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爆ぜる青と金無垢の碇

『水草や藻のはるか下方に、映っている夕空があった。その夕空は、われわれの頭上にある空とは違っていた。それは澄明で、寂光に満たされ、下方から、内側から、この地上の世界をすっぽり呑み込んでおり、金閣はその中へ、黒く錆び果てた巨大な
金無垢の碇のように沈んでいた。』

             (金閣寺/三島由紀夫)


 大阪から1時間程電車に揺られ、京都は金閣寺へ来た。夏萌ゆる青の真ん中に、金色の穴が空いたようにそれはそびえ立っていた。

 青という字には文字通り青(ブルー)だけでなく、自然や緑、または生命などの意味も持ち合わせている。いきいきして、汚れのない芽生えの色がすなわち青であるのだ。その青が織りなす偉大な自然のど真ん中に鎮座する金閣寺からわたしは、これまで地球が育んできた生命の摂理と相反する、不死または永遠の概念すら感じさせられた。

 ぶらぶら池周辺を歩いていると、錦鯉が水中を優雅に泳いでいるのを見つけた。着物に使われる絹織物「錦」に見えることから錦鯉と名付けられたのは有名な話だ。しかし戦前は、花鯉や色鯉と呼ばれていたらしい。第二次世界大戦が始まり、戦時中に「花」や「色」という派手で祝い事を連想させる言葉は相応しくないとされ、今の錦鯉という名前に統一したそう。
 水鏡に映る金閣寺をゆらゆらと切りながら泳ぐ姿はまさに生きる宝石。

 三島由紀夫は、この水面に映る逆さまの金閣寺を「金無垢の碇」と表現している。この水中の世界と、地上に爆ぜる青と金、そしてそれらを見事に融合させた水鏡を、三島はここから眺めていたのだろうか。

ーと、その景色が語る言葉を、感想と共にメモにしたためる。静寂というのはよく語るものだ、帰りの電車の1時間では到底足りそうにない。

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