ぼくらは等しく、檻の中にいる(この庭に 黒いミンクの話/梨木香歩)

ぼくじゃない、誰かの記憶。


白、赤、黒。


白は雪。


赤は血。


そして黒は、





今年は、豪雪になるらしい。


雪は嫌いじゃない。


降雪も嫌いじゃない。


ぼくが嫌いなのは、積雪なの。


異常な積雪は、檻だ。


静謐な檻。


どこへも行けない。


そんなときに限って、


どこかに行きたい。


けれど、それは危ないので。


昼なのか夜なのかわからない、暗い空を見上げるしかない。


他にするべきことは、いくらでもある。


けれど、その「他にするべきこと」が、思いつかない。


そもそも、「するべきこと」なんてあるんだろうか。


檻の中で、「するべきこと」なんて。


ぼくは考える。


人間だろうと動物だろうと、食事はするだろう。


そしてぼくは、缶詰を見つける。


オイルサーディンの缶詰。


買った覚えはない。


でも、ここにあるんだから、実際は買ってあったんだろう。


オイルサーディン……。


ぼくは、何かを思い出そうとする。


けれど、徒労に終わりそうだったので、缶詰の蓋を開ける。


油と、ほんの少ししょっぱい匂い。


これだけ食べるのも……。


と思っていると、何かの気配。


降雪も積雪もひどいのに?


ぼくは、ソレを見つける。


真っ黒なソレは、部屋の隅でうずくまっている。


気配を感じたからには、ソレは生き物に違いない。


ぼくは、ソレに触れようとする。


ソレは、拒絶なのか威嚇なのか、ぼくの指をぱしんとはたく。


そして、傷付いた指から、真っ赤な血が滴り。


ぼくは、そこで思い出す。


これは、ぼくの記憶じゃない。


だから、これは現実じゃない。


ソレは、ぼくのものじゃない。


ソレを探しているのは、


たしか、





ぼくは、窓の外を見た。


雪は積もっていない。


どころか、降ってすらいない。


開けたはずの、オイルサーディンの缶もない。


そして、真っ黒なソレも。


今のは……。

この庭にいるはずなの。この庭にいるはずなの。ミケル、探して。いるはずなの。

――本文より引用

ぼくの名前は、ミケルじゃない。


だから、


これは、


ミケルの記憶だったんだ。


ぼくの膝の上には、『この庭に 黒いミンクの話』。


ごめんね。


ここに、庭はないよ。


そして、ミケルでもないよ。


でも、大丈夫。


真っ黒なソレ――ミンクはちゃんといるよ。


ミンクを探している誰かのために。


そして、ミケルのために。


ぼくらは等しく、檻の中にいる。


ミンクは、ぼくらのそばで息をこらしている。

12/9更新

この庭に 黒いミンクの話/梨木 香歩(絵:須藤 由希子)(2006年)


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