愛習研

1952年創業の愛媛県の競書雑誌『習字』制作を続けている会社です。 創業者澤田大暁の志…

愛習研

1952年創業の愛媛県の競書雑誌『習字』制作を続けている会社です。 創業者澤田大暁の志を受け継ぎつつ、未来へ向けた書の可能性を模索しています。 子どもから大人まで、書道を指導もしています。 弊社の雑誌を使用して教えてくださる指導者は随時募集しております。

最近の記事

  • 固定された記事

はじめまして。

愛媛県習字教育研究会の澤田です。 昭和27年創業の、かったーい名前の会社です。 祖父澤田大暁が創始し、私で三代目の書道一家です。 指導するだけでなく、競書雑誌を作ったり、 書道のイベントなどにも積極的に参加したりしています。 書道って、きれいに文字を書く、以外の鑑賞の観点って難しいですよね。 ここでは、そういうものをちまちまと書いていけたらと思っています。 私自身は、経営学部を卒業したあと、 大学に入り直して高校書道の教員免許を取り、 ついでに大学院で書道専

    • 筆まめチョイスの話

      明日から愛媛県美術館南館で 私たち愛媛県習字教育研究会が主催する 第70回愛媛県学生書道展が始まります。 . その中で、『筆まめチョイス』という 試みを2年前から始めています。 これはどういうことかと言うと、 書写、書道的な観点から言うと賞には入らないけれど、 工夫していたり、楽しんでいたりするような 通常の書道展とは違う評価軸からみて素敵な作品に対して 何か評価する方法はないかと考えて捻出したものです。 . 愛媛県習字教育研究会は書道に親しむ人を増やしたいという理念があり、

      • 「師事する」ということ

        「師事」という言葉について これまであまり良い印象は無かったのですが (理由は御想像にお任せします) 今年、祖父の足跡を訪ね歩いていくうちに 「師事する」ということがどういうことなのか なんとなくわかって来た気がします。   祖父は2005(平成17)年に亡くなりました。 今から17年前のことです。 生まれた子が高校二年生になるくらいの年月ですので 決して短いとはいえません。   でも   今でも祖父の澤田大暁を師事してくれている方が たくさんいます。 「師事する」というのは

        • 不完全ということ

          手書きの文字の良さや魅力って何だろうって考えると、 どれ一つとして全く同じでないことと、 完璧でないことかなって思うんです。  フォントとの違いですよね。   例えば同じイメージで作品を作ったとしても、 私とあなたの作品は違うし、 今日の私と明日の私の作品も違います。   そして書いたときには『完璧!』って思っていても 一晩経って観てみると「…ん?」ってことも けっこうあるあるですよね。   いずれにしても、 唯一無二であることはとても大きな魅力です。 そして、どこかが完全

        • 固定された記事

        はじめまして。

          書道教室の役割

          習字教室、書道教室、書塾など、呼び方はさまざまありますが、 教室に来てくれた子に1番伝えたいことは 「書を好きになってください」 ということです。 好きになれば上手にもなりますし、 もっと書きたい、もっと上手になりたい、と 良いサイクルになります。 たとえ上手に書けたとしても、楽しくなれば続きませんし、 好きじゃないと来るのも苦痛になりますよね。 なんの教室でもそうかもしれませんが、 少なくともうちの教室では、 楽しんで好きになってもらいたいのが一番です。 ちょっと修正

          書道教室の役割

          「らしさ」という呪縛

          この前テレビを適当にチャンネル変えて観ていると、 ジェンダーについて語る番組がたまたま映りました。 その番組は、無意識のうちに刷り込まれる 「男らしさ」「女らしさ」について考えるという話だったんですけど、 ジェンダーに限らず、「らしさ」に囚われていることって 意外と多いんじゃないかなって思いました。 「年齢らしさ」とか、 「大人らしさ」とか、 自分でも気が付かないうちに囚われて、 息苦しく感じていることが多いんじゃないのかな、と。 私という人間が「こうでな

          「らしさ」という呪縛

          書の鑑賞について

          ↑こちらに書の鑑賞についての記事を書きました。 えらく長くなってしまったのですが 書きたいことが書けて満足しています。 目下、燃え尽き症候群です。。。

          書の鑑賞について

          書の個性

          「みんな違って みんないい」 * 基本的な筆の使い方とか、崩し方のルールとか、 そういうことにばかり気を取られてしまうと 結局自分の字になかなか自信が持てないものです。 かといって筆遣いをおろそかにして良いわけはないので なかなか難しいところです。 基本的に、筆遣いと線質が上等であれば、 形の取り方については個人のバランス感覚で良いと私は考えています。 先生のお手本とそっくりにする必要はないというわけです。 個性的な字は魅力的です。 大切なことは「そっく

          書の個性

          前に絵を描いていた時友人に「写実的な絵ってすごいよね、私にはできないわ」という話をしたら、写実的を求めるのなら写真撮ればいいんだから絵を描くメリットである現実では起こりえないことを描く方に自分は良さを感じるというようなことを言っていて、なるほどな、と思ったことをふと思い出した。

          前に絵を描いていた時友人に「写実的な絵ってすごいよね、私にはできないわ」という話をしたら、写実的を求めるのなら写真撮ればいいんだから絵を描くメリットである現実では起こりえないことを描く方に自分は良さを感じるというようなことを言っていて、なるほどな、と思ったことをふと思い出した。

          源氏物語「雨夜の品定め」の書のところの話

          私が初めて源氏物語をちゃんと読んだのは 大学院に入ってからでした。 それまでの私はというと、 古典の授業で習ったこと以外ほぼ分からないというのに 勝手に「源氏物語って光源氏が好き放題女をとっかえひっかえする話でしょ」 と思っていました。 本当にすみませんでした。 めちゃくちゃ面白かったです。 読んだことない方、おすすめです。 とりあえず主人公死んでからも話が続くとか斬新すぎですよね。 文語だからとあなどるなかれ。 序盤から光源氏が 「なんかこの家から女

          源氏物語「雨夜の品定め」の書のところの話

          書の創作は楽しい。

          日頃の臨書(お手本を見て書く書法)も好きです。 創作は、臨書とはまた違った楽しさがあります。 臨書ばかりやっていると、 いざお手本がない状況において何も浮かばないなんてことも 起こるようです。 でも、創作ってすごく面白いと思うんですよ。 自分が面白いと思うことを自由に表現することができるって楽しいです。 ただ、私の中の基準では、 「文字として成立していること」というルールは持っています。 パーツは確実にあって、その上でいかに遊ぶか。 それに尽きると思います

          書の創作は楽しい。

          書くことが好きなんですよ。

          でも、なんで字を書くことが好きなのか、 自分でもよくわからないんですよ。 文章を書くことも嫌いじゃないんです。 文章を読むことは昔から大好きです。 文字を書くことももちろん好きなんですけども、 今日ふと、なんで書くことが好きなんだろ? 何が楽しくてこんなことしてんだろ? って思ってしまったんです。 えっ初歩的?!今更?! と思いつつでも改めて考えたことなかったな、と。 臨書(お手本を見ながら書くこと)をするときに楽しいところ。 お手本を見ながら集中して書

          書くことが好きなんですよ。

          芸術は、必ず人生に必要なものではないけれど、豊かな人生には必要なものだと思うんですよ。

          芸術は、必ず人生に必要なものではないけれど、豊かな人生には必要なものだと思うんですよ。

          美文字、とは。。。

          みんながなんとなく使っている言葉ってありますよね。 一昨年くらいにはやった「マジ卍」とかね。 適当に使うものなのかと思っていましたけど 実際どうだったんでしょうね? 定義できるような意味なんてあったんだろうか? んで、今回は「美文字」です。 美文字ってなんなんでしょうね? 「良い字」とは、違うんでしょうか? 「良い字」というのは、 個人的な用法として「品行方正な字」というよりは 味のある、人間味のある字、というイメージです。 美文字って、そういう意味では

          美文字、とは。。。

          下書きばかりが増えていく。。。 でも公開できるようなものじゃないー。

          下書きばかりが増えていく。。。 でも公開できるようなものじゃないー。

          変わることを恐れない人になりたい。知らないものを知りたいという気持ちを大切にしよう。

          変わることを恐れない人になりたい。知らないものを知りたいという気持ちを大切にしよう。