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締め付けられる痛みに、(智恵子抄/高村 光太郎)

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

――『人に』より引用

指先が火照る。その内、火が灯る。のは、見間違いにしても。熱は脈打ち、血液を血管を支配する。この熱は、どこへ行くのだろう。心臓へ戻るのか。熱なので、冷めてしまうのか。


すると、火照った指先が花開いた。白詰草のようにしたたかで、しおらしい花。すぐに、しおれてしまうけど。その儚さを、いとおしく思った。

阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

――『あどけない話』より引用

『智恵子抄』。彼女の名前。彼女そのもの。もちろん、よく登場する。ぼくは、彼女を知らない。それなりに調べれば、それなりのことは把握できるだろうが、それでは、彼女を知ることにはならない。


彼女を知るのは夫の高村光太郎、彼が綴った詩である。彼の目を通してあるけれど、それが、彼女の美しさだ。彼だけが知っている美しさだ。

あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。

――『あなたはだんだんきれいになる』より引用

高村は、妻をじっと見ている。かどうかは、定かではない。ぼくにとっては、彼らは赤の他人であり、なおかつ60年以上前の人間だ。けれど、頁をめくる度、ちりちりと燃えるように熱を持つ指先。


高村光太郎の記憶。高村智恵子の記憶。本来、知る由もないもの。でも、60年後の今、熱となって僕の中を巡っている。美しさと、悲しさと、可憐さと、寂しさと。容易には喩えられない感情を。

求められない鉄の囲の中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、
あなたの頭をこはしました。

――『報告(智恵子に)』より引用

彼と彼女の幸福な生活。幸福を破った、彼女の死。「こはれ」そうになった彼。けれど、思慕は決して消えることはなく。彼と彼女を目の前にしたことのないぼくを揺さぶる。


智恵子。とても、個人的な名前なのに。こんなに、肺を圧し潰さんばかりに迫ってくるのは、なぜだろう。彼の想いが、裏打ちされているためだろうか。智恵子。それは、名前というだけではない。彼の愛そのものだ。ぼくはそう思う。


火照った指先が、花開く。白詰草のようにしたたかで、しおらしい花。儚いけれど、たしかにそこにいた。『智恵子抄』。途絶えない想いは、ここにある。

8/4更新

智恵子抄 - 高村光太郎(1941年)

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