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「らしさ」という呪縛

この前テレビを適当にチャンネル変えて観ていると、

ジェンダーについて語る番組がたまたま映りました。

その番組は、無意識のうちに刷り込まれる

「男らしさ」「女らしさ」について考えるという話だったんですけど、

ジェンダーに限らず、「らしさ」に囚われていることって

意外と多いんじゃないかなって思いました。

「年齢らしさ」とか、

「大人らしさ」とか、

自分でも気が付かないうちに囚われて、

息苦しく感じていることが多いんじゃないのかな、と。

私という人間が「こうでなければならない」ことなんて

よくよく考えてみたらそんなにない気がしました。

選んだ環境の中で自分らしくいること以上に

大事なことなんてないんじゃないかな。

私は植物が苦手で花とか全然好きじゃなくて

昔は「女の子なのに花束が嫌いなんて!」とよく言われましたが

(いや、念のため言っておくと遠くから愛でるのは嫌いじゃないんです

 触るのが気持ち悪いだけです)

そんなことで自分を卑下する必要はないわけですよ。

だって苦手と思う私が私なんだから!

「大人らしさ」「書家らしさ」「女らしさ」なんてものは、

実は最初から存在しない幻なのかもしれません。

そんなものに関係なく、好きなものは好き、と

言え…る…ん?これ槇原敬之じゃ?

…脱線しました。

大事なことは、

自分がどうしたいかを自分によくよく聞いてみて

死ぬまで生きればそれで良いということではないでしょうか。

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