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先に「決める」

できてないと責められるけど、
できていることは認められない。

成長してないと責められるけど、
成長していることは認められない。

貢献していないと責められるけど、
貢献していることは認められない。


なんて世知辛い世の中だと、
一人で拗ねてたときもあったけな。

でも、
世の中も
環境も
他人も
本質的にはなんも関係なくて。


ただ自分が、
自分を認めてないだけだったり。


自分で自分のこと

「そのままでOKだぜ」と、
「そのままで全然いいんだぜ」と、
思えてないだけだったり。

なんだかんだいっても、
「できている自分」はいいけど、
「できていない自分」はダメだと思ってたり。


「成長している自分」はいいけど、
「成長していない自分」はダメだと思ってたり。


「貢献している自分」はいいけど、
「貢献していない自分」はダメだと思ってたり。

自分がそういう前提で生きているわけだから、
そりゃあそういう事象が目の前で起こるし、
そういう人がどんどん現れる。


そして、
自分が心の中で信じていることを確信するでしょう。


目の前でそういう事象が起きたり
そういう人が現れるたびに

「ほらやっぱりね」と、
「やっぱり自分はダメなんだ」と。

そうやって謎の自信を深めていく。

これじゃ一生変わらんわね。
これじゃ一生このままだわね。

だって、
自分が信じている根っこの部分は
何も変わらないんだから。


じゃあどうするか。

「できた」
「成長した」
「貢献した」

という事象や
目に見える成果や
他人の評価を根拠に

「自分は素晴らしいんだ」と自信をつける。

んじゃないんだよ。

順番が全く違うのよ、逆なのよ。

先に、
「自分は素晴らしいんだ」と
とにかく決めるのよ。

そこには根拠なんていらんのよ。

「できた」
「成長した」
「貢献した」

そういう根拠は、
また別の根拠によって一気に崩れる。

根拠があるから、
「自分は素晴らしい」と思っていれば、

その根拠がなくなったら
「自分は素晴らしくない」になるからね。

とにかく、
「自分は素晴らしい」と、
さっさと決めちゃうのよ。

今、この瞬間に、
誰がなんと言おうとも、
「自分は素晴らしいんだ」と決めるのよ。

そうすれば、
自分の素晴らしさを証明する事象が
どんどん起きるから。


自分がそう決めたかどうかは直ぐにわかる。


でもね。

何年も、
何十年も後生大事に抱えてきたレガシーの前提は、
一気には変わらないこともある。


「自分は素晴らしい」と思っても、
またひょっこり、

「その素晴らしいという根拠見せろや」という
レガシーくんが戻ってくるもの。


ま、これはそんなもんだわ。


一回折り目がついてずっとその形でいると、
ちょっとやそっと反対に折ったって、
直ぐに元にもどるわね、そりゃあ。


だから、そんなもんよ。

でもね、
それでも「折り目」を返すのよ。

何度も何度も、
新しい「折り目」をつけていくのよ。


あるとき、
ある瞬間。


「あれ?」ってくらいに、
目の前の景色が変わっていることに気づくから。


というか、
「前提」って、そもそも自分じゃ気づかないから、
「目の前の景色が変わった」ということすら、
多分気づかない。


「できた」
「成長した」
「貢献した」

という事象や
目に見える成果や
他人の評価を根拠に

「自分は素晴らしいんだ」と自信をつける。

んじゃないんだよ。
順番はそっちじゃないんだ。

先に決めるのよ。

「自分は素晴らしいんだ」と
とにかく決めるのよ。

そこには根拠なんていらんのよ。

自分がそう「決めた」瞬間から、
それにふさわしい事象が
どんどん起きるから。

自分がそう「決めた」瞬間から、
もう既に、
新しい世界がはじまっているんだな。





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