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迷い子

前にも書いたエピソードかもしれません。

幼稚園の時、母同伴で遠足に行きました。
帰りに街を歩いている時、人混みの中で母や友達の家族とはぐれてしまいました。
気づくと知らない人ばかりの雑踏に1人取り残されていました。幼稚園生が1人で居るのに誰も助けてくれません。
私はしばらく黙って母の姿を探していたけれど、これではダメだと思い、大声で泣きました。
泣いても誰も声を掛けてくれないので、今度はわざと転んでみました。
それでも誰も気に留めてくれないので、泣きながら転ぶということを繰り返しました。
おそらく、わざとやっているので、変な泣き方と変な転び方だったと思います。
ようやく親子連れのお母さんが声を掛けてくれて、街の交番に連れて行ってくれました。
後から母が交番に駆け込んできて、私は無事に引き取られました。

よくある迷い子の光景かもしれませんが、子どもの私にハッキリとした記憶が残っていることが珍しいかもしれません。
迷い子になりそうな予感がしたことも覚えています。
母が露店の買い物に夢中になっていて、私が別のところに気を向けた瞬間、母の姿が見えなくなっていたのです。

この記憶が、私の現在の習い性にも深く結びついているのではないかと、最近感じました。
それで、当時の詳しい状況を、私の断片的な記憶から探ってみようと思います。

まず、買い物に夢中になっている母から、自分で距離を置いたのではないかと思われます。
これまで書いてきたように、母の、私に対する態度はとても冷たく、私の存在など居ても居なくても良いのではないかという疑念を、すでに幼稚園生の頃から感じていました。
買い物に夢中になっている母も、私が居なくなったら心配して探してくれるのではないか?
子どもながらにそう考えたのではないかと思います。
妹を抱っこして、友だちのお母さんたちと楽しく話している母の後ろ姿が、とてもうらめしかったことを覚えています。

そしていざ迷い子になってみると、とても孤独で恐怖で耐えられなくなりました。
これだけたくさんの大人が行き来しているのだから、母でなくても、誰か私を助けてくれるはず。
そう思って歩き出したものの、誰も声も掛けなければ、私の方を見てもくれません。
だんだんと「これではまずい」と思うようになり、まずは大声で泣いてみました。
自分では大声だったつもりが、全然声が出ていなかったのかもしれません。
人混みなので声もかき消され、まずは私に注目していないと私が泣いていることにも気づかなかったでしょう。
結果的に私は『小さな子が1人で泣いて歩いていても、誰も気に留めない』という社会の冷たさを実感することになります。

仕方なく、大げさなパフォーマンスをすることにしました。泣きながら転ぶ、という作戦です。
前に転ぶのは怖いので、踏み出した足を大きく広げてズルッと開脚をするという転び方を繰り返しました。(当時自分でもその滑稽さを自覚していたんです)
半ばヤケクソになっていたところに、親子連れが声を掛けてくれて、交番に連れて行ってくれたのでした。

これが何故、今も習い性になっているのかといえば、集団で行動する時、私は必ず一歩後ろか、少し離れたところにいます。
自分がその輪の中心に居てはいけないという強迫的な心理が働くのです。
しかし輪の中に居ないため、そこで何が起きているのかわからない時があります。
結果的に出遅れたり、みんなの足でまといになったりして、悪目立ちしてしまうのです。
では、全く1人で行動すれば良いかといえば、孤独になる不安から、それもできないのです。
私1人で行動していると、みんな私の存在そのものを忘れてしまう。それがいちばんの恐怖だからです。

母が買い物に夢中になって、私の存在を忘れていた。→私はどうでもいい存在
母以外にも私を認めてくれる人が居るはずだ。→誰も気にも留めない
やっぱりひとりぼっちはとても怖い。何かしらやって、誰かに見てもらわなければ!→バカらしいと思ってもいい!誰か私に気付いて!

その必死で強烈な思念が、
集団から一歩身を引く
全く個人で何かを行うのは怖い
直接対峙する勇気がないので、自虐的なことで輪に入ろうとする。
という、支離滅裂な行動につながってしまうことがあるのです。

迷い子になったこの出来事そのものが影響しているわけではないと思います。
おそらくその前から、そのような行動で母の気を引こうとしていたのではないかと思います。
その集大成(?)が『迷い子事件』だったのです。

私が、矛盾した行動を取り、結局は自分が追い詰められてしまうという習い性の象徴的な出来事なのでしょう。
だからこそ、このエピソードが鮮明に記憶に残っているんだと思います。

根底にあるのは
ー 見捨てられることへの恐怖 ー
集団の中に入っていけないのは、私が集団の中で目立って外れたことをした場合、みんなが私に違和感を覚えて、孤立する。
それが怖いからです。

当時、母に「買い物していないで、私を見ていて」と言ったとしても、「勝手に自分でついて来ればいいじゃない!」とそっぽを向かれることが一番怖かったのかもしれません。
母にそう言われることに、私は耐えられたのか?
耐えられなかったからこそ、幼い単純な脳みそで編み出した方法が、迷い子になって母以外の誰かの注目を浴びるということでした。

交番から私を引き取った母が、私を褒めました。
「あなたが、住所と電話番号を言えたことに、おまわりさんが驚いていたわよ。よく躾けられていますねって!」
どんなに頑張っても、母は私の欲しいものをくれる人ではないと証明された瞬間でした。

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