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逃げ道が大切というお話

「退路を断つ」

「逃げ道を塞ぐ」

っていうと聞こえはいいけど、

逃げ道が全くないって、それはそれでしんどいだろうなと思う。


ビルや商業施設といった建物には、有事に備えて非常口が必ず作ってあって。


だからなんかあったときには、そこから逃げれるわけで。


その非常口や出口ってのは、消防法とかでちゃんと定められているもので、

「これめっちゃ大事だから、絶対付けなさいよ!」的な位置づけなわけで。


つまり、何かあったときに「逃げる(逃げれる)」ってそれくらい重要だってこと。


「逃げる(逃げれる)」を予め想定した創りにしておかなければならないってこと。


「退路を断つ」

「逃げ道を塞ぐ」って、


多分、

「目の前のことにコミットしてしっかり結果を出せ」っていう意味で使われるんだろうけど、


「本当に逃げてはダメなこと」って、ごく一部であって、殆ど無いんじゃないかと思ってる。


たしかに、いつも逃げてばっかりの人だったら、

ときには逃げずに挑戦してみるという経験も必要なのかもしれない。


逃げずに続けることで成長したり、

できないことができるようになったり、

心身ともに逞しくなったり、

そういうこともあるとは思う。


だから、

何でもかんでも「逃げる」ことがいつも正解か、と聞かれるとそうではないと思う。


でもね、これまでの人生振り返ってみて、

「逃げた経験」って誰もがあると思うだけど、それでも、なんとかなってきたと思うんだよね。


逃げたことで、自分の心と身体の健康が守られたってこと、あると思うんだよね。

ぼくはね、

「どうしようもなくなったら、いつでも逃げてもいいんだ」

という自分の逃げ道をキチンと用意して、

自分にそういう許可を出しておく方が、

寧ろ、今向き合っている「目の前のこと」を楽しめるんじゃないかって思っている。


やってもいいし、

やめてもいいし、

続けてもいいし、

もう少しだけ頑張ってもいいし、

途中で休んでもいいし、

やりなおしてもいい。


そういう前提の方が、この世界をより楽しめると思っている。


そんなの甘いとか、そんなんじゃ社会に通用しないとか、

まあ、そんな風に怒られるかもだけど、


実際、ぼくも昔は「逃げてはダメだ教」だったから、分からんでもないけど。


でもね、そもそも人間って強制されるのが嫌いじゃないですか?


自分で決めたいし、

人に決められたくないし、

結局、「自分で決めたこと」しか、頑張れないじゃないですか。


本当の能力って、発揮できないじゃないですか。


だから、他の誰かから「逃げるな」って言われても、

「いや自分、これじゃなくてあっち行きたいし」ってなるのこともあるし。


逆に、自分が本当に興味関心があることって、

やめろとか逃げろとか言われても、絶対やめんよね。


言いたいのは、

「逃げろ」ではなく、

「逃げてもいいんだ」という、「許可」なんですよ。


この「許可」が事前にあるのと無いのでは心の余裕が違う。

心のゆとりが変わってくる。

心身を壊したり、自分を犠牲にしてまでして成すことに、大きな意義はあるんだろうか。


「退路を断つ」のも素晴らしい。

「逃げ道を塞ぐ」のもそれはそれでいいと思う。


でも、「逃げる自分」というのも、ちゃんと選択肢に入れてやってもいいんじゃないか。


ぼくはいつもそう思っている。





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