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『日本人の自覚するより深い傷』 第7話【宗教弾圧~葬られた聖典と教科書~】

【宗教弾圧~葬られた聖典と教科書~】
 
日本はかつて、天照大御神を祀る太陽信仰の国でした。
『天照大御神』は、日本における主要な神の一柱であり、太陽の女神として崇められています。八百万の神々の中でも特に重要な最高神として描かれ、『古事記』と『日本書紀』に登場し、天之御中主という神の娘として生まれました。天照大御神の父である天之御中主は、天地開闢の神イザナギと豊穣の女神イザナミの子であり、天照大御神はイザナギ神の孫にあたります。
天岩戸開きなどが知られていますが、現在でも神道において重要な位置を占めています。

『古事記』は、現存する日本最古の歴史書とされています。
681年頃、国内向けに「天皇家の歴史を後世に残したい」という天武天皇の願いによって始まり、天武天皇の崩御によって一旦は中断され、元明天皇に献上されることで成立。写本の序に記された年月日によれば、和銅5年正月28日(712年3月9日)とされており、稗田阿礼という記憶力に秀でた者に、それまでにあった書物を誦習させ、その口述を太安万侶が編纂したとされています。
内容は、創世や天地開闢から推古天皇の時代まで、国土形成、日本列島の神々や人々も記されており、日本の神話や信仰の根源も含まれているため、日本の歴史や文化、宗教を理解する上で重要な書物とされ、日本建国や皇室の起源についての情報も含まれています。

『日本書紀』は、古事記と同様に681年天武天皇の命により、日本初の正史として始まり、多くの編纂者の手を経て、720年に完成しました。主に当時の外国語である漢文で書かれており、対外国向けに国家によって公式に編纂された歴史書として知られており、日本の神話や伝説的な起源、初代天皇・神武天皇による日本統一から欽明天皇までの時代を扱っています。
当時の政治や社会の状況、人々の生活、国家の形成などについても記述されており、古代日本の歴史や文化を理解するうえでも重要な文献です。また、歴代天皇の系譜や重要な出来事の年代を含むため、日本の公式歴史書としても利用されています。

しかし、名前は知っていても戦後から現在まで日本の義務教育でこれらの内容までは教わりません。

第二次世界大戦の終結後、日本は連合国軍最高司令官(SCAP)ダグラス・マッカーサー率いるGHQの占領下に入りました。
GHQは日本の政治、経済、社会、宗教、教育などの様々な分野に干渉や弾圧を加え、戦前の日本の『国家神道』と政府の結びつきを断ち、神道を排除しました。
 
また、日本の教育制度に介入し、「古事記」「日本書紀」や君主崇拝を教育させないよう思想の弾圧を行いました。
四大教育指令を発し、「4.修身、日本史および地理の授業の停止と教科書回収に関する件」の指令により、指導の禁止、教科書の回収と廃棄を実施しました。

そもそも「日本史」という教科の名称は戦後、GHQの占領下にあった日本政府がつけたもので、戦前は「国史」という名称を使っていました。
日本史となってから教科書が編纂され、国史時代にあった目次「第一、天照大神」、神国、大和の国原などの古事記や日本書紀に書かれている内容が完全に除外されました。

戦前、「国語」の教科書にも当然「古事記」「日本書紀」の逸話が内容に含まれていました。しかし、天皇家の正統性の根拠を示す内容が含まれているため、「神格化されていく天皇の血脈への忠誠心を信仰にまで高めていった悪しき国民洗脳神話だ」として、神道と共に消されることになりました。
これは、『日本がアメリカにより宗教弾圧された国である。』と明確に言える事実です。

一神教圏では、聖書や聖典、科目として今でも自己の起源を知ることを教育に取り入れ、非科学的な神話教育を行い、人類の進化論さえ否定する国や地域が多く存在するというのに、GHQは日本人全員からはその『起源を知る権利』を剥奪したのです。

日本人の日本人たるを学ぶ「修身」はなぜ禁止されたのでしょうか。
「修身」とは、忠孝仁義つまり、主君に対する忠義と親孝行、思いやりと正義のことを指します。
「修身」の科目では、身を正しくおさめて、立派な行いをするように努めることを教えていました。現在の「道徳」の科目に近いのですが、戦前の内容には重要な祭日の意味や、その日行われる儀式の所作、日本人が日本人であるために、学んでおかなければならない必須の知識や、偉人たちの生き様を通して描かれた理想の日本人像が書かれていました。

しかし、修身は最も軍国主義、超国家主義を養成し、戦争に国民を駆り立てる役割を担っているとされ、修身の科目は紆余曲折を経て、13年後に全く新しい「道徳」として、評価対象にしない、専任教師や教科書は用いないなどの多数の制限を設けた上で再び導入されました。
修身は教育勅語の趣旨に基づいて編纂されており、教育勅語は特定の宗教・宗派に偏らず漢学にも洋学にも偏らず注意を払って起草されたものであり、次の十二の徳目から成っています。

「孝行」-親に孝養を尽くそう。
「友愛」-兄弟・姉妹は仲良くしよう。
「夫婦の和」-夫婦はいつも仲むつまじくしよう。
「朋友の信」-友人はお互いに信じあって付き合おう。
「謙遜」-自分の言動を慎もう。
「博愛」-広くすべての人に愛の手を差し伸べよう。
「修学習業」-勉学に励み職業を身につけよう。
「知能啓発」-知識を養い才能を伸ばそう。
「徳器成就」-人格の向上につとめよう。
「公益世務」-広く世の人びとや社会のためになる仕事に励もう。
「遵法」-法律や規則を守り社会の秩序に従おう。
「義勇」-正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう。
上記の項目を見て、「軍国主義だ、極端な国家主義的思想に基づいて国民を洗脳した」などと全否定され、GHQによる国民教育介入が行われたのです。

確かに徴兵前、戦中に「兵隊さんは勇ましい。」「お国のために戦おう。」「天皇陛下万歳」との言葉の羅列も多くありました。
父親や子供を戦争に出すのに納得させる何かを女性と子供は、求めていたし、徴兵され、劣悪な環境を耐え、命を捧げる覚悟を持つために、求心力や忠誠心が必要でもありました。

しかし、ここで問題なのは、『戦勝国のアメリカが日本児童の教育まで介入し、将来の日本人を作ってしまったこと』にあります。
国民に愛国心を持たせること、忠誠心を養うこと、国を守る人に敬意を示すことは、どの国でも、現在でもされているのに、日本にはそれを後世に渡り一切排除させたのです。
WGIPも行われず、自国民の手で教科書や教育方針の改定が行われていれば、必要な知識まで葬られることはなかったでしょう。
通常、教科書は時代に合わせて自国民で改定されているし、法律は自国民で修正されるべきで、他国民の将来にまで介入したことは、異常な執着心であり、敗戦国に対し行ったアメリカによる戦後の侵略ともいえます。

この「国史」「国語」「修身」を学ばずして、どう日本人の人格形成が可能となるのでしょうか。

「地理」は国力を持たせないためと大東亜共栄圏思想を否定するために教育を禁止されました。
戦前の地理の教科書には「地政学」が含まれていたのです。
「河川、橋梁、道路、鉄道、そして発電所は国防上重要なポイントである」などの内容が含まれ、国民が賢くなることで戦術力が養われてしまうため、地理的な条件をもとに、政治的、社会的、軍事的にどのような影響があるのかを学ばせないよう、今でも義務教育では地政学を取り扱っていないのです。

東亜の新秩序建設を主たる目的に作成されていたため、郷土愛に重きを置き、郷土、国土、大東亜、世界を一貫して学ぶ内容でした。大日本帝国の築いた大東亜圏の地図や内地、外地の人口、耕作地なども記載されていました。

「外地」と「内地」の差別・区別をなくすというのが、日本政府の長年の公式的立場でしたが、実際には法制度の面でも行政機構の面でも「内地」と「外地」との間にはきわめて大きな違いや格差があったため、「外地の内地化」が叫ばれ、統治機構においても「内外地行政一元化」が図られました。
外地では時間、人員、資金も足りず、外地原住民との調整や相互理解が必要なため、発展が遅れているものの、内地の者が外地についても『同じ日本』として発展させ、共生させる意識の素地を醸成するものでした。

侵略や支配といった植民地化ではなく、教育面の向上やインフラの整備、自律的開拓と衛生管理の普及のため、外地には内地の者が多数移り住み、現地の住人と共に労働に従事していました。
戦後に引き揚げただけでも630万人。現地没者、徴兵者、残留者、戦死者を含めれば、どれだけ多くの日本人が外地に移住し、現地に溶け込んで生活を送っていたかがわかります。

この地理の教科書が教育禁止、回収廃棄されてしまったため、戦前の日本がどれほど大きな領土を統治し、どれほど多くの国力と人口を持っていたのか、他国の近代化に貢献した歴史も大きな国であったことも、今の日本や世界の人々に知られていないのです。
すべての教科書、唱歌などの科目についても大幅な教科書改訂が行われました。
 
このようにして、GHQの占領下で信仰、思想、文化、教育、歴史は徹底的に大変革されたのです。
アメリカをはじめとする戦勝国は、この日本における宗教弾圧を正当化し、日本においても異論がなされず、日本起源の宗教まで排斥したにもかかわらず、国際的に見ても人道的に問題のある弾圧の歴史とされていないのが現状です。
 
『神道』は、日本の伝統的な独自の宗教であり、自然や祖先を祀る信仰を中心としています。日本の神社や神職、祭りなど、神道の要素が日常生活に浸透しており、神社への参拝や神職による神事、自然への感謝の意味を持つ年間行事が数多くあります。
 
『仏教』は、6世紀に中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わり、日本人と古くから関わりのある宗教です。
日本の文化や建築、芸術に大きな影響を与えました。仏教の寺院、仏像や仏具などは日本の風景に溶け込んでおり、日本の仏教は神仏習合、寺院の神社化に見られるように神道と混ざりながら、他国の仏教とは異なる独自の進化を遂げ、人々に対する救済と精神的な安らぎを提供する宗教として発展しました。
お寺への参拝や仏教行事、先祖の供養なども、日本人の習慣として広く行われています。

日本の祭りは、神道や仏教の要素の名残があり、地域ごとに異なる郷土祭りや行事があり、豊かな収穫や平和、祖先への感謝などを祈る意味を持っています。
自然崇拝は、日本文化に自然への敬意や感謝として根付いており、四季の移り変わりにまつわる祝日や自然や季節への感謝する盆踊りなどの慣習が残っています。
各地にあるお寺や神社は、読み書き算盤を学ぶ学校、地域の住民の交流や話合いの場、自然災害時の避難所など多様な役割を担ってきました。
 
日本人は、元来から天皇=人を神として崇めているわけではありません。
創造神信仰、自然信仰、八百万の神々、太陽信仰、民間信仰、神道、仏教、神仏習合、キリスト教など宗教は宗教として変遷、分岐、融合が起こり、天皇家は日本人の象徴的存在としてずっと世襲しながら存続し、政治を国、幕府や政府に委ねたり、または関わり合いながら時代によって異なる立ち位置に存在し続けました。
 
現在は、憲法でも宗教の自由が保障されるようになり、神教と仏教の融合にも見られるように宗教的に非常に寛容な社会を築いています。
神道も日本の主要な宗教の一つとして存在し、お宮参り、七五三、厄払いや婚礼の儀式、初詣や季節の祭祀などが行われています。
日本人は無宗教と言われることが多いですが、習慣自体が宗教儀礼の要素を含んでいると認識されることがあります。
これらの要素が、宗教的な意味を持つとされ、異文化交流の際、他宗教者の宗教的禁止事項になることがあります。しかし、日本の宗教観は個人によって大きく異なり、現代では無宗教や世俗的な考え方が広まる傾向から、これらの日本文化や慣習は宗教とは分けて考えられています。
日本の宗教は、すべてを排除すると固有文化自体がなくなるほど生活に溶け込んでおり、別離のできない複雑で多様な構造をしており、特定の宗教とのみ深く結びついているとは言えないのです。
 
多くの日本人は、異なる宗教や文化に興味を持ち、理解することを好む傾向があります。そのため、他宗教のイベントに参加することで、異なる信仰や伝統に触れ、多様性を学んで理解し、国際的な交流や多文化共生を図り、相互理解を深めることを重要視しています。
 
陰陽や風水を用いても道教信者ではなく、教会で結婚式を挙げるからと言ってキリスト教信者ではなく、クリスマス、ハロウィン、バレンタインなどの西洋行事も独自の方法と価値観で生活に取り入れています。
また、他宗教の敬虔な信者への配慮のために空港や駅にムスリム専用の祈祷室を設けたり、モスクやハラルレストランを増やす対応や原材料表示等の取組、宗教的な配慮が必要な児童生徒への対応、宗教的理由による輸血拒否への対応、土葬への対応など、様々な宗教に対して理解を深めるパンフレットの作成やガイドラインの作成を行うことで、国民への教育の浸透に努めています。
 
仏教、儒教、道教、キリスト教、新興宗教が入ってくる中で、神仏習合、神仏分離のように神道約14宗派、仏教約13宗56派、キリスト教約3宗6派と日本独自の分派を含め、非常に多様に分かれており、文科省では、宗教を系統で調査しています。
神道はそもそも文化で、宗教ではないとする考えや、二重にカウントされている場合もあり、約60%の無宗教だと自認している日本人も、初詣やお参りなど無意識に宗教的儀礼をおこなっている場合がほとんどであるため、むしろ完全な無宗教者は稀で、自覚と調査結果には隔離があることが多く、正確に数値化することは不可能に近いのです。

日本人は、神教系約15%、仏教系約16%が多く、次いで約1%のキリスト教系と約8%のその他系統の宗教とに分かれていると推定され、その他系統では元の宗教から分派として認められていない宗教や世界的に伝播している宗教、新興宗教も含まれています。
 
その他系統の中でもイスラム教は、世界に広まった7世紀頃は日本に伝来せず、日本には長らく信者がいませんでした。戦後の国際化で少しづつ増えはじめ、現在日本で永住資格を持つイスラム教徒は、約0.04%で婚姻等により著しく増加傾向にあります。
 
バラモン教とヒンドゥー教は仏教と混ざってから、日本に入って影響を与え、輪廻や業、解脱といったものが仏教または密教の教義として認識され、バラモン教・ヒンドゥー教の神ヴィシュヌ(別名ナーラーヤナ)は日本に入る際、仏教の那羅延天(別名:毘紐天)となり、クベーラ(別名ヴァイシュラヴァナ)は、仏教の毘沙門天として日本の神社で見ることができます。
シヴァは大黒天、サラスヴァティは弁財天となり、宗教的サンスクリット語は日本で荼毘(だび)にふす、娑婆(しゃば)に出る、修羅場、刹那、奈落など日本語として定着しているものもありますが、ヒンドゥー教としての増加傾向はみられません。
 
新興宗教は約400団体程度と数多く出てはいるものの、90年代以降に様々な事件や犯罪が大きく報道され、社会問題化したこともあり、多くの日本人に宗教への恐怖心を与え、衰退する結果となりました。
その傾向は他の宗教にも影響を与え、無宗教自認者の増加にもつながり、「宗教と政治とヤクザの話は公共の場でしないように」と言う宗教拒否反応も見られるようになりました。

 
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