見出し画像

涙のアルバムと遊びのあの子


最近、結婚式の準備で幼少期の写真が必要になり、実家の大きくて分厚いアルバムを何冊も見せてもらった。

よくある平成初期の。
あれ、そもそもアルバム自体ばか重くない?


親が不在の時1人で見ていたのだけど、とにかくすごい量で、ひとりっ子の特権だよなぁと思うなどした。

昔はデジタルで保存なんて文化ないから、どんな些細な写真でも全部プリントしてアルバムに閉じてたんだよね。
わたしが家で、ただうどん食べてるだけの表情違い写真、4ショットくらいあったよ。
現代なら、スマホで連写するから保存してるのわかるけど。すげえ愛されてました。


家族写真や、今は亡きおじいちゃんとの写真も、たくさん残っていて、普通に泣きそうになる。



写真は、会えなくなった人にまた会える。
けど、死んでしまってもう二度と会えない人は、やっぱりどう頑張ってもその声で自分を呼んではくれない。その写真が動き出したり、続きを紡ぐことはない。二度と会えないってそういうことだよなぁ、悲しいよなぁと思う。また涙が出そうになって堪える。



父に肩車してもらったり、母と運動会に出ていたり、覚えてないけど沢山の思い出がそこにあった。
フィルムっぽいレトロな画質が、よりエモさを増していて、涙を誘ってくる。
自分が、わたしを産んだ親の歳を越してしまったからかもしれない。


アルバムを見て思うのは、普通にわたしまんまるでぷくぷくで可愛い....の感想もあるのだけど、どうしても親の幸せそうな表情にぐっとくる。
わたしを見ている表情がどれも限りなく優しくて、破顔って感じ。


親の、親だった顔を俯瞰してみると、くるものがあるよね。わたしはこの家の宝だったのだなぁと普通に、素直に、自ら思った。


今は、夫になった彼に、とんでもなく可愛がってもらっているけど、いつか子供ができることがあれば、わたしは親になる。
可愛がる対象ができて、みんなそこに集中して、じゃあわたしのことは誰が可愛がるの?と、子供みたいなことを考えたりした。

親は子供が幾つになっても親なのかな。可愛いもんなのか。結婚式、楽しみでもあり、なんか本当に親離れ子離れの儀式のような気もして、複雑な気持ちが今になって湧き出してくる。


当日、絶対泣かないなんてむり!!!





(全然話かわる)

SNSで、壇蜜さんが昔トークしていた動画が回ってきていて、
「女の人は、違うって差別化してるけど、
セフレの彼と、今の彼氏と、本当は差なんてなくて、ただ出会った順番が遅いか早いかだけだ」
というようなことを言っていて、膝を打つ。

と言うか、直接心臓を掴まれたくらい、ぎゅっとなる。


正当化したいから、色んな理由をつけては本気で好きじゃないみたいな素振りをするけど、本当は関係を長く持っていれば、実は全然彼氏にできるんだと思う。しないのは、今彼がいるからだけ。
もちろん、他にも理由はあるんだろうけど。



スタジオの男性陣は「そうなの??!」みたいな顔をして聞いていたけど、男女の差だなあと思う。わたしは首がとれるくらい頷いたけど?


昔、色々あった彼らも、お互い様だけれどもっと大事にしあえていたのかもなあと急に思い出す。
出会った順番かぁ、と考え込む。


今の人生は、その色んなことがあった順番のお陰でたどり着けていて、わたしは絶対その順番を踏まなければ、今の人とも結婚していないと思う。
なんやかんや、全部ありがとうだわ。


結局、どれだけ準備をしていても、80年くらいの人生、ほとんどがタイミングと、順番と、時に慎重な選択と運。本当にそれが全て!!
(特にわたしは準備をしなさすぎるし)


後悔するより、それを全部人生の栄養に変えていきたいよなぁ、としみじみ思う。



色んなことがきっかけで、幼少期から一気に振り返るタイミングがあった週末でした。



あと3日でヨーロッパへ立つ!!!
生きて帰る!!!✈️

この記事が参加している募集

今週の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?