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子どもの権利

国連の、子どもの権利条約について、日本ではどのように扱われているのか、わかりやすく解説している記事がありました。

社会福祉の勉強をしているときに、子どもの権利条約の成り立ちや、日本が批准した経緯などを知りました。

実は日本では、国際的に児童の権利が叫ばれるようになる前に、児童憲章というものを出しています。児童福祉法などは、戦後すぐに制定されています。
児童関係の法規については世界でも先駆的な取り組みをしてきた国なのです。

児童憲章は、世界に先駆けて、子どもの権利を表明し、しかも憲法や日本の社会の実情に合わせて、社会全体で子どもの命を尊重し、育てていこうと謳っています。

そんな意識の高かった国が、今や、あまりにも子どもの権利に疎く、子どもに過酷な運命を強いるような国に成り果ててしまいました。

子どもの権利条約に批准したのは、世界で158番目。
批准したあとも、まったく法整備をすることなくずるずると『課題』を先延ばし……。
ようやく昨年『こども基本法』が制定され、こども家庭庁を設置する運びとなりました。

こども家庭庁についても、大人の都合を優先するような内容も多く、各所から非難を浴びています。

そもそも、権利を擁護する前に、子どもが権利を主張できるような環境、あるいは大人の姿勢が整っているのでしょうか?

国際的に見れば、
紛争や貧困と隣り合わせの国では、子どもの権利どころか、国民の生存権すら軽んじられているところが多いです。
大人も子どもも、その日生きるのさえ大変な国では、人権など二の次です。

しかし、日本はそんな危機的な状況ではありません。
子どもが育つには、豊かで清潔な環境が十分確保されているはずなのですが……。

世界でも、もっとも早く子どもの人権に注目した国。
世界的に見ても、子どもの育つ環境が十分に整っている国。
それなのに、自信を失い、苦しい生活をする子どもが絶えない。

子どもの自殺が世界でトップレベル
子どもが貧しくて、ボランティアに頼らなければ食事も満足に摂れない子がいる 
勉学以外の理由で学校から追いやられ、学校以外では必要な教育を受けることもできない

いったい、なんという国なんでしょうか?日本という国は!
そんなに金があって、設備も整っていて、人口も多いのに、苦しむ子どもが多いとは何事だ!

世界の人たちにとっては、不思議でならないでしょうね。

子どもの人権を擁護できない理由は、経済的なことでもなく、治安の悪さでもなく、紛争に巻き込まれているわけでもない。

世界では、子どもを守ってやりたくてもできない国が山ほどあるのに、日本はいったい、何がそれを阻んでいるのでしょうか?

私は、その理由について、こんなふうに考えます。
かなり偏見も入っているかもしれませんが……

戦後の混乱で、多くの子どもたちが路頭に迷い、自力で生き延びました。
その子どもたちは、大人から守られるという経験もないまま、大人になり、高度経済成長を成し遂げるまでに国を発展させました。
その子どもたち=団塊世代の人たちは、大人に守られなくても生き抜き、しかも国の経済をトップレベルにまで押し上げた自負がある。
自分たちが出来たことを、子どもができないはずはない、と、次の世代に敢えて負荷を重くするような子育てをしてきた人が少なくないと思います。

社会が豊かになったにも関わらず、子どもには敢えて厳しい条件を与えてサバイバル精神を植え付けようとする。
本当に、経済的、治安的に厳しい社会ではないので、子どもの鍛錬に必要な材料を敢えて作らなければなりません。
その材料が『教育』だったのです。

つまり、日本で言うところの『教育』は、子どもが自発的に受けたいと思うものではなく、強い国民を作るための鍛錬の道具として用いられた。
だからこそ、画一的な教育を、大勢の子どもに一斉にほどこす体制が未だに残っているのです。

鍛錬の場である学校からこぼれ落ちた子は弱い個体。だから社会としては救わない。
ついていけない子や、集団の輪を乱すような子を、暗黙のうちに学校から排除する →過剰指導、いじめの横行。

そんな『根性焼き』精神から抜け出せなくなってしまっているのではないかと。

家庭での虐待の背景には、我が子が、そうした社会の『根性焼き』に耐えられない弱い子になってほしくない、社会から排除されたくない、という親の焦りがあるのではないかと思うのです。

日本では、人が生まれながらにして素晴らしい才能をもっている、とは認められていなくて、
空っぽの肉体に、厳しい負荷をかけることで、強い人間が育つという発想が未だにあるのでしょう。
そんな国民性が色濃く残っているうちは、

子どもという個の存在
人権という個の権利

を尊重しようという意識は、どうやっても浸透していきません。
いい加減に、学校を、『軍隊教育』から抜け出して、本当の教育機関として機能できるような場所に変えませんか?

根性焼きで人間を育てるなんてことは、何の成果も生まない悪い妄想です。
それで壊されていく子どもたちがあまりにも多い。被害の方が甚大なのです。
この恐ろしい発想を何とかしてひっくり返さなければ、世界が何を言おうと、世界から日本が立ち遅れて行こうと、何も変えられないでしょう。

子どもは
全ての人は
誰にも、何にも忖度せず
自由に生きる権利があるのです。
社会はその個を支えるものであり、
個が社会から制約を受けることなど、
決してあってはいけないのです。

児童憲章を作った時代の大人たちは、まだ日本が狂う前、戦争で被害を受けた子どもたちが、どうにかして健全に育ってほしいと願っていたのでしょう。

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