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ホン・サンスとキム・ミニについて/『草の葉』『川沿いのホテル』『逃げた女』『イントロダクション』『あなたの顔の前に』

ホン・サンス監督作の『草の葉』、『川沿いのホテル』を見て、改めてホン・サンス作品について色々考えてみた。まとまりはないが、自分の考えの整理という意味も込めて書いておきたい。

変わらずどうしようもない恋愛模様を描き続け、ミニマムな世界にしか興味を持っていない作家は他に見たことがない。反復やズームなどの技法はホン・サンスにしか出しえない味わいがあり、気づいたらもう虜である。

同じような三角関係に、男性は映画監督や作家、脚本家、俳優ときている。ホン・サンス自身を投影しているのではと思われても仕方ないような登場人物ばかり。

そのように描いているテーマ、ストーリー展開は似通っているようだが、ホン・サンスが年齢を重ねると共にその視点は少しずつ変わっていき、アプローチの仕方も変わっていく。

特に、キム・ミニと出会った後の変化は、非常に興味深い。初めてキム・ミニが登場したのは『正しい日 間違えた日』であった。

『正しい日 間違えた日』は、『オー! スジョン』、『次の朝は他人』などを洗練させたかのような反復がもたらすちょっとした掛け違えや変わらぬものを描き出す。まさにホン・サンスにしか出しえない味わいがあり、キム・ミニという圧倒的なミューズの誕生をスクリーンに打ち出した。

そして、キム・ミニは単なるミューズではなかった。その後ホン・サンスの映画に変革をもたらす存在となっていく。キム・ミニと出会い、少しずつ変わっていったホン・サンス映画において新たなフェーズの突入した、と感じさせたのが、『逃げた女』であった。

キム・ミニ演じるガミが3人の女性を訪ね、話をする。言ってしまえばただそれだけの映画であるが、そこに深みを与えてくるのがホン・サンスなのだ。

『逃げた女』には、ホン・サンス自身を投影させたかのような男性の登場人物は殆ど話に絡んでこない。ここまで男性不在で物語が進んでいくことは、過去のホン・サンス映画においてなかった。

ガミが繰り返し、「5年間片時も夫と離れたことがなかった」と言う。一度聞いただけでは、そこまで引っかからないけれど繰り返し言われると、どうしたって気にしてしまう。その言葉は何を意味しているのだろうか。

夫の不在が意味するもの、そして題の“逃げた女”とは誰のことをさしているのか。ハッとされるのは、ガミと3人目のウシン(キム・セビョク)の会話である。

それまで受け手であったガミが、登場人物として躍動し始めるのだ。ウシンの夫チョン先生(クォン・ヘヒョ)とガミはかつて三角関係であったかのような様子が伺える。気まずそうなウシンにガミは気にしていない、と繰り返す。

もしかしたら、本作に出てきた女性らは皆〝逃げた女〟なのかもしれない。更に、ホン・サンスはガミ同様、あえてキム・ミニの手を離し、一人で歩かせたのではないだろうか、とも思わせる。一人で歩き出したキム・ミニはどこに向かうのだろう。

『逃げた女』以降の作品である『イントロダクション』でキム・ミニは、脇役になり、『あなたの顔の前に』では制作側に回っている。キム・ミニというミューズは、ミューズ以上の存在になり、もはやホン・サンスと同じ側にいるのである。ひょっとすると、ホン・サンスを超えて自分で物語を作り出すのかもしれないとすら思ってしまう(期待を込めて)。

『イントロダクション』は、何者にもなれていない青年のモラトリアムである。今までうだうだした男女のモラトリアムを描いてきたホン・サンスだが、それまでの描き方とどこか異なる。特に感じたのは、性を感じさせないということであった。

劇中に、3つの抱擁が出てくる。どれも異性間で行われるものであるが、その抱擁の先に性を感じさせない。3人のうち一人は母親であるのでそれに関してはそうだが、恋人との抱擁においても感じさせない。

更にここに出てくる恋人との関係も妙にあっさりと描き、最後の章で恋人と再会しても行きずりの関係に発展することもない。ラストは同性の友達との交流で、ここに抱擁は出てこないが、抱擁といっていいほどの空気感が2人に流れている。女性を介在させず、男性同士の結びつきを描く点においても他のホン・サンス映画と異なる。

『あなたの顔の前に』も、今までのホン・サンス映画との変化を感じた映画であった。ただ、制作順とは前後して『川沿いのホテル』を最近見て、類似点の多い映画だと感じた。とうとうホン・サンスも、“死”について描く年頃に突入したのだなという感慨深さ。

『あなたの顔の前に』と、『川沿いのホテル』はどちらも死を意識した人物が、家族に会うという構図が似通っている。前者は女優、後者は詩人の男性である。自身の死が近いことを告げるか、告げないかというところに違いもある。

『あなたの顔の前に』は、『川沿いのホテル』と比べ、語らない余白が増え、女優の独白と彼女自身の崇高さが際立つ。彼女を撮りたいという監督とも男女の関係になることはない。

恋愛関係のゴタゴタをメインに描かない点においては、『川沿いのホテル』も同様であろう。そして、2作品共に似通っているのは眠りの描写が印象的なことではないだろうか。

『川沿いのホテル』では、詩人が眠りから目が覚めた時に、雪景色の中を歩く2人の女性(キム・ミニとソン・ソンミ)を見て、その美しさに思わず声をかける。

その後、居酒屋で再会し、2人について詠んだ詩の中で「2人は天使だ」という。詩人はいよいよ死を意識したのかもしれない。もしくはラストへの、観客に向けた暗示とも言えるかもしれない。

その時が訪れていたであろう瞬間、詩人の息子たちは眠りの中にいた。こういった描写のうまさ、語ることのない余白は、ホン・サンスの作家としての成熟度をうかがわせる。

『あなたの顔の前に』では、妹が夢を見ていたというが、その夢の内容は最後まで明かされることはない。夢を見る妹と、過去も未来もなくただ今と対峙する姉の対比。自分に言い聞かせるような独白。

この独白というのはなかなか面白い手法である。『川沿いのホテル』では詩がその役割を担っていたように思う。『草の葉』においても、キム・ミニ演じる女性の独白が挿入されている。

『逃げた女』以前に制作された『川沿いのホテル』において、既に男性の不在の傾向が見られる。キム・ミニ演じる女性はどうやら恋人と別れたばかりの様子であり、先輩も夫と何かあったかのような様子である。

ここで面白いのは、女性の不在も描かれていることだ。詩人に会いに来る息子2人のうち一人は離婚している。ただし、そのことを詩人は知らないし、息子はまだ知らせなくていいと言う。もう一人の息子は、嫌な恋愛をしてきたトラウマから恋愛をする気になれないでいる。

息子2人とキム・ミニと先輩は、同じ居酒屋で飲み食いしながらも交わることはない。詩人だけが両者と関わっているのだ。

男性の不在、女性の不在だけでなく、『川沿いのホテル』において面白いのは、クィア的な要素である。キム・ミニと先輩の添い寝は不思議な安らぎを感じる。改めて本作における登場人物がほとんど眠っているというのが面白い。

特にキム・ミニに出会ってからホン・サンスの映画におけるクィア要素が強くなったように思う。キム・ミニと可愛いと言うのは異性だけではない。(そもそもキム・ミニが稀有な存在感と魅力を持った女優ということもあるのかもしれない)また、キム・ミニ演じる女性が、同性の女性の先輩にキスしたいという場面も描かれる。

ただ、ホン・サンスの映画は常に明示はしない。『逃げた女』で最初にガミが会いにいく、ヨンスン(ソ・ヨンファ)は女性2人で住んでいるが、その関係性について特に言及はしない。2人の寝室があるであろう上の階に行かないでほしいというヨンスンの発言が何やら意味ありげに聞こえてくるのである。

『川沿いのホテル』は、新たな要素が加わり、その後の作品と繋がっていく一つの転換ともいえるべき重要な映画である。それは『草の葉』もそうであろう。

『正しい日 間違えた日』、『夜の浜辺でひとり』を経て、『それから』で既にキム・ミニは恋愛の中心から外れ、ただ巻き込まれる役として登場する。そして、『草の葉』では、カフェの中で様々な事情を抱え対面する男女の会話を盗み聞きする傍観者として存在する。

会話を盗み聞きしてはPCでカタカタと何か書いている。その時の彼女の独白が辛辣で笑ってしまう。彼女はただ傍観者として存在するのではなく、きちんとみる/みられる枠組みに入っている。彼女がカフェにいて、盗み聞きしていることをカフェで話す男女は気付いている。一方的ではなく、双方が存在を認識し、最後にキム・ミニは会話をする男女の輪の中に入っていく。

それだけでなく、カフェを出て弟の彼女と食事に行く姿も。「好きだから一緒にいるなんて無責任」「相手を知ることが大事」とキレる姿は、『夜の浜辺でひとり』、『それから』の頃のキム・ミニを彷彿させる。

キム・ミニがメインの登場人物、つまり物語の転換の中心にいないところは、後の作品につながるところであり、中編ながら、キム・ミニとホン・サンスが新たなフェーズへと移行していく前章として『草の葉』、『川沿いのホテル』は位置付けることができるのではないだろうか。



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