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wowakaさんへ

 こんにちは。あなたに手紙を書くのは、二度目です。
 一昨年の6月1日。あなたの追悼会に設けられたお手紙BOXに入れた手紙が、私が書いたあなたへの最初のファンレターでした。

 思い返してみるとあの日、私はまだあなたが亡くなったということをよく理解出来ていなかったのだと思います。だから、あなたに宛てた手紙を書いた。新木場STUDIO COASTへ行けば、あなたに会えるような気がしていたのでしょう。
 コーストで出会ったあなたは、ステージの上で穏やかな笑顔を見せた大きな写真でした。
 「ごめんなさい…」
 遺影に手を合わせ、泣きながらそう呟きました。生きているうちにあなたの音楽を見つけることが出来なくて、ごめんなさい。
 本当にごめんなさい。私が、感受性をきちんと使っていなかったせいです。アンテナをきちんと立てていなかったせいです。ボーッと生きていたから。だから、あなたが生きているうちにあなたの音楽に、あなたに出会えなかった。
 今でも、後悔は消えません。きっと、一生悔やむと思います。

 新木場で、幾らかの写真を撮りました。この日を記録しておこうと思いました。
 あなたの撮った写真も、大好きです。本当に魅力的だと思う。インドで撮ったものも、メンバーを写したものも。そこには、紛れもない「wowaka」が写っています。あなたという人間や、あなたという感性が写っています。私は、そういう写真がとても好きです。
 あなたの写真展も、見てみたかったな。『シャッタードール』もいまだに持っていません。何で限定生産だったんでしょう、あれ。

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 私はツアーのチケットを持っていなかったので、献花をして西槇さんの撮った写真たちを見た後、本郷へ行きました。何処へ行けばいいのかわからなくて、あなたの母校を訪ねたんです。
 其処でもやっぱり、写真を撮りました。超フォトジェニックな学舎でびっくりしました。もしかしたら、あなたが教えてくれたのかもしれないと思いました。「ここはいいやつ撮れるよ〜」って。

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 『SLEEPWALK』を初めて聴いた時のことを、今でも鮮明に憶えています。お風呂上がりに洗面所で、radikoをザッピングしていました。いつもは聴くことのない仙台のdate fmにチューニングを合わせたら、耳を引く曲が流れてきました。
 「うわあ、すごくいいなあ」。
 それが『SLEEPWALK』でした。ヒトリエ、名前だけなら知ってる。wowakaって人、確かボカロPだ。今度アルバム聴こう…
 9日後、あなたは亡くなりました。
 あの年は、桜がとても長く持ちましたね。早く咲いて、長く持った。
 ツアーの中止が発表になった時「どうしたのかな」と思いました。まさか、そんなことが起きているなんて思ってもみなかった。
 あなたが旅立った日に撮った写真ね、何だか知らないけど物凄く綺麗なんです。空気が澄み渡っていて、色が物凄く鮮やかで、光が踊っている。
 まるで、あなたの音楽みたいですよね。

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 訃報はあまりにもショックなものでした。でも、ラジオで『SLEEPWALK』を偶然聴いた時に思った「アルバムを聴こう」という意思は、揺らぎませんでした。だって、音楽は死なないのだから。
 聴いて、びっくりしました。大変だ。天才じゃないか。何でこんな凄いバンドが、こんなに凄い人がいたことに気が付かなかったんだろう。
 そこからはもう、沼です。ヒトリエ、すごすぎる。こんな音楽、聴いたことない。

 小学校高学年の頃から音楽を聴き続けていると、「注目の新人」やら「ネクストブレイク」やらとの触れ込みで売り出している人の曲を聴いても「ああ、○○に似てるな」「○○が大好きなんだろうな」という感想で終わることが多くなってしまいます。だけど、ヒトリエは違った。あまりに新しく、あまりに常識破りだった。
 ナンバーガール。普通、あのバンド好きだと「ああ、ナンバーガール大好きなんだろうな」って音楽になるじゃないですか。でもあなたのは、違いますよね。「一体どのへんがナンバーガールの影響なの?」と首を捻ってしまいます。似てるのは『アイマイ・アンドミー』の「セッ」っていう掛け声くらいでしょうか。
 あなたの音楽は独創的であり、革命的であり、発明です。かつての私のように、気付いていない人や知らない人が多いだけです。

 10年とか、それ以上前にあなたが作ったボカロ曲も、いつだって新しく聴こえます。古びない、色褪せない。
 テンポが速くて早口な、ボカロで作られた曲。それを、世の中の多くの人は去年辺り突然出てきたものだと思っています。マスコミも、そう伝えます。でも違う。あなたは10年以上前に『裏表ラバーズ』でそれをやっていた。
 2017年に『アンノウン・マザーグース』を、先ずは初音ミクを用いて発表し、その後ヒトリエでセルフカバーした。人間が歌えないような機械の歌を、あなたは幾つも創り出して自ら歌った。
 あなたは、ずっと前にとっくにやっていた。そのことが余りにも知られていない。悔しく思います。
 『ワールズエンド・ダンスホール』。「一人でも、パソコンとスピーカーがあれば部屋で踊れるよ」という曲だとインタビューで話していましたよね。先見性があり過ぎて、まるで予言者みたい。
 今、大体の人がみんな、部屋で一人で、画面を前に踊ったり歌ったりしてますよ。ライブハウスとかクラブとか、集まっちゃいけないんで。カラオケも危ないから、ダメだって。
 このコロナ騒ぎのこと、あなたは知っているんでしょうか。
 私はね、知らないでいてほしいなあって、そう願ってしまうんです。あなたが知ったら、きっと心配するでしょう。
 大きな地震が起きると「地震大丈夫ですか?心配です」って、ツイッターで案じたりしてましたよね。そんな優しいあなたに、心配かけたくないんです。もう苦しんだり悩んだり泣いたりせず、安らかに穏やかに、幸せでいてほしいから。

 バンドを始めた理由を、ヒトリエを始めた理由を「矢面に立って、自分の体と声で歌わないと死ぬと思ったからだよ」と記していましたよね。
 その意味が今、とてもよくわかる気がします。画面の中だけで全てが完結する世界なんて、生きている気が全くしません。それをあなたは、10年も前に既に経験していた。
 それから6年後、『アンノウン・マザーグース』という曲を作り上げたことによって、画面の中と外を隔てる壁を遂に壊した。バンドだとかボカロだとかいう壁を壊した。
 初音ミクを母だと言った。ずっと愛していると言った。
 概念だったはずの、命なき初音ミクに命を与えた。とんでもないことだと思います。
 あなたは、誰もいない道を行った。道なき場所に道を作った。その道を辿っているのが、今シーンの第一線で活躍しているボカロP出身の後輩達なのだと思います。
 あなたの音楽とあなたの生き方は、寧ろこれから必要とされるはずです。
 あなたは、勇敢だった。不器用で、真っ直ぐで。かっこよかった。

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 追悼会から一ヶ月が過ぎた頃、思いがけないことが起きました。あなたのご家族から、追悼会に置いてきた手紙のお返事が届いたのです。
 あの手紙に私は、住所と本名を記しました。本名と住所を記すのが礼儀だと思い、書いただけでした。まさか、お返事が来るなんて思わなかった。
 きっと、あなたのツイートにも何度か登場した、お母様でしょう。誰よりもお辛いはずなのに、とてもご丁寧なお手紙を頂きました。恐縮を通り越して、申し訳ないとすら思いました。
 私はあの手紙に、何だかトンチンカンなことを書いたのです。ミクちゃんは実体のない存在だから、きっと今頃初めて画面越しではなく出会うことが出来て、一緒に音楽を作っているのだろうとか。
 私も、まだ相当混乱していたのでしょう。そんなおかしな手紙を置いてきてしまったのに、お返事を下さった。
 今も、大切に持っています。時々、読み返します。優しい文面に、心が慰められます。
 『初音ミクは僕の母親です』
 全てが腑に落ちた気がしました。
 あのお母様に育てられたから、あなたはあんなにも素敵な人だったんですね。

 ミクちゃんと一緒にいるかもしれない、という考えは、実は今でも持っています。
 ミクちゃんって言ってみれば概念なので、多分、肉体を持った状態では会うことが出来ないんですよね。でも、肉体から解き放たれた存在になったらどうでしょうか。
 今や世界中の、余りにも多くの人の思い入れが込もったあなたのミクちゃんは、「概念」と言うより確かな「存在」です。でも、この世には身体が無いと存在出来ない。
 じゃあ、身体を依るところとしない世界ではどうか。肉体を持たない、実体のない者同士は、出会える可能性がある。そう考えています。

 私は、あなたの存在自体が消えてしまったとは考えていません。私があなた亡き後もずっとあなたの音楽に、あなたの世界に、あなたという人に惹かれている以上、その時点であなたは確かに存在します。私だけじゃない。あまりにも多くの人が、今でもあなたを愛しています。
 左右が反転した世界とか、上下がひっくり返った世界とか、無いとは言い切れないですよね。無いと立証した人は誰もいないのだから。
 或いは宇宙の涯てのブラックホールの向こう側。ニュートリノの実験で知られる、反物質。私達が物質として存在しているなら、反物質の世界もあるのではないかと、私は考えています。
 喜怒哀楽を極めて宇宙まで行きたいって、言ってましたよね。
 あなたは、肉体を離れて何処へ行ったのか。そのヒントは、あなたの言葉に隠されているような気がしてなりません。

 そうそう、それから私、一昨年の9月に鹿児島へ行きました。一人で。
 どうやったらあんなに型破りで奇想天外な、常識破りな音楽を作れるのだろう。あなたの故郷・鹿児島に行ったら何かわかるんじゃないかと思って、行ったんです。しかも新幹線で。
 あなたの節回し、ファルセットの使い方。何だか奄美の島唄に似てるな、という印象が最初からありました。それで、鹿児島に行けば何かわかるんじゃないか、という発想になりました。
 私が滞在している間中、桜島は物凄く灰を噴いていました。それはもう、凄かったです。聞けばあれ、噴火自体大したことがない時もあるし、風向きで灰の降る方向が変わるらしいですね。噴煙が空高く上がって、大量の灰が鹿児島の街に流れてきたあれを目撃出来た、写真に収めることが出来た私は、ラッキーだったのでしょうか。

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 「灰の降るそれはもう変な街」と、鹿児島のことを形容していましたよね。確かに、濛々と高く噴煙が上がっていても驚いているのは観光客だけでした。市民平然。
 帰りは何故か台風が進路を変えて鹿児島を直撃する勢いだったので、鹿児島中央から東京まで新幹線乗り継ぎで帰りました。新大阪でもう心が折れました。東京駅で激しい動悸に襲われて、本当に死ぬかと思いました。
 貴重な経験になりました。あなたのおかげです。あなたの出身地でなければ、行くことはなかったでしょう。
 また行きたいな、と思っています。
 素敵な故郷ですね。
 『November』を聴く度、鹿児島のあの、灰に煤けた鈍色の街を思い出します。灰被りの街の中で、路面電車やバスだけがとても鮮やか。見たことのない、不思議な風景でした。

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 あなたの音楽に、あなたの存在に出会っていなければ経験しなかったことが山程あります。
 プロジェクトセカイも、あなたの曲が好きでなければやらなかっただろうなあ。あなたを通して初音ミクのことをちゃんと知って、可愛いと思わなければやらなかった。あのゲームをやらなければ、歳と共に衰えていた私の瞬発力や俊敏性は更に失われていたでしょう。
 部屋はヒトリエのグッズと、スヌーピーと初音ミクで溢れ返っています。

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 あなたの発言や歌詞は、時々私の理解の範疇を超えています。何とか理解に近付きたいと思って、色々な本を読みました。宇宙の本、夏目漱石、養老孟司先生の著書。
 あなたは亡くなる前年、インドを一人旅していました。ガンジス川のヴァーラーナシーを訪れていました。『HOWLS』の詞世界はそれ以前にも増して仏教的だった。だから、仏教についても勉強した。
 すると不思議なことに、死がただ悲しいことや忌むべきもの、恐ろしいこと、最悪なこと、全ての終わりではないのだと考えるようになりました。
 昔、祖母の法事で「この世は仮の世界。死後の世界こそが本当の世界」であるというお坊さんの法話を聞いたことも思い出しました。
 だとしたら、4月5日はあなたの2つ目の誕生日です。あなたが、新しい世界に生まれたもう一つの誕生日。
 数ヶ月前に通りかかったお寺の掲示板に、こう書いてありました。
 『人生は長さじゃない 深さです 幅です』
 本当にそうだなと思いました。
 死は誰にでも訪れるものです。あなたの場合、それが大勢の人に比べて早く、突然だったのは事実でしょう。でもその生涯の深さと幅を思う時、決してあなたの死は「最悪」ではないことがわかります。
 あなたのお陰で、私の世界は確実に広がっていると言っていいでしょう。あなたは、もういないはずなのに。
 だから、いなくなった訳じゃないんですよね。こうして、一人の人間に多大な影響を与え続けているんですから。つくづく、とんでもない人だなと思います。

 取り留めもなく長くなってしまいました。読むのも、そろそろだるくなってきた頃でしょう。
 「もっとあなたの新曲を聴きたかったな」と、ずっと思っていました。でも、今は少し違います。聴けば聴く程に独創的で緻密に作り込まれていて、手や力を抜いた曲が一切無い。たった10年でこんなに膨大な曲数を作ったのだから、これ以上を求めるのは酷だ。もう、ゆっくりさせてあげよう。思う存分激辛麺を食べて、お酒を飲んで、こっちに居た頃は音楽のために犠牲にしてきたこと色々、楽しんでくれればいいじゃないか。そう思うようになりました。
 ヒトリエは大丈夫です。あなたが誰よりも信頼した、あの3人なら大丈夫。
 『REAMP』、聴きましたか?私はなんだか、あなたがあれを聴いたら「うわー、それ、おれの引き出しにないやつだ。ちくしょー」とか「それ!おれ、そういうのやりたかったんだよな。ああ、ちくしょー!」とか、そんな感想を抱くんじゃないかなって気がしてます。
 すごい3人ですよね。そして、ユニークで愉快な3人です。あなたが「この3人と出会えてなければ音楽やめてる」と言っていたわけが、よくわかります。

 私が初めて聴いたヒトリエの曲『SLEEPWALK』。
 「あたしをやろうぜ」
 もう、大好きを通り越して座右の銘になってしまいました。
 「あたしをやる」こと。それは、あなたの生き方さえもなぞらないことを意味します。あなたのように生きようとしないこと。あくまでも私は「あたしをやる」。そうすることが、恩返しになるのかも知れません。

 あなたの音楽を伝え続けていきます。あなたという不世出の天才のことを、笑顔が柔らかで優しくて、でも大層ムチャクチャな、愛すべき素敵な人間が居たことを伝え続けていきます。
 安心してね。安心して、休んで下さい。笑っていてください。
 あなたには、一生かなわない。ありがとう。いつまでも、大好きです。


photography,illustration,text,etc. Autism Spectrum Disorder(ASD)