見出し画像

人間試論――文学、心理学、テクネー

 人生相談なるものが未だ成り立っている、あるいは小説家たちが人生の「先生」のごとき地位を得ていた時代とはいつまでであったか――。ステロタイプでいってサザエさんのいささか先生のような、しいて「文学」の先生というのでもなく、「小説家」であることをもってただ漠然と彼が「先生」であれたような時世。もちろんそれはすでに終わった一期間としてあるのであって、文学史全体でみて「ほんの一期間」であった、ともいえよう。
 詳しく調べることもなきままにざっくりといって、私は「少なくとも一九九五年には廃れていた」、少なくとも本邦においてはあの年が一つの結節点になったであろうと指摘しておきたい。一九九五年とは阪神淡路大震災が起こり、その緊急特番もまだ下火にならぬうちに、地下鉄サリン事件が起こってしまった年でもあった。それによって心的外傷、トラウマ、PTSDというタームが一気に日本人に認知され始めたのは、無理からぬ話であった。
 さてこのような認知・理解はどのように進んで行ったのか、といえば、その直後から、おもにミステリー等中間小説の媒体によって(「永遠の仔」「白夜行」はともに一九九九年)「トラウマ」は大衆文化の中で消費財貨となっていったのである。最たる書き手が村上春樹であるのは言うまでもないが、私は彼を別格に置きたい。というのは、村上春樹はそのキャリアの頂点に位置する「ねじまき鳥」をまさしく一九九五年に完結させているが、書き手自身も恐らく外傷体験と言いうるであろう体験を持っていることが井上義夫によって指摘をされている(〈村上春樹と「日本」の記憶〉)。補足しておけば、彼の場合には生まれ育った家庭環境が複雑であり、(心的外傷自体はどのような外傷も心的外傷となりうる)心的外傷を受け負いやすい傾向を有していたことは、私には自明に思われる。つまり別格に置く、というのは彼が「トラウマ」を書いたのは「商品」としてではないことをもってである(かといって小説家に対して「当事者」という言葉を用い出すことには、私は抵抗を持つのであったが)。
 残念ながらマスコミ、ミステリー小説等のメディアによる啓蒙の効果は、せいぜいが「心的外傷はPTSDを引き起こすことがあり、PTSDの症状といえばフラッシュバックなどがあって……」という程度の「理解」を促すにとどまり、それらの「理解」には多くの誤解や歪曲が含まれていた。DD(心的外傷に関連した現実感喪失症状)の「当事者」から言わせてもらえば、心的外傷が引き起こす(可能性がある)症状のうちで最も焦点化すべき症状はPTSDではなく解離性障害である。そしてこの解離性障害については、こんにちの日本の若い精神科医でも扱いかねる、ある種の難病となってしまっている。解離性同一性障害に限らず「解離性障害」を治療対象として扱う体勢が整っている精神科、治療施設を見つけることは都心でも難しいわけである(余談だが、現に福島に在住する私は東京にて治療を受けている。県内のどのような精神科でも解離性障害の治療を受けることはできない、というのは私の経験論でもある)。
 なんにせよこんにちのグリーフケアや、児童虐待やDV被害のケアをする専門家、臨床心理士の口からも、解離性障害が取り沙汰されることは稀であり、その代わりに「PTSD」ばかりが引き合いに出され続けている、つまり未だメディアの影響によって広められた一九九五年産「心的外傷、トラウマ、PTSD」図式が臨床の場においても援用されがちであるのが、一九九五年から四半世紀が経過するこんにちである。
 さて、日本文学において「心理」がことごとしくピックアップされるのを、伊藤整の提唱した「新心理主義」の動きからであったとしてみたい。もちろんそれ以前であれ、文章に人間を描くこととは人間の「心理」の動きや、それが暗示される人間の行為なりを描く、という営みであったわけであるが、それまでの小説の作法に対する反発と、なによりジョイス、プルースト、ロレンスという名だたる二十世紀の代表的作家たちの発見が、(当時の)現代の人間の「心理」を書くためにはこれまでとは異なる、新しい書き方で小説を書かねばならぬ、というムーブメントを作り出す。その最初期の実践には川端のジョイス風短篇「水晶幻想」が挙げられる。横光などのモダニストを加えてみた時、ここで同時に起こっていることは、(近年でいう舞城王太郎的なといってもいいだろうが)輸入的/発見的な新しさを有した(とされる)言語表現によって、明治二十九年(「あひゞき」「多情多恨」の成立)になって完成された言文一致体を攪乱する企図である。
 もちろん、モダニストたちからすれば「伝統的」である小説作法というものは、その後も脈々として続いていくこととなるわけであるし、こんにちにおいてもそれは未だ続いているわけであったが、第三の新人の分類に入れられる小島信夫「アメリカン・スクール」がみすずから出たのが一九五四年、さらに重要である「抱擁家族」は一九六五年に刊行をされて、江藤淳の優れた評論「成熟と喪失」(一九六七)によって多いに称揚をされることになる(すが秀実が指摘する「一九六八年」が間近であることにも注目したい)。ひとことで言ってしまって小島信夫のジョイス的であり、時にベケット的である「ユーモア小説」が捉えたものは従来的な人間像の解体の急進と徹底であり、それはよかれあしかれ、こんにちの現代文学の志向性を決定づける象徴性と回路とを担っていた。
 例えば村上龍はむしろ「伝統的」な側の書き手であったろうが、そこにおいても言文一致体=日本語への攪乱の意図は、少なくとも意思としては小説中に働き掛けている。以降「純文学」は国語を守る立場であれ解体する立場であれ「異化」させる性質の美学とともに展開してきた。なぜならばもはや意識的な作家たちは近代的な、素朴な人間像など信じられなくなり、それというのは素朴な形で国語が使いえない、ということとおよそ同義であったためである。さらに、そこに消費社会の擡頭による人間の価値観の多様化、マクルーハンの言説が担保するようなテクノロジーに差配された生活世界における人間の知覚の変化、構造主義革命、そしてニューアカデミズムが担保する本邦におけるポスト・モダニズム受容が、人間の「解体」の拍車をかけて行く。
 そこで今一度「トラウマ」へと視線を返すと、「トラウマ」は鉄道とともに生まれた、と言われている(M・ミカーリ/P・レルナー編「トラウマの過去――産業革命から第一次世界大戦まで」)。いっぽうで(ど忘れしているため)今出典を引けないがモラトリアムは鉄道の発明である、というのもあったはずである。ポストモダニズムの受容は、解体されるべく人間をテクノロジーの位相へと、まま引き渡しながら展開をし、そしてまたことの深刻さ、「語ること」の困難さ、――そしてインターネットの擡頭による死者たちの「匿名性」や、ハイデッガーの権威化によって、アウシュビッツ、およびファシズムは大きな求心力をもって、あらゆる形態で国内外の文化表象に姿を現す知的イシューとなった。本邦においてはファシズム美学を捨象してきた日本のモダニズムのツケを払わされるような形で「シン・ゴジラ」(混乱した状況の中で一人の指導者が「この国の復興はまだまだだ」なぞと呟く――構造的にファシズムそのものだろう)などが、新人類世代の表現者によって、時代後れの余波のような形で未だ産出され、新海誠の諸作品(未来派そのもの)においてもそれはなお続いている。
 テクノロジーによって「人間」を過剰に解体してきたのが前世紀末から今世紀初頭までの「文学」の中心的な潮流であったとするのならば、「小説家」たちが「人間」を主題とするのではなく、人間を巻き込んでいく「テクノロジー」を主題として書き続けてこざるを得なかったのは言うまでもないことなのであって、そこにおいて「モラトリアム」であれ、外傷体験であれ、人間的なるものの陰影は降格され、人間にまつわる一切は人間の解体現象を語ることの「テクネー」の次元へと回収される。この言説の次元においては、もはや私たちは生のかたちで「人間」を語ることはできない、とされてきた。
 たしかに、私たちは今東光をまだ活き活きとしたものとして読むことができる。開高健になるともう弱いだろうか。さらにいってごく控えめにいって松浦理絵子になると「人生相談」、つまり作家が「先生」となって読者たちの質問に答えるという形式は、失効しているのが明らかである(松浦になるともはや人生相談は彼女の文学と同様に、むしろ「マイナー」に分類される)。あらゆる面からみて、それは当たり前の話である。小説家たちは人間を書くのではなかったし、人びとはあらゆる価値観のもとで多様性をいや増しており、そしてその価値観の多様化というものもじつは大文字の「人間」の解体現象なのである。もはや「人間」に注目するものはだれもいなくなった、――今に比すればそれでもまだ増しであったが、一九九五年ころには、テレビには犯罪心理学者や精神科医たちがコメンテーターとしてワイドショーを賑わせており、PTSDという言葉が流通した時、人びとは自らの負った過去の辛い体験を「トラウマ」という言葉に重ね合わせて、特権化させるすべを覚えたが、小説家はもちろん、テレビに映る精神科医たちも今は飽きられて、ついで今度は脳科学者が持てはやされては、やはり飽きられようとしている(代わりに出回るのはせいぜいが「ソフィーの世界」をさらに平俗化させたような、俗悪なビジネス書や自己啓発書であり、アドラー心理学でさえもが自己啓発の文脈からリバイバルされているのだ)、――「人間」の専門家がたえていなくなった、それは「人間」などもはやない、あるいは「人間」とはなにかという問いかけに、主に新人類世代が、解体という形でしか答えを持てて来られなかったのであったから、当然の帰結であったはずだ。

 いかに世界が人工物に覆い尽くされようが「人間」は存続しうるのであり、「成熟」さえ未だ人間にあり得るのだ、と私は思っている――今や鉄道やインターネットに繋がりっ放しの日常は、モラトリアムを削減するように働き掛ける。「成熟」は意識的に見つめ直すような、静かで穏やかな形でしか自覚されないものとしてあるだろう。そしてまた「人間」はテクノロジーとの戯れの中にのみあるのではない。テクノロジーに対する反応や内省を可能とさせる、端的にいって古典による人文知の素養と、臨床精神分析、あるいはそれをフォローするための脳科学といったものの知見を採り入れた上で、ふたたび見出す他もない、失われた座位にあるのが「人間」である、としか言う他もないであろう。それはひどく貧しいことであるのと同時に、豊かなことであったのかは、私に未だ両義的なままであるが、……。

12.9

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。