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遥かなる星の国vol.19 〜半世紀前のシンガポールに住んでいた〜 ⭐︎シンガポールの飲み水事情


生水は危ない?

 私は45年前、父親の仕事の都合でシンガポールに3年間住んでいた。

 慣れない海外に行くとき、1番気をつけなければならないのは何だろう。
 よく言われたのは、絶対に生水を飲むなということだ。水道の蛇口から水を飲んでいいのは、日本だけだと。

 当時はペットボトルの水やお茶などは市販されていなかった。それはシンガポールでも同じだ。
 瓶に入ったミネラルウォーターは売られていたかもしれないが、あまり裕福でない我が家はそんなものを再々買うわけにはいかない。
 一時、父が缶入りのジュースを冷蔵庫に常備していたが、常飲するのはいかにも身体に悪そうなのですぐにやめになった。

 結果、普段は母が水道水をヤカンでガンガンに沸騰させたものを冷まして湯冷しを毎日作り、それを冷蔵庫で冷たくして飲んでいた。

 日本では、我が家は麦茶を毎日煮出して飲んでいたし、学校へ持参する水筒にもそれを入れていた。
 困ったことに(いや、むしろ当然だが)シンガポールでは麦茶が売られていなかった。
 緑茶は若干高価でも日本系百貨店で売られてはいたが、作り置きすると色が変わってあまり美味しくなくなる。
 
 毎日学校へ持っていく水筒に何を入れていくかが悩みどころだった。湯冷しでもいいが、少々淋しい。


中国茶
 
 ある日、シンガポールの暮らしにだいぶ慣れてきた母が、近所の店で缶に入った茶葉を買ってきた。赤い缶で結構大きい。
 なぜお茶と分かったかというと、ラベルに「最高級鐵観音茶」と漢字で書いてあったからだ。中国のお茶だろうということになった。

 最高級とあるが、値段はそこそこ安い(そこは大事)。

 試しに麦茶と同じように煮出して、冷やして飲むとなかなか美味しかった。

 それからは我が家のシンガポール滞在中の飲み物はもっぱらこのお茶になった。
 私が学校へ持っていく水筒の中身も冷たくしたこのお茶だった。

 あるとき、クラスメイトの1人が自分の水筒の中身をこぼしてしまったことがあった。
 私の水筒にはまだたくさんお茶が入っていたのでちょっと分けてあげると、飲んだ彼女は驚いたように言った。

「何これ、美味しい。紅茶?」

 私は中国茶であることを伝えた。
 彼女は帰宅後、母親にそのことを話したらしい。

 前にも書いたが、クラスメイトたちの家は裕福な家庭が多かったので、日本から麦茶をわざわざ取り寄せていたようだった。
 だが、それがきっかけかどうかわからないが、その後クラスで冷やした中国茶が流行った。
 
 今でこそ、中国茶は日本でも当たり前にメジャーなお茶になっているが、当時の中国茶は、小洒落た中華レストランで食事の最後にチャイナ服の可愛い店員さんがお盆に乗せた陶器のお茶セットを運んできて、小さな湯呑みに淹れてくれる温かいちょっとクセのある香りのお茶、という認識だった。


 話は逸れるが、いわゆるお茶、を冷たくして飲むというのは、海外では珍しいことなのだろうか。
 アイスティーやアイスコーヒーも海外ではあまり飲まれていないと聞いたことがある。
 詳しい方がおられたら、よかったら教えていただきたい。


 帰国してからだいぶ経って、鐵観音茶というのは中国茶の中でもなかなかに上等なお茶だということを何かで読んだ。当時のシンガポールは物価が安かったのだ。
 
 最高級茶葉、というのは嘘ではなかった。
 美味しいはずだ。
 そんなお茶をヤカンでグラグラ煮出して麦茶替わりに飲んでいたなんて、知らないとは言え、とんでもなかったと今にして思う。
 
 現在、コンビニやスーパーの棚にずらりと並ぶウーロン茶のペットボトルを見ると、45年前のあのお茶を思い出し、私ってひょっとして日本におけるウーロン茶文化の先駆者?などと思ってしまう。


氷は生水?

 生水を警戒していたおかげか、私たち家族はシンガポール滞在中、誰もお腹の調子が悪くなったことはなかった。
 ただ、後から思い出したことがある。
 あまり高級でない喫茶店や飲食店でジュースを注文したとする。
 当時のシンガポールでは、冷蔵庫で冷やすという文化はあまり一般的でなかったらしく、常温の瓶のジュースをコップに注ぎ、そこにかち割り氷を入れてくれる店が多かった。
 当然だが、氷が溶けないと冷たくならない。冷たくなる頃にはジュースはかなり薄くてなっている。ときにはビールにも同じことが行われ、父がよく悲鳴を上げていた。

 しかし、そんなことよりもこの氷の水はどうだったのか。わざわざ湯冷しを氷に使っているとは思えない。
 私たちはかなりの頻度で生水を口にしていたのではないかと今更思う。
 まあ、今無事だから良しとしようか。

追記

 シンガポールは海に囲まれているが天然河川がない。だから水問題は建国以来の難問だ。
 45年前当時は知らなかったが、その頃から、シンガポールは必要量の半分の水をマレーシアからの輸入に頼ってきた。そのことで2国間ではよく揉め事(主に水の値段のことで)があったそうだ。
 シンガポールは水の自給量を増やすために、海水の淡水化、雨水の利用、水の再利用、など対策に取り組み、めざましい成果をあげた。
 現在では、シンガポールは水道水をそのまま飲める数少ない国の1つだと、数年前、新聞記事で読んだ。

 素晴らしいことだとしみじみ思う。


 

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