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韓国映画『成功したオタク』ネタバレ感想/ドキュメンタリー映画

2021年制作(韓国)
原題:성덕
英題:Fanatic
監督:オ・セヨン
配給:ALFAZBET

ある日“推し”が犯罪者になった。実際のK-popスターのファンであった監督が、同じような体験をしたファンにインタビューをしていくドキュメンタリー。

背景を知るために、発端となった事件について触れていく。事件は2018年にソウルの江南区にあったクラブ「バーニング・サン」で、セクハラを受けた女性を助けようとした男性が暴行を受けたことから始まり、多数のスターが性的暴行や売春斡旋、違法薬物取引などに関与していた疑惑が浮かび上がっていく。

以下は参考までに。


監督は、チョン・ジュニョンのファンで、推し活を始めたのは中学生の頃だという。事件があってファンを辞めたものの、まだ推し続けている人がいることを知り、なぜなのか、という疑問や自信の怒りなどがきっかけとなりドキュメンタリーを撮ることを決意したという。

『成功したオタク』が韓国で公開されたのは、2021年だが、日本公開は2024年3月30日であり、奇しくもチョン・ジュニョンが満期出所したのは2024年3月19日であった。ちなみにこのドキュメンタリーは、2019年7月から2021年8月に撮影されたものである。


原題の“성덕(ソンドク)”は、“成功したオタク”を表す。“成功したオタク”とは、自分が好きな分野で成功している人物や、好きな歌手や俳優に会ったことのあるファンなどを意味するらしい。

監督は、推しに認知されるため、韓服を着てサイン会に参加し、テレビ出演も果たした。まさに監督自身が“成功したオタク”であった。

監督にとって、初めて好きになった人であり、初めてCDを買った、初めて遠くまでライブに行った……そんな様々な“初めて”を与えてくれた人であったが、“初めての裁判所”はいらなかった。整理券を獲得し、裁判の傍聴をした監督は、「私の好きだった人は、項垂れて黙って何も言えない人になった」という。

更に監督は、V.I.(元BIGBANG)のファンであった友人と共に、グッズを捨てるための“お葬式”をするが、サイン入りのグッズは捨てられないと当時の思い出を語り始め……つい推しをかばうような発言をしてしまった自分たちに驚く。

“推し活”とひとえに言っても、人によって様々だ。K-popファンにとってお馴染みなのは“ファンダム”であろう。ファンを表す“fan”と、“-dom”をかけ合わせた言葉であり、K-popファン同士が繋がるコミュニティのようなものである。アイドルとファンダムが一体化し、共に成長していく姿勢がK-popでは顕著になっている。

K-popにおける大きなイベントは“カムバ”であろう。カムバック、つまり新曲や新アルバムを制作し、発表することである。カムバ予告でコンセプトが打ち出され、メインの曲の予告、そしてMVが解禁されていく。MVが出れば、アイドル自らMVを見てリアクションしたり、MV撮影現場を映したビハインド(裏側)が出たり、曲の掛け合いやダンスをアイドルが指導したり…と多様なコンテンツが展開されている。

そのような多様なコンテンツの情報共有が行われているのもファンダムである。私は、K-popのMVを見たりするが、グッズを買ったり、ライブやサイン会に通ったりはせず、遠くから眺めている。ファンダムに関しても距離をおいている。

正直なところ、ファンダムにあまり良い印象も持っていない。時に暴走したり、過激化する印象があるからだ。必ずしもそうではないことは分かっているし、偏ったイメージであるとも思うのだが……。最近でも、熱愛を認めたアイドルにファンがデモをしたという報道を見ると、あまり良い印象ではない。


『成功したオタク』の内容に話を戻そう。“推し”が犯罪者になったという経験を持つファンのインタビューの中には、「一生メディアに出てこないでほしい」「静かに反省して暮らしてほしい」「私の思い出を汚した」「所詮イメージを売っているだけだった」と消えぬ怒りを口にする。

更に「誰かを好きになって推すことが怖い」「もう誰かを好きになって推すことはない」と、事件によって抱えたトラウマも口にする。監督自身も自分が抱えている感情をうまく整理できないところがあったのだろう。インタビューを通して事件を見つめ、自身の“推し活”を見つめ直していく。

その姿勢はヒーリングであると共に、一種の連帯のようであった。それは、このドキュメンタリーを見ている人にとっても共鳴するものかもしれない。一方で、ファンダムの持つ“危険性”を露呈しているのではないかとも感じた。監督自身、推しが捕まる以前に不起訴となった件について記事に書いた記者を攻撃してしまったという。(その後劇中で、記者にメールを送り対面して話す姿も映し出されている)

そのような推しに対する盲目性は、それにより他者を攻撃してしまう。それだけでなく、推しが捕まったことで魔法が解けたかのように推しを攻撃するようになる。裏切られたという気持ちは当然であるし、被害者といえば、被害者なのだが、抜け落ちている視点があるように感じた。

それは、この事件によって被害を受けた人々である。多くは女性で、睡眠薬で眠らせて性行為をし、その映像がグループチャットで出回るなどといった悍ましい行為が行われていた。「同じ女性として〜」といった発言をしたファンがいたが、インタビュー内で被害者について殆ど言及されていなかった。

インタビューで言及しなかったのか、言及したけれど編集の関係で切ったのかは、分からないが、この題材でドキュメンタリーを撮るならば必要な視点だったのではないだろうか。本作の大きな不満点は、多角的な視点が描かれていないことである。

今もまだファンを続けている人の視点も描かれていないように感じた上に、朴槿恵元大統領の支持者の集会に繋げているのも、無邪気すぎるように感じた。確かに盲目的、という意味では似ているかもしれないが、元大統領の支持者に関しては、政治的利得が絡んでいる可能性も大いにある。同等に語ってしまってはやや危険である上に、それすらも一方的な視点でしかない。

個人間のヒーリングから視野を広げていくことは大事であるが、ドキュメンタリーとして描く上でもっと多角的な視点が必要であったように思う。推しが犯罪者になっても、推し活をしていた記憶まで否定しなくてもいいというところにおさまってしまうのはグロテスクですらある。これでは自己満足、身内内でのヒーリングで、ファンダムの盲目さを露呈しているだけと捉えられても仕方ないのでは、とすら思ってしまう。


本作で言及してほしいと期待していたのは、10代のファンの危険性である。監督がまさに、中学生の頃に推し活を始め、推しに「学年一位になれよ」「ソウルの大学に行けよ」と言われ、その言葉を原動力に学年一位にもなり、ソウルの大学にも合格した。

推しのおかげで頑張ることができる、それはまさに推し活の良い面ではある。一方で、盲目的になるあまり推しに幻想を押し付け、人生の選択が推しによって左右される可能性もある。距離をもって推し活をすることが時には必要だが、10代の子は世間を知らず、自分が未熟であることにも気づけていないことがある。

自分自身が誰かにのめり込んで推し活を経験したことがないため、分からない部分もあるが、幻想を抱きすぎている気もした。好きになって応援していたのに裏切られたというのは、間違ってはいないのだろうが、自分勝手でもある。「そんなことするような人に見えなかった」という発言も、ではそのようなことをしそうなイメージだったら許したのか、という話になる。

アイドルとファンという関係性そのもののが危ういものであり、アイドルもファンも暗黙の了解でそういうものとしていることについても見つめ直す必要があると改めて感じた。何より、ファンを食い物にし、アイドルの私生活も何もかも商品として売り出すプロデュース側が一番ファンとアイドルの関係性について考えるべきではないか。

“推し活は本来幸せなものであるべき”という監督の言葉には同意する。健康的な推し活のために……。ドキュメンタリー自体には不満点もあれど、私自身が“推し活”、そして“アイドル”について、どう捉えているのか再認識するきっかけとして、見て良かったと思うドキュメンタリーであった。


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