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ブリーシンガ・メン随想

 菅原邦城の『概説 北欧神話』(ちくま学芸文庫 2024年)を読んだ。オリジナルの刊行は1984年だというから、40年を経ての文庫化である。解説によれば本書は、本邦における北欧神話研究の水準を高めた名著であったという。北欧に関心を持たざるを得ない境遇にある私にとって、この文庫版が出たことはありがたかった。

菅原邦城『概説 北欧神話』


同上

 なぜ私は北欧に関心を持たざるを得ないのか? それは作曲家カール・レーヴェを主人公とする小説『鳴り響く獅子座のアルファ』を、無謀にも書き始めてしまったからである。レーヴェは19世紀ドイツ(正確にはプロイセン)の人である。私は10代の頃にレーヴェのバラードを愛好し始め、やがてこの作曲家の人生と作品を、本邦の歌物語のような小説に書いてみたいと企てるようになった。しかしレーヴェの伝記には不明な点が多く、三人称ではとても書けそうにない。そこで相応しい語り手を選び、虚構性を担保することを思いついた。

 私は語り手としてルートヴィヒ・ギーゼブレヒトなる人物を選んだ。ギーゼブレヒトは40年以上も、シュテッティンのギムナジウムでレーヴェの同僚教師であった。バルト海域の地域史研究家でもあったギーゼブレヒトは、北欧に関する豊富な知識を持っていた。ポンメルン歴史・考古学協会の機関誌『新ポンメルン地方雑誌』に掲載された論文「バルト海からゲーテに到来する詩的な援軍」で、ギーゼブレヒトはスウェーデンの詩人エサイアス・テグネールの叙事詩『フリショフ物語』を称賛している。同じ雑誌の同じ号には、「ヨーム海賊団の物語」をアイスランド語からの翻訳として載せてもいる。いずれもレーヴェの作曲に影響を与える仕掛けとして、拙作中で使うつもりでいる。実際レーヴェは〈ハラルト〉や〈海を騎行するオーディン〉といった北欧に関するバラードを残しており、テグネールの詩に作曲してもいる。そこにギーゼブレヒトの影響を想定することは、あながち無理筋でもあるまい。そうしたわけで私は『フリショフ物語』を読み、スウェーデン語をかじり、Netflixドラマ《ヴァイキング 海の覇者たち》を視聴している。ギーゼブレヒトになりきるためには、それくらいのことはしたい。『概説 北欧神話』を読んだのも、そうした自己暗示の一環であった。

 さて北欧神話の概説を読んでいて、懐かしい固有名詞に再会した。「ブリーシンガ・メン」というのがそれで、美と豊饒の女神フレイヤの首飾りである。私が初めてこの語を知ったのは、2005年から2006年にかけて放送されたNHKアニメ《雪の女王》による。アンデルセン生誕200年を記念して制作されたこのアニメの挿入歌〈夢であえるね〉のなかに、突如としてこの耳慣れない語が出現するのである。

 失踪した幼馴染みの少年カイを探して、少女ゲルダは旅をする。そんなゲルダが旅の途上で歌うのが〈夢であえるね〉である。アニメ放送当時、私はもう大学生であった。主に自分よりも低い年齢層に向けて、この番組が作られていることは承知していた。にもかかわらず、私は食い入るようにこのアニメを観た。そしてこの挿入歌に異様な感銘を受けた。社会で役に立つことは何もできまいと絶望していた病気の若者に、この歌は訴えるものがあった。少女は苦難の旅路にあって美を呼び求めた。カイに再会できるという保証はゲルダにはなかった。それでも彼女は歩み続けた。その歩みに力を与えるものを彼女は呼んだ。この歌で「ブリーシンガ・メン」とはほとんど感嘆詞であり、祈りの言葉なのである。

 浅間山北麓で過ごした少年時代の情景が思い出される。ある冬の夕方、中学校の体育館へ向かって渡り廊下を渡ろうとした私は、西空の夕焼けに息を呑んだ。それは禍々しいまでに美しい空の色であった。私が渡り廊下に立ち尽くしていると、他の生徒たちが集まってきた。写真愛好家の先生がカメラを携えて駆けつけ、凄絶に燃える空を撮影した。現像してもらったその写真の年月日は、1997年12月9日となっている。私の苦しい歩みを支えてくれたのは、思えばあの空ではなかったか。その美はナルシシズムではないし、愛玩できるものでもない。崇高の要素を多分に含んだ美といえようか。しかし北欧の古い時代に関連した作品を追っていると、美と崇高の区別など近代人の賢しらに思えてくる。

 さて拙作『鳴り響く獅子座のアルファ』第一章「故郷を離れて」であるが、うまく行けば2024年12月1日に、文学フリマ東京39で発表の運びとなる。浅間香織さんが創刊する合同雑誌『ホーレン』に寄稿する予定である。しかしこれはあくまで9月30日時点での見込みに過ぎない。何しろ19世紀のドイツが舞台であり、日本語文献がほとんどないような人物たちについて書こうというのである。いくら入念に調べたつもりでも、思わぬ間違いはあろう。たとえいくらか史実と食い違っていても、作品内で整合性が取れていればよしとしよう。しかし合同雑誌の編集者や同人から見て許し難い欠陥が見つかり、なおかつそれを書き改める余地がない場合、私は原稿を撤回せざるを得ない。時間をかけて直せる欠陥ならば、発表は他日を期すればよい。だが構想の根本が腐っていた場合には、作品それ事態が水泡に帰する。仮にそうなったとしても、私はこの構想によってレーヴェをいくらか知ることができたわけだから、あまり悔いはない。だがせっかく書いたからには、自他ともに喜べるような形で掲載に漕ぎ着けたいものである。それこそ「ブリーシンガ・メン」を唱えたいような気持ちでいる。

 ギーゼブレヒトがドイツ語訳した「ヨーム海賊団の物語」には、首領パルナトキが定めた海賊団の掟が物語られている。そのなかには、

誰でも臆病な言葉を吐くべからず、事態がいかほど絶望的に見えようとも、小心になるべからず。

ギーゼブレヒト訳「ヨーム海賊団の物語」より重訳

というくだりがある。私はヨーム海賊団には入れてもらえそうにない。しかし容易に絶望しない勇気や、転んでもただでは起きないしぶとさは見習いたいと思う。そういえばこの物語のパルナトキは、アンデルセンと同じデンマークの人である。だから何だと言われればそれまでだが、《雪の女王》のゲルダが持っていた不屈の心に通じるものを感じる。パルナトキとゲルダの勇気の万分の一でも私にあればよいと願う。

ブリーシンガメン信じよう 終わらない旅はない
さあ行こう虹の道 もう一歩空の果て

〈夢であえるね〉

という歌詞が、折節口をついて出る。