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with グリーフ⑭「あなたが存在することに、欠かせない人だった」

ごきげんよう🍒アカチェリーナ4世です🤙🏻👈🏻


(今時点でnoteでお友達になっている方へ)
先日の地震により
南海トラフ地震への懸念が指摘されていて
対象の地域にお住まいの皆さんは
とても不安な毎日を過ごしていらっしゃることかと
思います

このnoteでお友達になれた
親しくさせていただいている方のことが
自分のことのように心配で
私も不安で落ち着かない日々を過ごしています

もし今後何かあったら(何も無いのが一番ですが)
遠慮なく頼ってほしいと
思っております

私にできると判断できることであれば
喜んでお力になりたいと考えてますので
本当にやばい時は連絡ください
毎回記事の最後に載せてる
HPのSNSのページにあるメールで
連絡できる、はず

ほんとに何も無いのが一番なので
アカチェリーナあの時変なこと言ってたな~
って笑い話になることを心から願ってます
(今日の時点でお友達になっている方
向けのお知らせでした)


長く患っていた父親が亡くなり
葬式が終わって日常に戻りました


人間は皆、親の死という通過儀礼をしますが

「親が死ぬ」

ってこんなに心細い気持ちになるんだ
と知りました


今までは
見えない透明なガラスケースで
外の世界から
無条件に守られていたのが

急になくなってしまったような
そんな感覚を感じ、すごく不安に思いました

これから1人で生きていけるのか
生きていける気がしないと思っていました

当時私はまだ自立しておらず、早すぎる父親の死だったので
大人になってから親が亡くなるのとは
またちょっと違う感覚だったのかもしれません


そんな中
友達が手を合わせに来てくれるようになりました

「こういう時に駆けつけてくれる人こそが
本当の友達なんだよ」

と母親にドヤ声で言われました
母親の親友は、来ませんでした

そんなもんです笑


その時にたまたま来られる人が
来てくれたにすぎないと私は思います
そんなことで友達の親密度は測れないと
今なら思います

それでも父親がいなくなった
寂しさと不安から
友達が来てくれることが
本当に心強くて
ありがたく思っていました

しかしその思いは少しずつ
変化していってしまいました


父親が急にいなくなってしまった
不安と寂しさで
友達に父親の話がしたくて

「うちの親父さぁ~」

なんて言うと
皆気まずそうに「そうなんだ…」
と言葉を濁します

そして話は広がらず
話題は別のことに…

でも私の頭は
今『父親』でいっぱいで
それ以外のことは考えられないくらいなので
父について話したい

そして父親が確かに生きていたんだと
世界中の人に言って回りたいくらいの
気分でした

友達たちだって
ほとんどの人が
死別を体験したことのない年齢なんだから
どうしたらいいのか分からなかったはずなので

仕方ないことだと今なら思えます
でも、当時はそんなこと思えませんでした


友達には悪いけど
友達の愚痴とか
面白いレジャースポットとか
そんなことは今はどうでもいいとしか
思えませんでした

父親の話は一切聞かず
元気づけようとされるのも
なんかちょっと嫌でした


気持ち的にしばらくは黒い服しか着られなかった

何より
父親の話はタブーで
触れないようにしよう
と気を遣われると
善意からくるものを拒めず
父の話題は飲み込むしかありませんでした


以前にnoterさんの記事で

「そっとしておいてほしい人もいる」

という一言を見て
それってどんな人なんだろう
と考えてしまいました

寂しくて孤独で
どうしようもなく人を求めてしまうくらい寂しいはずの
大切な人との別れを経験している人を

そっとしておくということは
その人の中にその寂しさや孤独やどうしようもない後悔の感情を
自分一人で全部押し込めるってことじゃないのかな

それって辛すぎないか…

大切な人が死ぬと
生活の中にその人との思い出が
嫌でもリンクするようになります

一緒に行ったスーパーとか
一緒に過ごしたイベントとか
そしてふと
「もうあの人はいないんだ」
と気づいてどうしようもなくなる

こんな毎日を過ごしているのに

そっとしておく

っていうのは
その人をただ
孤独の中に棄て置いてるだけなんじゃないか


そっとしておいてほしい人って
どんな人なんだろう
私は
そっとしておいてほしくはないな

「どんなお父さんだったの?」
って聞いてほしいな


会話することで
その間だけでも死んでしまった人と
繋がれるような気持がして

繋がっていたい
と求めてました


でも友達誰にも聞いてもらえない
(そんなにたくさんいなかったけど)
そうすると友達が来てくれても
孤独を感じるようになり

なのに相手が笑って話すから
こっちも無理して笑わないといけない
どうでもいい世間話をしなきゃいけない


最初はありがたかったのに
来ないでほしいと思うようになりました


ある日
手を合わせに来てくれた一人の友達が
仏壇に手を合わせているのを見ていました
道化にならないといけないんだろうなと思いながら
その横顔をふとみると

ポロっと涙が落ちるのを見ました

どうしたの?!と思わず立ち上がって聞くと


「私はあなたのお父さんとは面識はないけど
この人が
あなたという歴史を造った人だったんだ

あなたが存在することに
この人は欠かせない人だった

そんな人が
亡くなってしまったんだなぁと思うと
悲しくて涙が出てきた」

と言いました
泣いている相手を見ていたら
自分も泣けてきました

その通りだなと思いながらも
え~?へへへ
と笑ってごまかしながら泣きました


ありがとう


友達と父親の話をしながら泣く
という経験がはじめてできたことと

私の友達という人達の中で
父親のために泣いてくれる人がいたのか
と、まるで期待していなかったことが起こったことで

安堵して嬉しくて、悲しくて、ちょっと泣いてる友人が面白く感じて
二人で泣きました


その後、二人でお茶を飲みながら
私は初めて『友人』に父親の話を聞いてもらうことができました

あの友達とは住む場所が変わって
今は疎遠になってしまったけれど
私はあの日のことは忘れないだろうと思います



『キセキ』について


今書いている時間軸からは
少し未来の話になりますが

父親が亡くなって
7年くらい経ったある日のこと

カラオケに行きました

歌が入ってない時の画面って
色んな曲のカラオケ映像が流れますよね

そこに『GReeeeN』というアーティストの
『キセキ』という曲の映像が流れ
それを見た瞬間
涙が出ました

映像としては
認知症?か何かになったおじいさんを
おばあさんが在宅介護している
というものなんですが

そのおじいさんのたたずまい
表情、が闘病中の父親にそっくりだったんです
(あれを俳優さんは演技でやってるんだからすごい)

ポカンと開けた口や
虚空を見つめる目
ぼーっと座っている感じ
車いすに乗っている姿

それからカラオケに行くと
この曲を入れて
途中で泣いてしまって止める
(から1番しか見れない笑)

ということを毎回するようになりました
(一人か家族で行くとき限定だよ?笑)

死んだ父親が画面の中にいるようで
どうしようもなく泣けてしまう
闘病中は写真もビデオも撮らなかったので
あの時代の父親の映像は何も残ってないんですが

やっぱり自分の中には記憶としてちゃんとあって
それがあの映像のおじいさんとダブって
私の中で『父親の曲』になりました


このグリーフの連載を始めた時に
この曲も自分でカバーしたいなと思い

グリーフの連載と並行して
ちまちま少しずつ作ってました

ピアノアレンジにしてみました

父親と親子マラソンをした公園で
映像を撮りました


『キセキ』の歌詞も
所々、父親を重ねられるような内容で

『君がくれた日々が 積み重なり
過ぎ去った日々 2人歩いた『軌跡』』

『アリガトウや ah 愛してるじゃまだ
足りないけど せめて言わせて「幸せです」と』

ってこう、猛烈に涙腺を刺激してくるんですよ
もう…やめてよほんとに笑

今noteに書くためにYouTubeで見返して
また泣きました笑

ダメ!あのおじいさんの破壊力!
すごく父親!

という訳で見てみよう〜
私の父親を思い出して聴いてくださいね
(無理難題笑)




*********巻末CM**********
noter友達が大切な人を思い出す曲を紹介してくれた時に
みんなその人を思い出す大切な曲があるんだなと
知った
アカチェリーナ4世ですが

真面目な面もあってですね
普段はシンガーソングライターとして
『辛い気持ちを口にだして伝えていくことで
皆で自分の辛い気持ちを言えるようになろう』と
いうメッセージを発信しています

公式HPにたくさん自分の気持ちを載せているので
見に行ってみよう

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