『音声入力』がしたいお年頃
とはいえこの記事は、いつもどおりキーボーボをぱちぽちしながら書いている。
「音声入力、――それは魅惑の文明」。と思っている人がどのくらい居るのかはわからない。私自身、まったく検討することもないまま、つい最近まで生きてきた。でも「音声入力だと早く書けるよ」なんて記事を読むうちに、むくむくと使ってみたい気持ちが育つ。
それがたまってふくらんで。パチンと音がしてはじけたときに、とりあえず触ってみるかとなるわけだ。今の時代、ケータイひとつあれば音声入力など誰でも簡単にできる。ただしゃべるだけだ。ミジンコでもできる。……いやごめんミジンコにはできない。
そもそも「音声入力」という技術を信頼していなかったのだと思う。どうせいい加減な日本語が次から次へと出てきて、とても形にならないのだろう。そんなレベルのものだと思っていた。――でも違った。結構すごいのね、今の音声入力って。
ひとつの文章を読み上げたときに、その正解率? とでもいうものに点数をつけるなら100点中95~97点くらいはつけてもいいのではないだろうか。ほぼほぼしゃべったとおりの文章が出てくる。
もちろん「開く・開かない」とかそういう恣意的な部分は割愛するにしても、ヘタしたらキーボードで書いた方がミスしている気がする。というか、している。
これはすごい。しゃべったことをそのまま記録できるツールとしては、かなり信頼できるものなのではないだろうか。どんどん使っていこうじゃないか。
――で。
そんなこと思いながら、なんでこの記事を音声入力で書いていないのか。という話なんですが、少なくとも今は、私はしゃべりながら文章を考えるということができないようだ。
得手・不得手の問題だと思う。しゃべるのが得意な人は違うのだろう。頭で文章を考えて、それをしゃべる。それだけの行程なのだけれど、私の場合「しゃべる」ということが得意じゃないので、そこにひとつハードルができるらしい。
キーボードで打鍵することは長年さわってきたこともあって、もうそこにはハードルがない。頭と直結している。思ったことがそのまま出てくる。
しかし、いざ「しゃべろう」と思うと、どうにも意識がしゃべる方向に向いてしまい、文章を構築するなんてことがさっぱりできない。そんな自分の能力の限界に気がついてしまった。
それに思ったことをそもまま文章にしているわけではなくて、手探りで文章を小出しにしながら、それを目で見ながら、少しづつ手探りで進んでいるようなところがあるらしい。
結局、考えてしゃべったことがそのまま文章になったからといって、それはまったく使えるものにはなっていないのだ。
もちろんツールに対する慣れの問題はあるだろう。キーボードのように手の延長、くらいになればまったく景色は違ってくるはず。これからの若い子たちなんて、ヘタしたらケータイに音声入力だけで生きていく子たちも出てくるよねきっと。
別に若い子たちに対抗するつもりはないものの、もう少し、音声入力に触れてみて、「慣れ」という要因をのぞいたとしても、どこまできちんと使えるものか。
その可能性を探ってみたい。
そんなお年頃だ。
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