赤津龍之介

浅間山の北麓にあった照月湖を舞台とする長篇小説『明鏡の惑い』を、アルファポリスにて公開…

赤津龍之介

浅間山の北麓にあった照月湖を舞台とする長篇小説『明鏡の惑い』を、アルファポリスにて公開しています。次回作に向けて、作曲家カール・レーヴェに関することを調べています。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/703314535/113741973

最近の記事

小説『明鏡の惑い』第二十三章「烏川」紹介文

 高校受験を明日に控えた悠太郎は、高崎にある和田橋に立って、夕映えの烏川を眺めていた。  激しく吹きつける赤城おろしの空っ風が、その弱りきった体を倒さんばかりであった。  様々なことが思い出される。  冷たい横顔を見せつけるように卒業していった留夏子のこと。  学力試験でのミスを家族に責められ、部屋のピアノに鍵をかけられたこと。  合唱コンクールの体育館練習で裁判にかけられ、吊し上げられて孤立無援になったこと。  株式会社浅間観光の廃業に、頑として肯んじない祖父のこと。  懐

    • 小説『明鏡の惑い』第二十二章「秋晴れの野に」紹介文

       中学校では英語暗唱大会が開催される。  2年生からは悠太郎が、3年生からは留夏子が、学校を代表して郡大会へ送られることに決まった。  (1年生からは、かつて空手道場で悠太郎を困らせた美帆が選ばれた。)  3人は放課後の英語練習に励む。  静けさを味方につけるような話し方をする美帆の正体を、留夏子は掴みかねているらしい。  かつては空手一筋だった美帆の変わりように、悠太郎は驚いていた。  郡大会を明日に控えた夕方の帰り道で、留夏子は株式会社浅間観光のことを聞いたと悠太郎に話す

      • 小説『明鏡の惑い』第二十一章「留まる夏」紹介文

         1997年の六里ヶ原にも、夏休みがめぐってきた。  中学校で留夏子が貸してくれた本に、悠太郎は読み耽っていた。  それはトマス・アクィナスの『神学大全』からの抄訳本で、留夏子の母の陽奈子先生が線を引きながら読んだ跡があった。  夏休みのある日の午後、なぜか留夏子と合流した悠太郎は、この優れた先輩と照月湖のほとりで長い長い会話を交わす。  質料と形相について。ハビトゥスについて。  時間について。永遠について。  留夏子の名前の由来もまた明らかになる。  静かな思いのうちに、

        • 小説『明鏡の惑い』第二十章「移ろう時」紹介文

           1997年が始まった。  シューベルト生誕200年を記念したテレビ番組に、悠太郎は夢中だった。  凶悪な3年生を送り出すための予餞会では、様々な出し物が演じられる。  演劇クラブが舞台にかけたアンデルセン原作の《雪の女王》では、芹沢カイがカイを演じる。  年度が改まって進級したみんなは、榛名湖畔での高原学校に臨む。  ゲーテの詩によるシューベルト歌曲〈湖上にて〉を、悠太郎は思い出していた。  中間試験期間中のある日の帰り、留夏子は悠太郎を吾妻牧場碑に伴い、学区外受験の誘いに

        小説『明鏡の惑い』第二十三章「烏川」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十九章「荒涼楽土」紹介文

           合唱コンクールでの大勝利は、思いがけない惨劇を留夏子の家庭にもたらした。  悲しみと怒りのなかで留夏子は、ふるさとを覆う荒涼たるものの正体を突き止めようと決意する。  留夏子の石碑めぐりに付き添う悠太郎は、祖父の千代次から授けられた漢字の知識で留夏子を補佐する。  軍馬育成の吾妻牧場の顛末、六里ヶ原学芸村の由来、そして満蒙開拓団の血塗られた記憶――。  幼い頃には理解できなかったそれらの碑文を、ふたりは読み解いてゆく。  晩秋の烈風のなかで、ふたりの向学の意気は火と燃えるの

          小説『明鏡の惑い』第十九章「荒涼楽土」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十八章「森の葉隠れ」紹介文

           秋の深まりとともに、留夏子たちの学年の合唱は、着々と仕上がっていった。  そこには1学年下の悠太郎の密かな助力が、強く影響していた。  ついに文化祭の日、留夏子が指揮するシューマンの〈流浪の民〉は、ペトラの伴奏で演奏される。  悠太郎が主導して練り上げた秘策が、次々と繰り出される。  そして歌詞に現れた「楽土」の一語は、老人たちに満蒙開拓団の昔を思わせるのであった。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/703314535/11374197

          小説『明鏡の惑い』第十八章「森の葉隠れ」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十七章「燃ゆる火」紹介文

           留夏子からの密命を受けた悠太郎は、シューマンの合唱曲〈流浪の民〉について調査を開始する。  国語のタヌキ先生は音楽の友で、怪しみながらも『最新名曲解説全集』を貸してくれた。  歌詞対訳のついた原曲のCDは、思いがけない場所にあった。  原詩と訳詞を比較するうちに、様々な謎が解けてゆく。  ピアノ教室で楽典を習っている悠太郎は、楽曲分析にも余念がない。  そうして調べ上げたことどもを、悠太郎はワープロで資料にまとめる。  留夏子がモンタナ州でのホームステイへと、心安らかに旅立

          小説『明鏡の惑い』第十七章「燃ゆる火」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十六章「遠い遠い昔」紹介文

           悠太郎は中学校の階段をまだ昇っている。  3階にある音楽室からは、たどたどしいピアノの音が聞こえる。  それは悠太郎が9歳の誕生日に、観光ホテル明鏡閣の大食堂で弾いていた〈ロング・ロング・アゴー〉であった。  あれから長い歳月が過ぎた。しかし誰が弾いているのか?  ペトラこと麻衣の仲立ちで対面する悠太郎と留夏子は、互いを奇妙に意識する。  ペトラに促された留夏子は、指揮をすることになった合唱曲について、悠太郎に相談を持ちかける。  この過疎の町は、1学年が1クラスのみ。秋の

          小説『明鏡の惑い』第十六章「遠い遠い昔」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十五章「筆記体」紹介文

           悠太郎は階段を昇っている。高原の中学校の階段を、2階から3階へと昇っている。  そうして昇りながら、入学以来の3ヶ月のことを思い出している。  エメラルドグリーンのジャージのことで、同級生から受けた嫌がらせ。  登校時に国道の急な下り坂で、自転車を転倒させたこと。  通りかかった留夏子先輩がくれた『重力と恩寵』からの言葉。  笑い上戸のペトラや、ブチ公、ジョルジョといった留夏子の同級生たち。  モアイのような埴谷先生をはじめとする、あまりにも個性豊かな先生たち。  そんな環

          小説『明鏡の惑い』第十五章「筆記体」紹介文

          ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ(5)

           文献学者フランツ・ケルンが書いた『ルートヴィヒ・ギーゼブレヒト 詩人・学者・教育者』という伝記に依拠しつつ、ギーゼブレヒト(1792-1873)と同僚のギムナジウム教師であった作曲家カール・レーヴェ(1796-1869)の足跡をたどるこのシリーズも、いよいよ終わりが見えてきた。(1)から(4)にかけて、ふたりの出会いと共同作業の記述を追った。取り上げられた創作は主としてオラトリオであり、学校行事に際しての歌もあった。  今回はレーヴェの独唱作品に関するトピックを取り上げる

          ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ(5)

          ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ(4)

           この記事のシリーズは、文献学者フランツ・ケルンが書いた『ルートヴィヒ・ギーゼブレヒト 詩人・学者・教育者』という伝記に依拠しつつ、ギーゼブレヒト(1792-1873)と長年の同僚であった作曲家カール・レーヴェ(1796-1869)の足跡をたどる試みである。(1)では出会いの頃と、1832年に始まる共同の創作が、(2)ではヘーゲルの『宗教哲学講義』の線に沿ったオラトリオの構想が、(3)ではマインツの音楽祭におけるオラトリオ《鉄の蛇》の大成功と、同じくオラトリオ《グーテンベルク

          ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ(4)

          小説『明鏡の惑い』第十四章「歳月の灰」紹介文

           2年生のときから宿題として課せられた日記に、悠太郎は様々な思いを綴り続けた。  小学校最後の学年となった今では、書きためた日記帳はかなりの冊数になっていた。  運動会の成績で千代次を怒らせてばかりの悠太郎は、涼子と真花名の助言を受け容れて、ふたりとともに鼓笛隊の指揮者を務めようとする。  夏休みのあいだにも悠太郎が練習で振るメジャーバトンのように、日々は規則正しく過ぎていった。  照月湖モビレージにきらめく自動車の祭典を見た悠太郎は、自分もまた夢のように美しい鼓笛隊を率いよ

          小説『明鏡の惑い』第十四章「歳月の灰」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十三章「暗い道」紹介文

           六里ヶ原は寒冷地で冬休みが長い。  1995年の1月に観光ホテル明鏡閣のみんなは、斑尾高原スキー場への社員旅行を実施する。  同行した悠太郎は、かの地のホテルで阪神大震災の報に接する。  留夏子が卒業する3月の日には、東京の地下鉄に毒ガスが撒かれる。  事件との関連が取沙汰される教団は、六里ヶ原にも施設を持っていた。  物情騒然たる5月の高原を訪れる客は少なく、明鏡閣は大損害を被るのであった。  風薫る季節の湖畔で、入江いづみは悠太郎に驚くべき提案をする。  いづみの言う通

          小説『明鏡の惑い』第十三章「暗い道」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十二章「人の望み」紹介文

           ミサンガの環が切れるとき、願い事が叶うという。  ぼくの願い事は何だろうと、悠太郎は考える。  友達と遊んだあの夏休みのような時間が、いつまでも続くことだろうか。  照月湖のほとりが賑わい続けることだろうか。  お祖父様の望み通りに、足が速くなることだろうか。  お母様の望み通りに、ピアノがうまくなることだろうか。  ピアノ教室ではふとした偶然から、陽奈子先生がバッハのコラールを弾く。  それを聴いた留夏子は、喪失の悲しみから立ち直る。  運動会の成績をめぐって、家族から悠

          小説『明鏡の惑い』第十二章「人の望み」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十一章「濁り水」紹介文

           虚弱な悠太郎の体を是が非でも鍛えなければ、千代次の気は済まない。  空手家の兄弟が開いている道場へ、悠太郎は送り込まれる。  そこはやがて悠太郎が通うことになる中学校の体育館であった。  懐かしい人との思いがけない再会に悠太郎は喜ぶが、副師範の娘からピアノを弾くよう迫られて困りもする。  記録的な猛暑の1994年夏、照月湖に異変が起こる。  「六里ヶ原学芸村の環境を守る会」の代表と千代次は対決する。  株式会社浅間観光と悠太郎を、相次ぐ凶事が襲う。 https://www

          小説『明鏡の惑い』第十一章「濁り水」紹介文

          小説『明鏡の惑い』第十章「星めぐり」紹介文

           地上における人間たちの興亡には無関心に、六里ヶ原の天空を星はめぐる。  理科を教える熱心な草壁先生の指導のもと、悠太郎たち小学校4年生は、照月湖のほとりで冬の星空を見ている。  暖冬と冷夏と出口の見えない不景気のなかでも、日々は続いてきた。  陽奈子先生が授けるピアノのレッスンや、草壁先生と教頭先生が勧める宮沢賢治は、悠太郎に新しい世界を開き示す。  しかしあるスーパーファミコンソフトのなかに、悠太郎は恐ろしい文字列を読む。  宇宙の営みに比べれば、人の一生など星の瞬きでし

          小説『明鏡の惑い』第十章「星めぐり」紹介文