ぼくらは等しく、檻の中にいる(この庭に 黒いミンクの話/梨木香歩)
ぼくじゃない、誰かの記憶。
白、赤、黒。
白は雪。
赤は血。
そして黒は、
*
今年は、豪雪になるらしい。
雪は嫌いじゃない。
降雪も嫌いじゃない。
ぼくが嫌いなのは、積雪なの。
異常な積雪は、檻だ。
静謐な檻。
どこへも行けない。
そんなときに限って、
どこかに行きたい。
けれど、それは危ないので。
昼なのか夜なのかわからない、暗い空を見上げるしかない。
他にするべきことは、いくらでもある。
けれど、その「他にするべきこと」が、思いつかない。
そもそも、「するべきこと」なんてあるんだろうか。
檻の中で、「するべきこと」なんて。
ぼくは考える。
人間だろうと動物だろうと、食事はするだろう。
そしてぼくは、缶詰を見つける。
オイルサーディンの缶詰。
買った覚えはない。
でも、ここにあるんだから、実際は買ってあったんだろう。
オイルサーディン……。
ぼくは、何かを思い出そうとする。
けれど、徒労に終わりそうだったので、缶詰の蓋を開ける。
油と、ほんの少ししょっぱい匂い。
これだけ食べるのも……。
と思っていると、何かの気配。
降雪も積雪もひどいのに?
ぼくは、ソレを見つける。
真っ黒なソレは、部屋の隅でうずくまっている。
気配を感じたからには、ソレは生き物に違いない。
ぼくは、ソレに触れようとする。
ソレは、拒絶なのか威嚇なのか、ぼくの指をぱしんとはたく。
そして、傷付いた指から、真っ赤な血が滴り。
ぼくは、そこで思い出す。
これは、ぼくの記憶じゃない。
だから、これは現実じゃない。
ソレは、ぼくのものじゃない。
ソレを探しているのは、
たしか、
*
ぼくは、窓の外を見た。
雪は積もっていない。
どころか、降ってすらいない。
開けたはずの、オイルサーディンの缶もない。
そして、真っ黒なソレも。
今のは……。
この庭にいるはずなの。この庭にいるはずなの。ミケル、探して。いるはずなの。
――本文より引用
ぼくの名前は、ミケルじゃない。
だから、
これは、
ミケルの記憶だったんだ。
ぼくの膝の上には、『この庭に 黒いミンクの話』。
ごめんね。
ここに、庭はないよ。
そして、ミケルでもないよ。
でも、大丈夫。
真っ黒なソレ――ミンクはちゃんといるよ。
ミンクを探している誰かのために。
そして、ミケルのために。
ぼくらは等しく、檻の中にいる。
ミンクは、ぼくらのそばで息をこらしている。
この庭に 黒いミンクの話/梨木 香歩(絵:須藤 由希子)(2006年)
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