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思いだす男【ショートショート】【#189】

「先生! 主人はどうなったんですか!」
「いやそれがですね。とにかく今はまだ、ちょっと……」
「急に入院することになっただけでもショックでしたのに、入院したと思ったら今度は面会謝絶だなんて言われて……。もう、私どうしたらいいのか……」
「いえ、奥様。確かに最初はそこまで悪くなかったんです。ただ……」
「ただ?」
「その、奥様とのケンカを思いだしてしまったようなのです」
「それが……なんだと言うのですか? それにここ数年、主人とはケンカのようなことはなかったと思いますけれど」
「そうなんです。ご主人ももう4,5年ほど前のケンカだと言っていました。その時のケンカが大変ショックだったと話していました。そのせいで、今は奥様に会いたくないと……」
「どういうことなんですか! そんな前のことを急に言いだすなんて! なにか精神にかかわる病気なのでしょうか? いったい主人はなんの病気なんですか?」
「精神の病といえば精神の病です。そして言いづらいことですが、ご主人の病気はいままでに症例が一件もないまったくの新しい病気です。あえて今、名前をつけるのなら『思いだす病』という感じでしょうか」
「なんてことなの……。先生、それは……いったいどんな病気なんですか」
「この病気の症状は、端的にいうと『過去の記憶を思いだしてしまう』のです。それも、今、まさに起こったかのように鮮明に過去の記憶がよみがえってきてしまうようです。そのせいで奥様との何年も前のケンカが、今まさに行われているかのように感じているようです。人間はわすれることで生きているような生き物です。ツラいことがあっても、一晩ぐっすり寝て、忘れてしまうからこそ、元気にまた1日をおくることができる。しかし、もし過去にあったトラウマや恐怖が忘れられないとなってしまえば、そんな『恐怖』が束になって襲いかかって来るようなものなのです。それに――」
「それに……?」
「よみがえる記憶がどんどん過去にさかのぼり増えています。最初はここ数年の記憶でしたので奥様との記憶が多かったのですが、昨晩の段階では、幼少期の記憶……幼いころに感じた『恐怖』に打ち震えていました」
「ああなんてこと! 子供の頃、暗闇やお化けなどの空想の生き物をいたずらに怖がっていた時期などは誰しもあるもの。そんな不可避な恐怖が、ありありとよみがえってくるということでしょう。子供時分は、この闇に本気で連れさられてしまうのではないかとおびえたものです。主人は大丈夫なのですか? 正気をたもてているのでしょうか」
「これまでの人生の恐怖がすべて襲いかかっていた時は、かなり危うい状態だったかと思います。私もそのときは正直もうご主人はダメかと思いました」
「……危うい状態"だった"? ということは、今は……?」
「おそらくですが、山場は超えたのではないかと思っています」
「では助かるんですね? 主人は無事、助かるんですね!」
「いや……それがですね……」
「それが……?」
「もっとも苦しんでいた時期はどうやら通りすぎたようなのですが――、現在もご主人は過去の記憶を思いだしつづけています。そして、今、思い出しているのは、どうやら『前世』の記憶のようなのです。にわかには信じがたいですが過去にさかのぼりすぎたのでしょう。そのうえ前世は中世ヨーロッパの貴族だったらしく、実際に体験した人の貴重な話が聞けるということで、その分野の研究者が病室につぎつぎと押しかけてきています。現在、病室は研究者たちがすし詰めでパンク状態。仮に病気がすぐ直ったとしても、いましばらくご主人に会うことはできないでしょう……」

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