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『日本人の自覚するより深い傷』 第4話【原爆投下を正当化するGHQの心理戦】

【原爆投下を正当化するGHQの心理戦】
 
WGIP(戦争自虐思想情報工作)の目的の一つは、「原爆投下への怒り、憎しみを日本人が持たないようにすること」でした。
アメリカの公文書(WGIP文書)の中には、その目的の一つとして、「一部の日本人およびアメリカ人が、原爆の使用を『残虐行為』であると考える傾向をなくすこと」と明記されています。
その効果はめざましく、「原爆投下は大虐殺だ。戦争犯罪だ。」という声は被害国である日本において驚くほど小さくなり、今なお「仕方ない」と考える人も少なくないのです。
アメリカの世論調査会社ピュー・リサーチの2015年(原爆投下70年後)の調べによると、「原爆投下を正当」と考える日本人が7人に1人いるとの結果が出ました。

NHK広島局は、第一回目の「平和祭」を1947年8月6日に広島県内とアメリカに向けて、また翌年からは日本全国に向けてラジオ放送を開始しました。
数多くの市民が虐殺された日の祭りの名前が「平和祭」というのはいかにも不合理ですが、当時はGHQによる占領中でNHKの地方局も占領軍の検閲と言論統制のもとにありました。この「平和祭」そのものがWGIP(戦争自虐思想情報工作)の一環だったのです。
そして、原爆投下の真下に当たる場所に設置された鐘は、「平和の鐘」と命名されました。ほかの原爆関連施設も、WGIP文書に『広島プロジェクト』として言及されていた広島平和記念都市建設計画のもと、ほとんどが「原爆」ではなく「平和」という名前に塗り替えられています。
これは「原爆」という言葉を広島や長崎の人々が見聞きすると占領軍に対する憤激や恨みの気持ちを再びかきたて、原爆投下に関する式典が行われるたびに広島、長崎の人々がアメリカに対する憎しみを重ね、GHQの支配に反抗することがないようにしようと考えられてされたことでした。

平和記念式典、国際平和文化都市、平和記念公園、広島平和記念資料館、広島平和都市記念碑、平和祈念像、平和の門、平和の石塚、平和の池、平和への灯、平和の時計塔、平和記念碑、平和大橋、平和の塔など、あまりに多いのです。
「世界の恒久の平和」を祈念して名づけることもあるでしょう。しかし、とても違和感があるのは、「原爆」の言葉が意図的に隠されているからなのです。
広島の原爆慰霊碑の碑文はこのようになっています。
『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』この碑文は、「日本人が過ちを犯したのでその罰として原爆が落とされた」という意味を持っていると読まれかねません。

また、長崎では「長崎原爆資料館」という名称になっているのですが、原爆投下にちなんで作られた像はやはり「平和祈念像」と呼ばれ、平和の記念碑、平和の泉、平和の池がある「平和公園」のなかにあります。
長崎にはクリスチャンが多く住んでおり、中でも原爆が落ちた浦上は、日本のカトリック教区の中で最大の約8500人の信者を擁しており、「原爆は浦上のキリシタンの上で炸裂した」と言われています。カトリック教会が破壊され、天主堂はミサの準備をしていた信徒と共に原形を留めぬ状態だったとのことです。
長崎のクリスチャンは17~19世紀、禁教政策の中、厳しい弾圧を受けながらも約250年間信仰を守り通した子孫でした。キリスト教国アメリカは、なぜ日本のクリスチャンが最も多い場所に原爆を落とすことができたのでしょうか。

長崎の原爆資料館の被爆者の証言ビデオでは、最後にインタビュアーが「原爆を投下したことは正しかったと思いますか」と尋ねる場面があります。これに対してほとんどの証言者は「戦争を終わらせるためにしかたなかった」とGHQに洗脳されたままの答えをしているのです。

原爆で亡くなったアメリカ兵がいたことをご存知でしょうか。
山中に落ちた爆撃機のアメリカ兵生存者9人は、パラシュートで降りた先の広島で捕らえられました。
「アメリカ兵は皆若く端麗な顔立ちをしていた」と管理官は後に語っています。管理官の日本人は気の高ぶるアメリカ兵を「ガールフレンドはいるかい?会いたかよねぇ。」となだめたそうです。
日本人は捕虜になっていたアメリカ兵を「国際法で決まっているので、決して殺してはならない」と言って、命を守り、被爆の影響で苦しむアメリカ兵を病院で治療し、見舞いに来た同胞の面会も受け入れました。そして、被爆で亡くなった彼らの死亡診断書を英文で書き残しました。
当時火葬埋葬される日本人が少ない中、アメリカ兵を火葬し、お墓を作り、花を供え弔いました。後に遺骨を母国の家族の元に届け、死亡診断書でどのような最後であったかも伝えることができたと言います。

アメリカ兵捕虜は日本人に苦しめられたのではなく、味方の原爆の返り討ちで殺され、アメリカ政府からは未だ遺族に報告がないのが実情です。
アメリカは味方の兵がいると知っていて広島に原爆を落としたのでしょうか。爆撃機落下後の生存者数は本部に報告され、捕虜となっていることは伝えられていたはずです。
広島では、多くの反対する日本人を説得して被災アメリカ兵達の魂を鎮める慰霊碑を建てたと言います。当然、慰霊碑を汚したり、壊すような日本人もいません。

原爆投下を「早期に戦争を終わらせるため。」「これ以上の戦死者を発生させないため。」「他に選択肢はなかった。」などとする見解は後に偽装された全くの誤りです。

その理由の一つは時系列。
1945年5月 皇室維持条項を含む最後通告が言い渡される
1945年6月 日本軍実質降伏、交渉を重ねるが「無条件降伏」以外は受諾されず
1945年7月 世界初の原子爆弾が完成
1945年7月17日~8月2日 ポツダム会議で戦後処理の詳細を決定する連合国会議が開催される
1945年7月26日 無条件降伏を求めるポツダム宣言を発出
1945年8月6日 広島市に原子爆弾投下
1945年8月9日 長崎市に原子爆弾投下
1945年8月10日 日本政府はポツダム宣言の受諾の電報をスイス、スウェーデン公使を通じ連合国側に伝達
         また、モールス放送で受諾を全世界に放送
10日~13日まで、なおもポツダム宣言の英文翻訳解釈の相違により激動
1945年8月14日 ポツダム宣言を再度受諾し、昭和天皇により敗戦の詔勅の録音がされる
1945年8月15日正午 ラジオにてポツダム宣言の受諾及び日本の降伏が国民に放送され、終戦となる

1945年6月、日本は降伏を示していたが、唯一要求したのは、「天皇の安全」だけでした。戦後に昭和天皇が戦犯として死刑を宣告された場合、日本国民の多くが、自決するとわかっていたからです。
しかし、どうしても原爆を落として、ソ連に脅威を見せたいアメリカ大統領は、「一切の条件を聞かない無条件降伏しか認めない」と日本の降伏を遅らせて時間を稼ぎ、原爆を2つ投下しました。終戦宣言のたった数日前に落としたのです。そして、日本は即日無条件降伏を承認したため、残る3つの原爆は落とされなかったということです。
つまり、7月から日本の「戦後処理」を話し合っていたにもかかわらず、無条件降伏に調印させるためだけに22万人の市民の命を奪ったと言えます。

そして、もう一つが標的とした場所。
原爆投下の場所として「人口100万を超す大都市であること」や「原子爆弾の破壊力を正確に測定し得る十分な広さの市街地を持っていること」などが条件でした。
最有力候補地は京都。しかし、京都は数多くの価値ある日本の文化財が点在し、これらを破壊する可能性のある原子爆弾を京都に投下したならば、戦後、日本国民より大きな反感を買う懸念があるとの観点から、古都京都への原子爆弾投下は中止されました。
また東京も106回の空襲と100万人の罹災者を出した東京大空襲を受けていたため、既に死者も疎開者も多く、一面焦土となっていたことから、原爆の破壊力を測定しかねるために中止されました。
目的は、大量の市民を虐殺でき、威力を計測すること。アメリカが強いと世界に知らしめるための投下でした。

1941年11月アメリカ陸軍より日本都市を焼夷弾爆撃する構想が伝えられ、B-29爆撃機を250機発注し、1600基の焼夷弾の増産が命じられました。
「日本は木造住宅が多く、過密なため、大火災が起こりやすく、国民は火災の恐怖を刷り込まれている。市街地絨毯爆撃で住宅や工場すべてを一緒に焼き尽くし、パニックを起こさせ、地獄を見せろ。」と言う提案を1943年10月にルーズベルト大統領が承認し、1944年6月以降に日本本土市街地空襲が始まりました。
日本全土への空襲は激化し、アメリカ軍の行為は、この時すでに、軍事的意義などは皆無となっていたことでしょう。
1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに1945年8月15日の終戦最後の日まで、「大」空襲と名の付くものだけで、名古屋、大阪、城北、川崎、徳山、横浜、台北、鹿児島、福岡、静岡、佐世保、岡山、延岡、熊本、徳島、高松、和歌山、沼津、青森、富山、福岡、八幡、熊谷が大空襲の被災地となりました。
マリアナ基地にいた原爆投下を任務とする「第509混成部隊」は、1945年7月20日から、高空からの一発投下に慣れさせる目的で原爆投下目標地以外を自由に爆撃させ、原爆投下練習を開始させました。

そして、「大空襲から逃れ、人口も多く、まだ破壊されていない所」という理由で広島と長崎が選ばれたのです。
核爆弾はたった2ヶ月の急ピッチで作られ、トルーマン大統領の「真珠湾の報復だ」という号令で投下の指示が出されました。
つまり、日本に投下することは製造段階から決まっており、たった一人のアメリカ人が、日本軍への報復のために大量の市民を虐殺し、戦果を挙げたかったから原爆投下は実行されたのです。

トルーマン大統領は、日本人を動物実験として使い、恒久的に土地を汚染できる新兵器をどうしても実践で試してみたかったから、間に合うよう急いで製造させ、戦争終結を延ばしてまで投下にこだわったのでしょうか。
どうやら、それにはルーズベルト大統領が影響していました。
ルーズベルト大統領は差別主義者で、特に日本に対しては執拗なほどの差別意識を持っている人物でしたが、終戦の約4か月前の1945年4月12日、肖像画を描かせている時に脳卒中で死去しました。
そのあとを任された副大統領トルーマンは、大統領昇格により、急遽全権を掌握できる立場となり、興奮と重責の中にいたことでしょう。周囲の反対も押し切り、歴史に残る成果を挙げ、国内外に自身の権威を認めさせるため、ルーズベルト大統領の引いたレールの上で、手元の原爆を何としても日本に落とすことに執着したのです。

日本は、日本軍どころか既に多くの市民も戦死し、被災しており、万が一原爆投下前に、応戦していたとしても相互の軍人が合計22万人も戦死するはずもない状態でした。
アメリカ軍もそれを承知しており、「これ以上の戦死者を出さないため」という言い訳は成り立ちません。
そして空爆も原爆も投下されたのは市民しかいない市街地であり、軍人がいる戦地ではありません。
軍と軍の戦いではなく、日本全土を国民もろとも破壊したのです。
つまり、『原爆投下は必要なかった。』日本政府はそれを明言するべきです。

「アメリカ経済を世界恐慌から回復させるための第二次世界大戦」と戦争を正当化し、戦後にアメリカの威力を見せつけ、実権を保持し、世界中に恐怖心を与え続ける。その目的はおおかた達成できたことでしょう。
現在でもアメリカ政府は、自国民が残虐な国史に失望しないよう、事実を伝えぬままでいます。
それがアメリカにおける「正義」であると言うのなら、非常に悲しいことです。

8月6日に広島に落とされたのは、ウラン原爆。8月9日に長崎に落とされたものはプルトニウム原爆です。
核兵器が実戦で使用されたのは、世界でもこの2都市だけです。
原爆の特徴の一つは、爆発の瞬間に膨大なエネルギーが放出されることで大きな破壊力があるということ。
そして、もう一つの特徴は、爆発時に大量の放射線を浴びることで、その後長期に渡る人体への影響で、いつまでも苦しめられるということです。
爆撃を免れた人でも、被爆地で親族を探したりした人たちが、後に被ばくの影響で健康を害したり、亡くなったりしています。
その理由は残留放射能によるもので、放射能を持たない地面や建物などの物質に放射能を帯びさせる「中性子放射化」と爆発時に成層圏へ上昇した物質が冷却され、煤と共に黒い雨となって地上に落ちた「放射性降下物」による被ばくです。
そのため、原爆投下から78年経った今でも「被ばくの後遺症」を患う人がいるのです。

胎児期の放射線被ばくによって発生する影響は、知能障害、流産、奇形、発育遅延などがあり、現在でも妊娠の時期によって、レントゲン撮影を控えさせるなどの対応をしている先進国が多いかと思います。
しかし胸部レントゲンによる被ばく量は0.01ミリシーベルト未満であり、胎児に影響を及ぼす可能性は極めて低いとされ、宇宙や大地から出ている自然放射線量は240倍の年間2.4ミリシーベルト。そして原爆投下時の被ばく量はガンマ線だけで4220ミリシーベルト、日常生活で年間に受ける放射線量の1758倍以上です。
現在では広島、長崎には放射能の残留はありませんが、5%が「初期放射線」となり、10%が「残留放射線」となることから、戦後も投下直後と同数以上の被ばく犠牲者がいます。

2発の原爆による投下時の死亡者数は、正確にはわかっていないものの、広島・長崎の2市が作成している「原爆死没者名簿」に記載されている人数は、広島32万8929名、長崎18万9163名の合計51万8092人。
この数は、投下時直後に死ぬことができず、後遺症に苦しみ続けて亡くなった人の数を含んでいます。しかし、ここには認定されなかった人や記録にない人の数は含まれていません。

アメリカは核兵器を1950年から1980年の間だけで32件紛失しており、6つは未だ回収されず、そのうちの1つが2023年現在も日本の喜界島近海に落ちています。
1989年6月16日第114回国会(常会)答弁書によれば、『1965年12月5日太平洋海上1個の核兵器を搭載したA-4航空機が米航空母艦から滑り、海中に落ちた。当該機のパイロット、航空機及び核兵器を紛失。当時何ら日本政府に報告はなく、一切措置をとらなかった。1981年に日本政府は事故報告を受けたが、1989年まで具体的水域の報告はなかった。』とアメリカ政府は、パイロット、航空機及び核兵器が、海中に水没し、回収しなかったことを認めています。

搭載の水素爆弾は広島型の約70倍の爆発力と想定されていますが、アメリカ政府は日本政府に8年間隠蔽し、未だ一切回収する気配はありません。
さらに、当時のアメリカ空軍は、核搭載機パイロットのウェブスター大尉を救助しなかったばかりか、現アメリカ空軍も遺骨の引き上げすらしていません。
ダグラス・ウェブスター大尉は、アメリカのベトナム戦争関連戦死者のリストにも載っておらず、隠滅主義の極みと言えます。
すぐにでも、同胞戦死者の遺骨を引き上げ、埋葬し、弔うべきだし、機体と水素爆弾も安全に処理し、アメリカ本国で残骸を引き受けるべきだと思います。
万が一太平洋で海中爆発した場合、日本は津波により大きな被害を受け、その被害は韓国、中国、台湾などの周辺諸国にもおよぶ可能性が高いのです。
「爆発しない」と明言されてはいるものの、万が一爆発の際は、アメリカ政府による大犯罪であることは明白であり、「知りながら爆発前に引き上げず放置した」として、その罪深さは計り知れないでしょう。

日本政府はこれを言及せず、廃棄物処理法に違反した不法投棄状態でもあり、国民を脅かし、爆発物取締罰則、危険物に関する法令にも違反しているにも拘らず、放置していて良いのでしょうか。

アメリカによる原爆投下は、何の罪もないユダヤ人を大量虐殺したアドルフ・ヒトラーと何ら変わりないとしか言いようがありません。
アメリカ政府が「原爆投下は間違いであった」と認める日はくるのでしょうか。アメリカ本土に原爆が落とされてから認めても遅いのではないでしょうか。
世界に推定12,520発ある核弾頭が使われないようにするために、製造を止めるために、アメリカ政府が「核兵器を使ったのは間違いだった」と世界に伝える必要があると私は思います。

日本の原爆資料館を訪れたアメリカ人は、「日本人はアメリカ人を恨んでいますか?」という質問をします。
「はい。」と聞いたことのある人はまずいないでしょう。それは日本人が本音を言わないからではありません。
しかも日本では戦争中から個人を恨んでいる人は少なかったのです。
戦争自虐思想情報工作WGIPで洗脳などをしなくても、ほとんどの日本人はアメリカ人を恨むのではなく、戦争を恨んでいたでしょう。そして、自身の祖先をも恨みません。
恨みは報復を生む。報復感情はそれを持つ間、自分自身を苦しめ、新しい幸福が人生に訪れるのを拒みます。憎悪感情に支配させるほど人生は長くありません。

万が一日本人に報復感情があるとしたら、敵国の国民に自国で何をさせるか、自然災害でどこに天罰を下すかも簡単に思いつくでしょう。専門家でなくとも他国の弱点を知っているし、武勲を求めないので、自業自得を創り出せるのです。
しかし、日本人は人間としての思考を持ち、冷静で、自然を愛し、隣人を愛する民族です。
望郷の念を持ちながら、死して尚帰国を許されなかった霊仙三蔵が『因果応報』と言っているように、「善い行いをすれば幸せが訪れるし、悪い行いをすれば災いが降り掛かる」と信じているのです。
アメリカは日本に落としたのが唯一の救いです。ほかの国であれば、その場で報復が訪れていたことは想像に難くないでしょう。

原爆や戦争など知りもせず関係ないと日々を忙しく生きている人、家族を養うために仕事のこと以外は考える時間のない人、尊厳と名誉のために軍人として国のために働く人。
今の世界はここに書かれていることに関心のない人がほとんどでしょう。
自分の生涯に関係がないし、宗教的に若しくは国民として、このような考えは受け入れられないという人もいるかも知れません。
「この仕事がなくなったらどうやって飯を食うのか、責任を取ってくれるわけでもないのに理想を唱えるな。」
「見たこともないし、自分のことを何も知らない日本人が私の人生や祖先の歴史を否定するな。」
そう思うかもしれません。

しかし、同じ地球の同じ時代に生きているのです。少しだけ耳を傾け、考えてくれるだけでいいのです。
たとえ国に大切にされなくても、親に愛されなくても、人の価値に優劣はありません。命に重いも軽いもないのです。
5分前には考えもしなかった核爆弾が一つ町に落ち、一瞬で14万人の命を奪い、あらゆるすべての努力や成果を焼き尽くし、78年絶っても痛みとトラウマに苦しんでいる街になる。
そんな爆弾が世界に12,520個。
1つであなたの街の人を全滅させるだけの威力のある核爆弾を、たった一言で投下指示を出せる人は世界で9人。
どの国で誤爆するか紛失するかもわからないのに、見ない、聞かない、言わないままで良いのでしょうか。
 
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