こわいよね、って話
例によって今日も深夜…早朝に目が覚めてしまったので、何かを書こうかな、とPCを立ち上げた。
ここのところ、素敵な人たちとお会いする時間が続いていて、私のために時間を遣ってくださって本当にありがたい。わたしも誰かのために心を遣える人でありたい。
私は人と会話のキャッチボールをするのがとんでもなく苦手。苦手という自覚があるから、より難しい。
今日は、なんで難しいのかな、ってことについての考察。
結論から言うと、こわい。
臆病なんです、わたし。
ボールを投げるのもこわいし、ボールが飛んでくるのもこわいし、ボールを受け取るのもこわい。相手が気を遣って、ボールを転がしてくれたとしても、そのボールを拾い上げるのもこわい。
自信はないのに自意識は強い、っていうチグハグさを拗らせてる。
うまく投げられない、うまく受け取れない、っていう不安と、うまく投げなければ、うまく受け取らなければ、っていうプレッシャーのせめぎあい。
結果的に動けなくて、プレッシャーは強固になって不安は強まって自信はどんどんなくなる悪循環。
もうこうなったら、残るのはこわさだけ。
一応言っておくと、好きな人たちの話を聞いてる時間は楽しくて、豊かだなぁって心から思ってる。
でも、そう、プレイヤーでいられてない感覚、というか。
客席から、球場に転がる色とりどりのボールを眺めて「美しい」って言ってるだけ、みたいな。それを許容してくれる人に「ありがたいありがたい」ってしてるのかも。
あぁ、なんて独りよがりで自己中心的なんだろうか。
中学3年生の時の担任で部活の顧問だった先生に
「あなたはいつも高みの見物ですね」
って言われたことがあって。
あのときから変わってないんだなぁ。
変わろうと、思ったことあったかな。
変わろうとしたこと、あったかな。
変わりたいって思うのと、変わろうと思うこと、変わろうとすることは別だから。
あ。
変わろうとしたこと、あった。
3月のHOUSE7期生公演の稽古期間、変わりたいって思った。
変わりたいって思った。
そういえば7期生のテーマは「変化」だった。
逆のこと言ってるようで、同じこと言ってる。
変わるとか変わらないとかは結果でしかない。
自分がどうしたいか、どう在りたいか。そのために何をするのか、ってこと。
現状維持は、停滞。
で、いま、わたしはどうしたいのか。
プレイヤーになりたい。
高見やぐらからも、自分のお城からも降りて、プレイヤーとしてたくさん練習して、たくさん失敗して、失敗からたくさんのこと学んで、成長したい。
…あれ?
結局自分のため??
まぁ。自分の人生だし。最終的に帰属するのはそこになるのかも。
会話に正解なんてない。
でも、少しでも相手と心地いいコミュニケーションがしたい。
その結果がこの臆病さなんだけど、両立したい。できるはず。
自分の発言で相手がどう思うかとか、相手がどんな言葉を返してくるかとか、相手の発言の意図とか、相手が何を求めてその言葉を伝えてくれたのかとか、考え込んだ結果、「へぇ」「なるほどね」「たしかに」みたいな反応しかできない自分を卒業したい。
失敗するの、とんでもなくこわい。
自分にとっても相手にとっても損失しかない、と思うから。
でも実際は、自分にとっては練習であって成長の糧。もしかしたら相手にとってはそもそもそれが正解というか、別に失敗だとすら思われないかもしれない。コミュニケーションってそんなもんだよね、って。
ジャッジしない。
私の課題。
ストライクゾーンかどうか、っていうジャッジを手放す。
もうほんとに、本物のコミュニケーションできない人なので、もしかしたらそれで傷ついたり傷つけたりするかもしれない。
でも、それってコミュニケーションには必ず伴うリスクなのかもしれない。
…かもしれない、ばっかり想定していても仕方ないか。
やってみよう。
あれ、何の話してたんだっけと思って頭から読み返してみた。
一貫性があるようでない、話が飛んでるかと言われればそうでもない、なんとも私らしい文章。
臆病な私は臆病なまま、ジャッジを手放して、プレイヤーになりたいよってお話でした。
読んでくれてありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?