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若い頃の無謀

親から受けた仕打ちが明らかになるうちに、わたしはまるで鏡の国に住んでいたようだなと思うようになりました。
親が「○○しなさい」と直接指示することに対しては、思春期以降は、言われたことそのものが面白くなくて反抗する、ということが多かったのですが、そうした『反抗期』も実に幼稚なもので、自分でも良いと思っていることさえも、『親が言うからやりたくなくなる』という感覚だったのです。
つまり、自分に必要なものを選んで、自分の意思に反するものを拒否していたわけではなく、『親が言うことが気に入らない』という、その過程だけで拒否していたのです。
この幼稚な反抗期は、つい最近まで(もしかして今も)続いていました。

まだ結婚したての頃、結婚祝いにと母親が鍋のセットを買ってくれたのです。おそらく十数万円したのではないかと思います。
こういうものをドンと買う時、母親の知り合いが扱っているとか、知り合いに勧められたとか、あるいは訪問販売に引っかかったとか、そんな感じでした。
私のために探しに行ったり、私が欲しいと言ったものにお金は出さないが、知り合いが『買ってちょうだいよ』と言ってくると、身内をダシにしていくらでも出す。そういうところが見え見えだったので、私は母にもらった鍋を前に文句を言いました。
10種類くらいの大中小様々な大きさの鍋のセット。新居のキッチンは狭く、いったいどこに仕舞ったら良いのかわかりません。
だから「置く場所が無いから要らない!誰かにあげて!」と突っぱねていました。
すると、遊びに来ていた叔母が「あら!良いの?これだけ貰うわ!」と、新婚家庭には一番重宝しそうな最も小さなミルクパンを持って行ってしまったのです。
「しまった!あれだけは欲しいと言うべきだった」と思ったのも後の祭り。
結局、返品も出来ないし、あげる人も居ないからと、中から大の鍋を持たされました。
ところがとても長持ちする物だったので、今ではその鍋がちょうど良く使える。むしろ小さいと思うくらいです。

母がどんな経緯で私に『押し付けた』としても、悪い物ではないというものは、たくさんあります。
でもその物の価値よりも、母が私の意思や気持ちを無視して、自分の見栄や体裁のために用意したというのが許せない。
そんな風にして若い頃は『反抗期』を気取っていました。

親から受けた仕打ちを分析していくうち、その『反抗』も、実は母の価値観を自然に取り入れてしまっているからこその行為だと気づいたのです。

幼い頃から、母親が『良い』というものは、他の誰が良くないと言っても選んでしまう傾向がありました。いや、私が選ぶ以前に当然のように選ばされていたのです。
母は『本物』ではなく『本物に近い偽物』を選ぶ傾向がありました。何故かというと、質がそれほど変わらなくてより安い物を選ぶことに執着していたからです。
同じ金額を出すなら、似たようなものでよりたくさん買った方が良いと思い込んでいたのでしょう。
学校で使う教材なども、学校で注文せずに必ず量販店で調達してくる。だからみんなと違う持ち物が多い私はそれがすごく嫌でした。

ある時など、図工で使う竹ペン用のインク瓶を、空き瓶と綿と墨汁で作って持ってくるように言われたのですが、私が空き瓶が無いか聞くと母は、「これでいいじゃない!これを持っていきなさい」と、自分が使っている筆ペン用のインクボトルを持たせたのです。
当然クラスメイトからも担任からも白い目で見られ、インクの出も悪くて大した絵が描けず、情けない思いをしました。
しかも言われた通りに作ってこなかったので、忘れ物として叱られる羽目になりました。
この時ばかりはお金が掛かるものではありませんでしたから、母は『人と違う物』に価値を見出していただけか、空き瓶を探し出すのが面倒だったのか、母の置いている価値がどこにあるのか分かりませんでした。
まだ小学校の低学年だったけれど、私が、母の勧める物はロクなものではないと実感した出来事でした。

その他にも、母が世間とはズレた価値観を持っていることを目の当たりにしてきて、それが高じて母が勧めるものはロクでもないと、全て拒絶するようになってしまったんだと思います。
しかしそれは、裏を返せば、世の中に母の基準と母以外の人の基準という二極しかなく、母の選ぶ物と反対の物が良いものという単純な発想でしか無いのです。
まっさらな状態で、自分で探し出すことは出来ないのです。
鍋が必要だといっても、どんな鍋が欲しいのか、自分ではわからないのです。

『とりあえず、母のやることには反対しておけばいい』
という価値観を取り込んでしまった私ですが、敢えて母の趣味と全く異なる物や母の嫌う物を選ぶ度胸はありませんでした。
度胸というより、発想できなかったというのが近いかもしれません。
母が選んだものに文句を言って拒絶しながらも、結局似たようなものを選んでいたのです。
つまり幼い頃から身についた『狭い感覚、狭い嗜好』の中でしか物事を選べないのです。
その上で、母の選択を排除するのですから、本当に本当に狭い世界に生きることしか出来なくなってしまいました。

若い頃、交友関係が広がると、夜遅く帰るとか、オールナイトで遊ぶとか、多少なりとも母の思う基準をはみ出す快感を覚えました。
しかしどこか虚しい。
それは自分がそうしたいと心から思っているわけではなくて、これまで母の言う通りにしてきた自分を超えたような錯覚に陥っていただけなのでした。

若い頃の『無謀』
それは大人に反抗したくて無謀になるのか、
自分の情熱が抑えられなくて無謀になるのか、
二者の違いは天と地ほども違い、年齢を重ねるほどにその違いの大きさを実感するようになるのです。

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