伊藤
ふわふわと読んだものもの、写真を使ってくださったものものが入っている袋である。
創作日記を含むわりと淡泊な日記が入っています。
自然発生的に生まれた掌編や散文詩ともつかない「創作」寄りのもの、およびお題をきめて書いた習作をこのマガジンで販売しています。不定期的に更新され、原稿用紙で二百枚程度になったらひと区切りとさせていただきます。 1.12 全体のタイトルを「鹿狩りフラミニヤ」に改めました。
過去記事が詰め込まれてあります。
福島県生まれの小説家、鬼生田貞雄についての文章をまとめています。評伝「鬼生田貞雄の文学」は一章部分のおわりまで無料で公開しています。この作家について調査研究した文章としては、このマガジンが現状ほぼ唯一のコンテンツです。
そもそもが、インターネットを解約した途端にインターネット上で稼ぎ始める、という手前の了簡がよく分からない(なにか結果としてそうなった)。「稼ぐ」というほどのなにかでは勿論ないわけだが、おあしはおあしである。 もとを辿ると、私が執着してみているのは「365日連続投稿」のバッジである――「Note」のサイト上でバッジというのがあって、とくにそれを貰えたからなんだ、かんだというわけではないのだけれども、一年間連続で投稿し続けていればソイツがもらえるようになっている。なにかのトラ
noteのエクスポート機能の実装、および当サイトでの今後の更新予定がないため、十月いっぱいをもちましてアカウントを削除させていただきます。 マガジンを購入していただいた方々、記事にいいねをつけてくださった方々、写真をつかっていただいた方々、ありがとうございました。 簡潔にすぎますが、以上をもって挨拶とかえさせていただきます。 伊藤千広
「アダマン号に乗って」(☆☆) めずらしいデイケア施設を、創意なくダラダラと撮っているだけの凡作であり、そのように映るのはこの手の福祉には恵まれた日本に私が住んでいるからではないだろう。 「子どもの瞳をみつめて」(☆☆) ☆ひとつ寄りだろう。編集が駄目。音楽の使い回しには失笑させられる。現地に取材をしているうちに、取材対象に入れ込み過ぎてしまったのではないか。客観性をもった作りには到底なっていない。 「怪物」(☆☆☆☆) 前作の「ベイビーブローカー」などは酷かったも
「エンドロールのつづき」(☆☆) インド版のニューシネマパラダイス的な映画を作ろうとして、映写技師に主題を矮小化させているため、作品として小ぶりになっているというよりも破綻をきたしている。 「トリとロキタ」(☆☆) ダルデンヌ監督のものらしい技巧は見いだせず、作品としてうまくいっていない。 「ケイコ 目を澄ませて」(☆☆☆) 主演の名演が光り☆4寄りとすべきだろう。作品としては結末部に不安定さがあるか。 「そばかす」(☆☆☆☆) 主演女優の名演が、やや詰め込み過
つけておかないと観た気がしないことにきづいたため。相当以前に観たもの、……「彼女のいない部屋」あたりは、いい映画だという記憶はあるのだが記憶が薄れていて、☆みっつだったかよっつだったか、見終えた直後の評価とはズレがある。 「靴ひものロンド」(☆☆) 武蔵野館。配役や構成に問題があり、視聴者のカタルシスを期待してつくられた終末部も上手く機能をしていない。 「恋する惑星」(☆☆☆☆) 有楽町で。4K版。 「プアン/友だちと呼ばせて」(☆☆☆☆☆) 銀座、いわき
スキゾの母のもとにそだてられた。 宗教団体につきまとわれて四六時中監視をされ、夫が隣人と愛人関係にあると、最期の最期まで信じて疑わなかった、それが伊藤の母親だった。 小学校の教員からはあろうことか虐待をうけてそだった。気狂いの息子でうしろめたくしていた伊藤が、彼の弱みにつけこむ格好の的となった。心身共に虐待をうけた。 小説みたいな人生かもしれない。小説ではないのだ。小説ではないことに困難がある。あった。自分のことももう書けない。自分のことすら書けないのならば、そも、小
やっぱ全体的に酷く見にくくなっていて、使いにくくもなっていると思うんだ、note。
「エルヴィス」(☆☆☆) アーティストの成功譚や、どれだけ努力をしていたか、陰でどういった悩みがあったかといったことに焦点を当てるのではなく、マネージャーとの金銭問題を中心に据えてストーリーを矮小化させているため、大きなカタルシスもなければ、伝記映画としての不備も多い。編集(場面のつなぎ)の派手さうるささは、企図しているようなゴージャスさを演出できていない。 「エリザベス 女王陛下の微笑み」(☆) ☆一は☆五と同様に、滅多につけないことをポリシーとして映画レビューをして
こちらは映画レビュー等を投げていくことになるとおもいます。(書評ブログのほうは書評以外の記事を混ぜたくないという意向がある)
こちらもアイコン&ヘッダーのデザインを変えさせていただきます。 現在、おもな活動をしている書評ブログはこちらとなります。 https://www.senitou.com 推敲の手が入っていないのですが、評論の分野における一大アーカイブ、集大成となっていくよう、書き継いでいます。
ひと月半更新しないでいたほうが、フォロワーが増える、というところに、私の文章がいかに人の神経を逆なでするのか、が表れているかのようで、一抹の誇らしさ、うれしさ、虚無感、をおぼえています。
私は随筆を書くとなれば多くの話題を扱うことで書くという行為を、肯定しなければならなくなるタイプの書き手です。真面目にキザに真情を吐露したつぎには、ふざけたラーメン記事でも書いていたい、そのようにしてなんとか、ものを書いてしまう、ということと、折り合いをつけねばならなくなる、そういう意味です。 一歩すすんで人間というのはアンビバレンツな存在であり、真面目な自分をそこ(テクスト上)に出してしまった以上は、不真面目な自分もそこに登場させざるをえない、そうでなければ書くということ
ラーメンブログとか、気軽なエッセイとか、日記とか、みじかい小説とか、……は、こっちを使います。
はてなブログに投稿。以降、映画レビューはこちらで。noteについてはマガジンのツケをずっと払えていないのですが、ずっとバックアップ機能の要望を出していても動きがない&UIの勝手な改悪などもあり、規模を縮小させて活動いたします。 https://senito.hatenadiary.com/entry/2022/07/17/154043
壊滅的に見にくい。
きのう八枚