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北欧スタイルで寒さを乗り越える

冬は嫌いじゃない

寒い、寒い時期が到来しつつある。わたしはとんでもなく寒がりなので嫌気を感じるのだが、それと同時にうれしくも思う。それは、「冬はご自愛が許される」と思っているから。

ここ最近「ご自愛しましょう」という言葉をよく聞くようになった。昔はおばあちゃんからの手紙で見るくらいだった言葉が、いまではたくさんの人が、あらゆる場面で使う親しみやすい言葉になったと感じる。

わたしもメンタルを何度かやっている身なので、「ご自愛」は大きなテーマだ。ほんとうは日々の、一年の生活の中で適度にご自愛することが大切なんだろう。自分でもそうしているつもりだ。

わたしなりのご自愛

寒がりのわたしにとってご自愛とは、「身体を温めること」が必須項目。そして、この「温める」行為にはそこはかとない「ご自愛感」があると思っているのだ。わたしにとって冬は、ご自愛の季節とも言える。

わたしなりのご自愛、それは

  • 紅茶を飲むこと

  • アロマオイルを焚くこと

  • ろうそくをつけること

  • ブランケットに包まること

  • 家で足湯をすること

ほとんど、身体を温めることばかり。

甘いものも必要

夏の間は暑いばかりで、温めるのあの字を思い浮かべただけで汗が噴き出るよう。暑い季節はわたしが思うとっておきのご自愛ができないため、どこか活動的な自分になってしまう。

でも冬はどうだろう。一歩外に出れば冷たい風が身体を冷やしてくるし、それ以前に布団からだって出たくない。そんなつらく厳しい季節に、心や身体を労わることこそが「ご自愛」なのだと感じるのだ。

寒がりでいるもどかしさ

すぐに冷えてしまう身体であると同時に、一度冷えるとなかなか温まらない。冷え性のつらいところだ。ほんとうに冷えてしまった身体はアツアツの湯舟や暖房で温めるほかない。そうやって素直に暖を取ればいいのだが、つい悩んでしまうことがある。

わたしが温まるためだけに燃やすストーブ、わたしのために沸かすお風呂、そんなものたちにもどかしさを感じてしまう。わたしの信念として「今あるものでなんとかする」というものがある。要するに、わたし一人が寒いからという理由だけで無駄にエネルギーを消費したくないのだ。

なるべく、自然に身を任せて生きていたいのです

だから、温かくしてご自愛モードに入りたいけど、エネルギーには頼りたくない、というジレンマが発生してしまう。まずは冷え性を改善することが先決なのだろう、善処したい。

「寒ければ、服を着ればいいじゃない」

こういうといかにも傲慢そうに聞こえるし、マリーアントワネットを連想させるかもしれない。でも、北欧スタイルの寒さ対策はこれに尽きるようだ。

雑誌『天然生活』の特集で、作家さんやクリエイターさんそれぞれの冬支度や冬の楽しみを紹介していた。その中で、クラフト作家の「上原かなえ」さんが答えたインタビューに載っていた言葉。

「北欧では『天気が悪い』という表現をしないんです。
・・・グッドかバッドかは表現しない。

天然生活 22ページ

寒すぎたり、暑すぎると感じたら、それは当人の装備が合っていないだけ

天然生活 22ページ

あぁ、ほんとうにそうだなぁ、としみじみ感じた言葉だった。この考え方が妙にすんなりわたしの中に入り込んできた。空間を自分にあわせるんじゃない、自分を空間にあわせるんだ。

どちらも、自然と共存したいとつよく思うわたしにとって、とてもなじみやすい言葉だった。

気づいたらやってみる

腑に落ちた瞬間の行動力はある方だ。すぐにあったか靴下とダウンベスト、ブランケットを引っ張り出してきた。フル装備したら、あれだけ寒い寒いと震えて動けずにいたのに、へっちゃらになってしまった。

ろうそくは、すぐに使えるところに常備している

冷えにも注意するようになって、身体が冷え始めていないか気にするようになった。一度キンキンに冷えてしまったら温め直すのは大変。だから、冷えの状態を観察して、冷えてきたら軽く足湯に浸かったり温かいものを飲んだり。セルフケアできるようになってきた。

おや?これこそまさに「ご自愛」なんじゃないだろうか?

だからやっぱり冬は好きだ。心と身体をほんとうに温める術に気づかせてくれるから。これを書いている今も、もこもこ着込んでそばにはろうそくを置いて、パソコンに向かっている。

今年の冬は、なんだか乗り切れそうだ。

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