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#12 『火定』と"奈良の大仏さん"

 新型コロナ感染症の世界的大流行の今、昨年読んだ澤田 瞳子さんの『火定』(かじょう)と”奈良の大仏さん”に思いが巡る。奈良時代に天然痘が猛威を振るう中、懸命に力を尽くす施薬院の医師が主人公の歴史小説だった。今も昔も、医師の皆さんには本当に心からの感謝を送りたい。原因不明な病気に対して、”火の中に飛び込む”ようにして他人のために働くとは、仏に近い方々だと心から思う。

 澤田さん本を読むきっかけは、『若冲』で京都の絵師伊藤若冲の歴史小説を読んで面白かったのがきっかけ。たぶん『火定』のタイトルとあの激しい表紙絵だけだったら手にしなかったと思う。若冲の表紙は、とても華やかだった。読み始めたら内容がものすごい迫力で、一気に読み終わった。学生のころ『アルジャーノンに花束を』を読んで以来、まさに”火が付いたように”一気に読み進めた。伝染病の被害と、それによって引き起こされる人間の行動による被害について、まるで見てきたかのように書かれてあった。

 小学校の修学旅行で、奈良東大寺の大仏を見た。デカいなぁー。と思った。なんでこんなにデカいのかなぁー、とぼんやり思った。自分に力があることを見せたいんだろうなぁーと、ぼんやりと思った。

 大人になって家族で奈良に遊びに行き、奈良の大仏を見た。建物内にある大仏さんの鼻の穴と同じ大きさという柱の穴をくぐるのが大変だった。修学旅行とは違った。(自分がデカくなった?体が硬くなった?たぶん、両方。)子供に、デカいだろうと、なぜか自分が造ったわけでもないのに自慢していた。新薬師寺のお坊さんから以前聞いていた、奈良時代には金より銅の方が高かったんドォゥー。と下らなないダジャレで子供にウンチクを語っていた。当時国内でも算出していた金にに比べて輸入に頼った銅は”あかがね”と呼ばれ高かったんだトカナントカと。

 「火定」を読んで、頭の中で何度も大仏さんを思い出した。救いのシンボルだったんだナァー、と分かった。天然痘の大流行で、”心のよりどころ”をみんなが一目見てわかるシンボルを、きっと聖武天皇は造りたかったんだろうなぁー、と分かった。

 現代人には、多分もう目に見える大きなシンボルを作る必要がないと思う。奈良の時代に比べれば、ICTなどのおかげで情報が共有され、それぞれが相手のことを思いあい、それぞれの心のよりどころを持ててていると思う。なぜなら『火定』に書かれているような大パニック・暴動はまだ、世界のどこでも起きていないのだから。

 外出自粛が解除されたら、久しぶりに奈良を訪れ東大寺盧舎那仏を観に行きたい。聖武天皇が昔願った思いを想像しながら。但し、もう柱の穴は通り抜けは遠慮をします。

補足: 柱の穴から抜けなくなる大人が多いようです。ご注意ください。
「柱くぐり」はご利益があると考えられており、普段でも待ち時間があるようなので、社会的距離を保つべき当分の期間は遠慮をしたほうが良いと思います。子供さんはスムーズですが、大人はやはり通り抜けに苦労するのが普通のようです。無理をするのはやめましょう。そこの大人のあなた(私。)

Web情報によると同寸大の模型がJR奈良駅近くの「はぐくみセンター」にあるそうです。 

https://東大寺-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/奈良%e3%80%80東大寺・大仏殿/真実を暴露%ef%bc%81奈良県・東大寺の大仏殿「柱の穴」/東大寺の大仏殿「柱の穴と鼻の穴の由来・意味・/.html


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