理解の範囲をとびこえて
知っているの物は、それを知りたいと言う欲求を掻き立てない
理解出来ないものこそ面白い
そこに理解し甲斐があると言う事だから
新風を取り込む為に、理解できなものを自分の中に取り込む
答えの決まっていないものについていちいちあれこれ考える
これこそが、人生を面白くすることだと思うから
抽象画の良さは、こんな理解の幅を広げてくれること
絵を描いた人の頭の中には何があるのか?と疑問を持ち
その人の感覚を絵を頼りに取り込んで行き
答えのない答え探しを楽しめる
だから美術館には1人で行きたい
それでも、隣に居る誰かが
自分とは全然違うおかしな解釈をするとしたら
それはそれで美味しい気もする
とにかく、そんな考え方があったのか!と驚かされる経験をしたいのだと思うし
それこそが、自分の価値観の幅を広げるきっかけにいつもなってきたこと
そんな私自身も最近は抽象画に取り組み始めました
いつかは
これ何描いたの?
わかんない
そう言えたら面白いと思うのだけど日に日に怪しくなってくる
線に囚われず、自分の感覚だけを頼りに
こうしたら面白いだろうと思う事を塗り重ねていくのだけど
描いては描いては、この表現は前にもしたし…
あ、これも…
と不思議と型からはみ出ようと試みたはずが
どんどん型にはまって行くのが最近はよく分かるようになった
こんな時はやはり人間は過去の積み重ねだけでできてしまっているのだと少し落胆したりする
もっとこう…
ひと噛みしたスナップエンドウからポンっと豆が弾け飛んでいく様な
そんな面白さが足りないないなとぼやいている最近
自分の作り上げた砦から飛び出し新風を取り込むこと
それは子供の頃は簡単にできていた事かもしれない
子供頃に、毎年授業で描いた桜の絵を
その年は、よりリアルに描くと自分に誓い描き始めた
桜の花はふんわりと薄い桃色
それは画用紙の上でほぼ白に近い色で映し出されて行く
儚い桜の木を描き上げ自信満々だった私に絵を見た先生の反応は自分が思ったものとは真逆のものだった
「子供らしくない」と一言
好きな事に対してはどこか執念のあった私は1年もこの言葉を覚えていて
反逆的な行動をとり
白い花びらの上に
絵の具の蓋の裏の桜のモチーフを濃いピンクで悔しさを込めてポンポンと押したのだ
あえなくその年は賞を逃したと言うのに
何故か、してやった感が残ったのをよく覚えている
そんな反逆的な心は大人になった自分にはもうないのかもしれない
美しく、誰かに褒められる物を
完璧な物を
自由な筆使いを忘れた時はいつだって
頭の中の見えないこんな鎖がいつの間にか自分を支配している
支配とは自分が自分にする支配こそが1番解きにくい物なのかもしれない
それでも、自分の中には無い何かを知ろうとする時
そんな支配から少しつづでも抜け出すことができるような気がしている
世界のどこかで、自分の生活とは全く異なる文化を持ち生きている人のことや
おかしな生態の生き物
見たことがない世界を想像すること
そうだと決められていることを少し疑ってみること
ムーミン谷に頭の中で移住してみること
こんなことが自分をまた新しくして行く
こんな風に私はおかしな物を面白がりながら
色々な物を知りたがりながら
大人になっていった気がする
子供のままで
そして、まだまだ
何かが足りないとそう思っている
akaiki×shiroimi