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特別な何かを探索する旅ではなく、日常生活という日々にて、私を探索する

私達は時折、何かを求めてさまよいます。

人によっては、
「時折」ではなく「常に」
という人もいるかもしれない。
当てもなくさまよう時もあれば、
特定の何かを求めてさまよう時もある。
名前も形もわからないけれど、
答え、あるいは、ヒントのような何かが、
きっとあると信じて進みます。



探索は入口から入り、さまよう。
ゴールは出口とは限らず、
道すがら遭遇する宝箱かもしれない。



- 探索 -



さて、宝探しに来たのではなく、
答えを求めてのさまよいなので、
これはなかなかにネガティブ。



トレジャーハントの物語には、
夢か希望が込められているもの。

歪んでいようが、邪悪であろうが、
探索者が抱くのは、そういうポジティブな気概。


「ネガティブだったら宝が見つからないのか?」
そういうことではないのだけれど、
スタートからゴールまで、
それはそれは苦難の道のりに
なるのではないでしょうか。
少なくとも、【足は重い】でしょう。


求めているものが大きかろうが小さかろうが、
嫌だな…とか思いつつの宝探しは、
どうにもアンバランス。
足は重く、腰が引けつつ、頭は不快。
例えば、
その分かれ道を右に進めば宝が見つかる!
という分岐点に来たところで、
求めているのはきっと、



左に進むではなく、
右に進むでもなく、
立ち止まるでもなく、
引き返したいだけ。


それはつまり、
【求めていない】
のです。


「私は本当に答えを求めているのだろうか?」
これは単純で、当たり前のような
問いかけではありますが、
とても重要な一手です。


現状がどうにもこうにも
上手く行っていないならば、
どうにかしたいと足掻くこともあれば、
嘆くこともあれば、神様に頼りたくもなります。
そんな時、現状打破となる答えを私達は求めます。
それはごく自然な気持ちです。
しかし、
そうしてもたらされる答えがあるのだとしたら、
例外なく【変化】であるはずです。


日常生活にエッセンスを加えるような
【小さな変化】から、
考え方や価値観、環境などを
がらっと変えなければいけない
【大きな変化】まで。




時代の流れというものが目まぐるしい昨今、
激動と呼べるような変化をする人達も、
多くいることでしょう。
変化に苦痛を伴うかどうかは、
人それぞれであり、感じ方それぞれ。
しかしながら、
【これまでとさほど変わらない気持ちのままで】
というのは、
なかなかズレているようにも感じます。



レベル1という小さな変化が起こり。
レベル2、レベル3と、
着実に経験値を上げていき、
ついに到達しました!レベル10!
・・・という、ゆるやかな上昇とは限りません。



レベル1という小さな変化の後、
「やるべき使命があるので、待っていられません!」
と神様が出張ってきて、
いきなりレベル9の課題を
ドンと置くかもしれません。
「大丈夫。10は無理っぽいけど、9ならなんとかクリア出来る難易度だから!」
と、満面の笑みを見せてくれるかもしれません。



強制終了ならぬ、
効率的レベルアップのための強制イベント!
ですかね。


これはまあ、例え話であって、
ファンタジー要素満載ではありますが。
けれど、捉えようによっては、
こんな風に展開されている可能性はあるわけです。


希望に満ち溢れた変化の道のりか。
苦痛をともなう変化の道のりか。
その時々で変わるでしょうし、
希望だけの道も、
苦痛だけの道も、
無いでしょう。



不快、とまではいかずとも。
これまでとは違う選択肢、違う道なのですから、
違和感のようなものは、生まれて当然です。


「私は本当に答えを求めているのだろうか?」
答えを求めての入口も、
進んだ先の道のりでも、
このような問いかけは、
きっと必要になってくる。



入口に入らない選択肢をした場合も、
また時期が来ます。
その時には改めて、
世界はあなたに問いかけるでしょうし、
あなたも自分に問いかけるでしょう。



目を見開き、
見たいものを見るために。



耳を傾け、
聞きたいものを聞くために。



それに、きっと、
あらゆるタイミングが揃った時には、
希望とか、苦痛とか、
そんな諸々を考える必要も余裕もないくらいに、
自然に選んでいるはずです。



そのための問いかけ。
答えを求めての探索だけではなく、
私自身を知るための探索。



それは旅のような、
非日常で特別なものだけではなく。



呼吸して、食べて、寝て、自然を味わうような、
日常生活という名の、探索です。