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いい子

 「大体いい子って何よ?親に迷惑かけない子?携帯電話にロックかけない子?テレビの電源消す時は、主電源まで切る子?いい子って何よ?何なのよ!?」

 10年前に大ヒットし、今年の4月から9月までBSで再放送された朝ドラ『あまちゃん』の中で主人公の母親・春子(小泉今日子)がまくし立てる台詞だ。
 若き日の春子(有村架純)は地元・北三陸で有名なスケバン美少女だった。アイドルになりたいという夢を叶える為、高校を中退して上京した。1984(昭和59)年の話。
 春子は「いい子」ではなかった。その春子が高校生の娘・アキ(能年玲奈〈のん〉)を連れ、24年ぶりに帰郷した。
 スケバンの名残たっぷりにキレ散らかしながら地元民達に問いかける春子。いい子って何よ!?

 はて、確かにいい子ってどんな子のことを言うんだろうな。



 春子の時代よりも、そして私が青春時代を過ごした頃よりも「いい子」が求められる時代になっているような気がする。

 その空気を強烈に感じたのが今から5年前。平昌冬季オリンピックで羽生結弦選手が連覇を成し遂げ、仙台の目抜き大通り「東二番丁通り」でパレードをした頃のことだ。
 私は仙台の街が好きで、過去何度か訪れている。東二番丁通りの広さでかさには驚いた。確か片側三車線とか、四車線とか。仙台の街の中心を南北にぶち抜いている。
 あの大通りが通行止めになって、一人の人間を見ようと詰めかけた人で埋め尽くされている。テレビ画面で見ていても俄かには信じられない光景だった。

 東二番丁通りに集った人の多くは中高年、とりわけ女性達だったと記憶している。
 テレビ番組のインタビュー。多くのおばさん、おばあさん達がこんなことを口にした。
 「うちの息子も、孫もあんないい子だったらいいのに…」

 世間の「大人達」は口を揃えてこう言っていた。素晴らしい若者だ。若者には、かくあって欲しい。若者達は、羽生君を見習ってほしい。
 品行方正で、清廉潔白で、しかも見目麗しい優等生。仙台出身で、東日本大震災からの復興のシンボルだ。非の打ち所がない。ぜひ国民栄誉賞を!

 その盛り上がり方はとにかく彼を完璧で欠点のない、理想の若者として褒めそやすもので、彼のライトなファンであった私ですら薄ら寒いと感じた程だった。
 私が好きなのは、羽生くんの美しいスケートなのになあ。何でこんなにいい子だ、人格が素晴らしい、こういう若者が理想的だみたいな話になってるんだ。
 過去にもハンカチ王子とか石川遼とか、年配者からの評判がいいアスリートは居た。だが、この時の中高年主導の羽生フィーバーは異常だった。

 テレビの画面から離れ、実生活に戻ると事情は少し違っていた。
 学生時代の友人達と飲んでいて、羽生くんの話題になった時の会話を先日思い出した。

 私「羽生くん、闇深そうなとこが好き」
 友A「なんか、いい子すぎて心配」
 友B「羽生くん見てると苦しくなる」

 唯一私だけが彼を褒めていたのである。しかも多くの人のように「素晴らしく人間が出来た王子様」として崇めるのではなく「闇が深そう」という大分穿った理由で好んでいる、変なファンだったといえる。
 彼が嬉々としてマンガ『東京喰種』が大好きだと語っていた時点で私は「闇が深い」と直感した。今流行っているマンガは『呪術廻戦』であったり『推しの子』であったりと闇の深いストーリーが多いが、その走りみたいな作品だ。

 年配者と若い世代では羽生くんに対する印象がかなり違っていたように思う。
 彼は、同年代の若者からはあまり好かれていなかった。「いい子ぶっててキモい」「年寄りに媚びててウザい」。そんな悪評も割と聞いた。
 私の身の回りでは中年から上の人もみんな「すごいよね」「綺麗だよね」くらいの、サラッとした好意的反応を見せるだけだった。
 彼は史上最年少で国民栄誉賞を受賞した。日本の人口の多数を占める、高年齢の人々の意向が反映されてのことだったのだろう。

 あれから5年。私達の飲みの席での羽生結弦評がドンピシャで当たってしまった。
 闇が深そう。いい子すぎて心配。見てると苦しくなる。

 彼も苦しかったんじゃないかなあ。実像は東京喰種やモンスターハンターが好きなちょっとオタクな男の子だったのに、大人達からあんな風に理想の素晴らしい模範的な若者扱いされて。
 私の友人が感じた「彼を見ていると苦しくなる」という感想はとても正直で、率直なものだったんだと思う。

 詳しい事情は何もわからないが、ひとつだけ、言えることがある。
 結婚発表のコメントからも、離婚発表のコメントからも「愛」が全く伝わってこないのだ。

 その答えを、4年半前の自分がこのnoteに書き記していた。先日なんとなく過去ログを辿っていて発見し、自分でもびっくりした。書いたことをすっかり忘れていた。
 文章というのは、書いて残しておくものだなとしみじみ思った。過去の自分が現在の自分に語りかけ、助け舟を出してくれることもあるのだ。

https://note.com/akckynicky/n/n32b477c2639c

 無数の敗者の存在があって初めて自身が勝者として君臨していたのだという視点が、この時の彼の発言からは完全に抜け落ちている。
 4年半も前のことだから、彼も成長したかも知れないし変化したかも知れない。だが「他者の存在がすっぽり抜け落ちている」感じのする言葉を発している点は、4年半前と変わっていないという感触がある。

 離婚発表のほんの少し前にチラッと見た「携帯を持ったことはない」という発言にも正直、首を傾げた。
 それこそ年配の方には「今の若い子はいつもスマホばっかりいじってるじゃない。それを持ったことがないなんて羽生くん、さすがだわ。本当にいい子ね」と映るかもしれない。だが、よくよく考えてみてほしい。
 これをスマホや携帯の無い時代に置き換えて考えてみると「家に電話はありません。手紙も書きません。万年筆も、便箋も封筒も持っていないしハガキも切手も買ったことありません」ということになってしまう。
 他者の存在が、コミュニケーションが抜け落ちているのだ。

 いい子ってなんだろう。

 テレビをつけて、情報番組やニュース番組が始まるとまあ毎日毎日大谷翔平、大谷翔平、大谷翔平。いやいや、彼だって移籍先が決まったらちゃんと教えてくれるでしょ。詮索に膨大な時間割いてんじゃねえわ。
 どうやらメディアは「いい子で素晴らしく理想的な若者だった羽生結弦」のイメージが失墜してしまった為、次の「理想的な若者」に大谷翔平選手や藤井聡太八冠を推しているっぽい。年配者は一般的に、離婚を忌み嫌う。

 マイペースな印象のある大谷選手や藤井八冠が羽生くんのようにメディアや年配者、熱狂的ファンに愛想を振りまき、皆様の理想像を演じてくれるとは到底思えない。
 それでも私の両親を含めた高齢者は「理想の素晴らしい若者」をいつだって求めている。母は「いい子で可愛い大谷くん」を、父は「国民的ヒーローの大谷」を。テレビが伝える「大スター大谷の今日の動向」を楽しみにしている。
 「国民的」「社会現象」「スター」という昭和の古びた価値観からもうどうやっても抜け出せないのだろう。今は「推し」と「界隈」の時代なのだと説明したところで、理解出来ないだろうし。

 母に尋ねたことがある。何でそんなに大谷推してるの?と。返ってきた答えはこうだった。
 「べつに。ただいい子だなと思って見てるだけだよ。」
 テレビが垂れ流してくる「いい子」のイメージをただ消費しているだけなのだ。熱心に応援しようとか、そんな気はハナから無い。

 羽生くんは身勝手な大人達に褒められるべく素直に一生懸命、氷の上で踊るように大人達の求める「いい子」を演じ続けた結果、行き詰まってしまったのかもしれない。
 自滅と言えば自滅だろう。だが、私の頭の中には5年前のあの異常な羽生フィーバーが蘇る。品行方正、清廉潔白、見目麗しい優等生。復興の象徴、国民栄誉賞。
 そんなヘヴィ過ぎる期待やら喝采やらを自分よりも目上に当たる人達から何だか知らないがドバッと背負わされてしまったら、一体どうすればいいのか。



 中学生や高校生が夜な夜な歌舞伎町をはじめとする夜の街に集まって、薬をドバドバ飲んでラリったり事件に巻き込まれたりしているという。

 それこそ冒頭で触れた『あまちゃん』の春子の時代だったら「そういう場所に居るのは不良だ」というわかりやすい問題だった。私が若い頃であれば「そういうのはギャルかヤンキー」みたいな。ところが、今はそうではないらしい。
 学校でも家でも「いい子」を演じ疲れた子達がSNSで「あの場所に行くと一緒に薬を飲んでくれる仲間がいる」と知って集まってくるんだとか、そうじゃないとか…。
 私も立派なおばさんの域に片足どころか両足を突っ込んでいるので、リアルな事情はわからない。だが、これだけははっきり言える。

 もう、若い子達に大人の思い描く勝手な「いい子像」を押し付けんの、やめようや。

 別にいいよ、いい子なんかじゃなくても。大人の期待に応えなくていいよ。

 おばさんは悪い子だった。25年くらい前の話だけど。LUNA SEAっていうド派手なビジュアルのロックバンドにハマって、学校行かなくなって、髪を赤とか金髪とかオレンジとか青とかに染めてさ。終電まで友達と遊び歩いてさ。高校にも行かなかった。
 親は、先生は、親戚は良く思ってなかったと思う。でもそんなことは関係なかった。自分にはこれなんだ。音楽なんだ、LUNA SEAなんだ。それしか見えなかった。めちゃくちゃ信じてた。何でだかわかんないけど。
 勉強なんか、からっきししなかったよ。いつも絵ばっかり描いてた。朝から晩まで。夜もあんまり寝なかった。
 その頃はネットとかYouTubeが無いから、深夜のろくでもないバカバカしいテレビばっかり見てた。それが最高に楽しかった。
 ずっとテレビ見ながらコタツで絵描いてると、白々夜が明けてくんの。カーテン開けると、朝焼けがとっても綺麗なの。
 あの綺麗な朝焼けが今のおばさんを作ってる。

 勉強は、18歳を過ぎてからしたよ。22歳の時に高卒認定を取った。
 大人になってから勉強好きだな、と思うようになった。だから今も通信制大学でぽつぽつ勉強してる。歴史とか、文学とか、色々。
 あの頃上手くなりたくて必死で描いた絵は、今でもおばさんを助けてくれてる。絵を描いてたから写真を撮るようになり、小さなカフェで何度か展示もさせてもらった。
 正直お金はあんまり無いし、立派な職業や地位についてる訳でもない。結婚もしたくないからしない。
 子どもは割と好きで、姪っ子甥っ子を溺愛してるけど自分の子は要らない。自分が子供の頃、つらいことばっかりだったからね。
 でも、学歴高くて一流会社で遮二無二働いて、家に帰ればワンオペ育児家事で休みも寝る時間もあんまり無いのに「この地位と生活を手放したら転落してしまう…」って恐怖で病んで行っちゃう「ちゃんとした人」より確実に呑気だよな…結構幸せかも…と思ってる。

 悪い子だったけど、悪いおばさんにはなってない…と思ってる。悪い子がダメなおばさんになった、とは思ってる。
 ダメなおばさんは割と呑気でハッピーです。

 色々あったけど、あり過ぎたけどずっと音楽が好きで、音楽を聴くのをやめたことは無い。今でもロックバンドが好きで、ライブに行ってる。音楽は、おばさんの人生そのものです。

 いい子をやるのに疲れたら、ライブハウスにおいで。薬をドバドバ飲んだりしなくても爆音でトリップ出来るし、ステージの上にはめちゃくちゃカッコいい人達がいる。気が付いたら汗だくになって、笑ってるはずだから。
 いい子になんかならなくていいよ。いい子じゃなくても、人生なんとかなります。

photography,illustration,text,etc. Autism Spectrum Disorder(ASD)