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こたつの上の概念【ショートショート】【#117】

「お前は『死』というものをどう考える?」

 唐突にそんなことを言い出したこの男は、俺の幼馴染のコウヘイだ。昨年、大学院に入り、哲学を勉強しだしたせいか最近この手の発言が多い。手に持った短い棒が小きざみに震えていた。

「――なに。誰か死んだの?」

 酒が入っていることもあって、俺の発言は無遠慮に放たれた。

「いや、別に誰も死んではいない。しかし『死』というものは存外身近に存在すると俺は考えている。そもそも『死』というものはなぜ怖いのか? そんなことを考えたことはないか?」

「……いやー別にないけど、まあ明日死ぬって言われたらイヤだし、怖いかなぁって。当たり前のことだろ?」

 コウヘイは右手をこたつの上におろし、話の方に集中することに決めたようだ。俺の実家にはこたつはなく、ひとり暮らしを始めた今年、念願だったこたつを購入した。今のところ"人間をダメにする"という古来からの言い伝えに間違いはないようだ。

「――『死』の恐怖、それはつまり自分がつちかってきた経験や知識。そういったものが一瞬にして無に帰すことへの恐怖なのではないかと思う。一歩一歩は小さくとも、それを少しづつ積み上げれば、いつかはうずたかく積みあがる。たとえそれがどんなにいびつでバランスの悪い物であっても、時間の経過とともに自然と高くなってゆく。それが経験というものだ」

 ああ本格的に語りだした。これは長そうだな……。俺はこたつの上にのっていたみかんに手を伸ばし、皮をむき始めた。俺にはひとつこだわりがあって、それは「ヘタの反対側からむいた方が、みかんはおいしい」というものだ。もちろん物理的に考えて味が変わることなどあるはずがないが、「その方がおいしい」と心に決めているのだ。

「人はそうやってつちかってきたものをゼロにしないために、子供を作るのだと思う。ひいてはそのために家族というコミュニティを作る。またある者は後継者を作り、自分がこの世に居たというなんらかの証を残そうとする。――すべては『死』が怖いからだ」

 つかんだみかんの皮は結構うすく、むきづらかった。これは食べてもすっぱいハズレのみかんかもしれない。そんなことを考えながら、ヘタの反対方向から徐々にみかんの皮をはいでいく。

「――だが、家族も作れない、後継者も作ることができない人はどうしたら良いのだろう。そういう場合は『死』の恐怖を全面的に受けいれるしかない、ということだろうか。自分がつちかってきたものが、どんなに味気なく、くだらない木の棒であったとしても、やはり失うのは怖いのだ。どんなものであれそれは『死』の恐怖に他ならないのだ。……おお! 神よ!」

 仰々しく頭を抱えるコウヘイを横目に、無事にみかんをむき終わった俺は、それをまず半分にわる。そして右側のひとつからみかんを一粒取り、口に放り込んだ。……うわっすっぱい。やっぱりハズレのみかんだ。だから安いみかんはダメなんだよ……。誰にともなく悪態をついたあと、俺はコウヘイに向かって言った。

「――まずひとつ。お前は別にキリスト教徒じゃない」

 もうひとつみかんを口に放り込みながら俺は続ける。

「――そしてだ。お前が大真面目に『死とはなにか?』とか語りながらやっているのは、何の変哲もない単なるジェンガだ。お遊び。ゲーム。暇つぶし。呼び方は何でもいいけどいい加減にしろ。早くしないと日が暮れる。迷ってないでその棒を置け」

「いやしかし、つちかったものが崩れるというのは、『死』の恐怖と同等でだな……」

「わかったわかった、あと5秒な。はい5、4、3、2……」

「ちょっ……わかった置く! 置くから!」

 コウヘイは慌てて持っていた棒を一番上の左端に置く。しかし慌てて置かれたその木の棒は、積みあがった塔のバランスを見事に崩し、ゆっくりと、しかし確実に、大きな音をたて崩れ去った。
 コウヘイがつちかってきた経験と知識のすべては、部屋の中に飛び散り霧散した。今、ここにまたひとつの『死』が訪れたのだ。



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)