんがいて、演出していたんじゃないか。「女性だから、古風なお母さんみたいに白い割烹着着て研究してたらイメージいいよね。女性らしくてさ。お化粧と髪も綺麗にしなさい。何しろ女性だからね」みたいな。
どこまでもいい加減なものだ。嘲笑うのも持て囃すのも貶めるのも、結局根っこは同じ。「女なのに」「女だから」。

ジェンダーとか多様性とか、うるせえんだよな〜。めんどくさい時代になったもんだよ〜。昔はよかったなあ!
私より上の年齢でそういうことを言う人がよくいるが、振り返ってみると男も、女も相当ひどくなかった?だから今、これだけうるさく何とかしよう、このままじゃヤバいってことになってんのよ、とも言いたくなる。
ボンヤリとじゃなくて、細かく振り返ってみてよ。「あの頃よかったなぁ〜」「戻りたーい」とかいうノスタルジーおじさんとかおばさんにならないで、思い出補正かけないで克明に思い出してみてよ。かなりひどかったよ。

女の子だから、理系は考えなくていいね。
女の子で地学は珍しいね。
地理学科は女の子少ないから、可愛がられますよ!

思えば勉強したい気持ちを押し潰しにくる「女の子」「女の子」「女の子」に自分も結局負けてしまったような気がする。

私は結局地理学科に進学せず、美術専門学校に進学した。次から次へと押し寄せてくる課題を必死に消化したものの、描いた絵は全て講師に否定され、直され。「私の言う通りに描けば必ず上手くなれる」と言わんばかりに。
鬱になってしまい、絵が描けなくなった。
地理も、絵も、健康も。全部失ってしまった。頑張っていただけなのに。

20年遅く生まれたかったな。

本当によくそう思う。20年遅く生まれていれば「女の子だから」「女の子なのに」を連発されることもなく。絵を描いていると「オタクなの?気持ち悪いw」と言われることもなく。
言葉の圧に抗い続けるのは気力、体力、精神力、とにかくあらゆる力をひどく消耗する。戦い続けることが出来るのは、ごく少数の人だけだろう。
20年遅く生まれたかった。

最近、気付いたことがある。
私より年齢が上の女性は、確かに論理的なものの考え方をすることが苦手な人が多い。
私の母もよく「お母さんはね、そうやってくどくど考えるのが嫌いなの!」と言う。
他の一例を挙げると「ねえ知ってる?あの人離婚したらしいよ。かわいそ〜」とか、「テレビで見たんだけど、中国って街のあちこちに監視カメラがあるんですって。怖いわね〜」とか。

別に離婚した人が必ずしも可哀想という訳ではないと思う。可哀想だと思うなら、何故そう思うのか詳しい理由を教えてほしい。人それぞれ、事情は違うだろう。
中国は確かに監視カメラが多いのかもしれないが、日本も結構な数がある。街を歩いていて、あちこちキョロキョロしていればあっちにも、こっちにも見当たる。中国だけ監視カメラが多いという訳でもないのでは?

論理的ではないので「かわいそ〜」「怖いわね〜」に続く話はない。「but」「because」が無いのだ。で、突然話題が変わる。「そうそう、そういえばあの人〜」なんて感じに。
こういう中高年の女性が多いのは「生来感情的で、論理的思考が出来ない」為だろうか。違う。
論理的思考を育む教育を受けてこなかった、或いは受けさせてもらえなかったからだ。

女の子は、あんまり頭がいいと嫁の貰い手がなくなる。女の子だから、理系は考えなくていいね。
何でも知ってる女の子、男の子はキライだよ?知らないフリして「◯◯くんって何でも知ってるんだねー!すごーい!」っておだてておかなきゃ!
こういう環境が「論理的に考えたくても、論理的に考える方法すらわからない」女性を大勢生んでしまったのだと思う。

私の考え方の癖も今では「論理的」と言われるようになったが、昔は「理屈っぽい」で片付けられていた。その上に「女の子なのに」が乗っかっていた。更にその下に「そんなんだから彼氏いないんだよw」「結婚できないよw」という嘲笑がくっついていたのである。
人格否定、人格否定、人格否定のトリプルアタック。悪いことしてないのに。
地獄だ。

日常生活を送っていて、日本はなんでこんなにデジタル化で遅れを取ってしまったんだろう、とよく感じる。
もし、私世代の女性が「女の子だから理系は考えなくていい」と言われていなければ。
才覚のある、有能な女性がプログラマーやエンジニアになり、今頃大勢第一線で活躍していたのではないか。画期的なシステムを生み出していたのではないか。
そんな夢みたいなことを考えてしまう。今更どうこう言っても仕方がないことだが。過去は過去だ。

先日、こんな記事を見かけた。

「東大の女なんかブスばっかだよw」
「女子なのに東大なんか行っちゃったら、結婚できなくなるよ。」

実際、私が学生の頃はそう言われていた。逆に「◯◯女子大」という名前の学校はポイントが高いとか。だから娘を「◯◯女子大」に入れたいと希望する親も多かった。
バカみたいな話だ。でも、あの頃はそれが常識。それが普通。

理系学部に進む女性は増えた。でも、東大や京大に進む女性は今でもまだ増えない。
これが変わるのも20年後なのだろうか。

可愛がられる為に地理学科行くんじゃないのにな。

私のあの違和感は正しかったのだ。

「なんで?」「どうして?」「それ、変じゃない?」「おかしくない?」「嫌なんだけど」

10代・20代の人達、きっと日常の中でそう感じることが多々あると思う。その疑問を、違和感を大事にしてほしい。
今の時点で「正しい」とされていることは20年後、大抵「あれはおかしかった」「どうかしていた」「ヤバかった」ということになっている。
逆に若い人達が「なんか…」「ちょっと…」と感じていたことは20年後の正しさになっているのだ。

今これだけ流行っている「推し活」もきっと20年後には「どうかしてた」「ヤバかった」ということになっている、と私は思っている。
時代とか、流行とか、世間とか、社会とか。これ程いいかげんで、当てにならないものもない。40を過ぎて今思うことがそれである。

photography,illustration,text,etc. Autism Spectrum Disorder(ASD)