見出し画像

『香害』は『公害』:自治体やメディアの言葉選びが世論に及ぼす影響について

香りの害と書いて『香害(こうがい)』。
この言葉を最初に作ったのは、誰だろう。
上手いことを言ったと素直に思う。
困っていることをインパクトをもって伝えるためにも、キャッチーで優れた言葉だと思う。
でも、公的機関やテレビ・新聞等のメディアが不用意に使うと、はっきり言って、化学物質過敏症患者への無理解を助長する言葉だと、私は考えている。
体調不良を引き起こす原因が『香り』であるという印象が刷り込まれることで、有識者と当事者以外のところでは、どうにも、好みの問題に議論の焦点が行きがちにならないか。
 

ときに、治療や受けられる支援などの建設的な情報収集のためではなく、自分が柔軟剤で体調を崩すことは気のせいではないと確認して落ちつくため、『柔軟剤 吐き気 腹痛』等のキーワードでネットを検索する。
すると、自治体による『香害』への注意喚起ページも最近はよく出てくるようになった。
でも、「『香り』で体調不良を引き起こしている方がいます。職場や公共の場では『過剰な香り』を控えましょう」といった表現の説明しか、私は今のところ見たことがない。
それでも、『化学物質過敏症』という用語は、以前に比べれば使われるようになったとは思う。
 
当然、当事者以外が不勉強すぎるなんて言わない。
人間ひとりの人生も、リソースも、適性もまちまちだ。
有限の人生の中でなんでもかんでもに全力でコミットしていられないのは、個人レベルで言えば当たり前だ。
だからこそこういうことは、自治体、メディア、政治家などの言葉遣いで、当事者に対する風当たりや世論を多少マシにすべきもの、できるものだと、私はいつも考える。
仮に『公害』という言葉は使えなくても、『香害』という言葉を選ぶ時に慎重になったり注釈付きの物言いをしたりすることは、すぐにできるはずだからだ。

そして、よりどころにされる立場にある発信者、ましてそれで食べている人は、勉強し続ける義務も、言葉使いに配慮する義務も、自身の立ち位置を俯瞰して想像力を働かせる義務もある。
一方、私は一般の人なので、こんな考え方もあるのではないかという主旨で、無責任に書いてみる。
 
『香害』はもはや『公害』ではないのか。
小学校の教科書にも載っているような、水俣病や四日市ぜんそく、イタイイタイ病などと同様に解釈されるべき事象だと、私は考えている。
目先の利益や嗜好のために見過ごしたことが、後から深刻な環境問題、健康被害を引き起こすことが『公害』だと思うからだ。


これをれっきとした『公害』であるとすれば、その原因物質の大部分が偶然、香りを司る成分だっただけだ。
「強い香りで具合が悪くなる」ではなく、「具合が悪くなるとき、この香りものの香りがしている(よってその製品に含まれる何らかの物質が原因である可能性が高い。そして、それで具合が悪くて私が生活に支障をきたしていることは事実)」というのが、厳密だと思う。
 

昔、イルカのメスの体内に蓄積した重金属の濃度が、妊娠期間に少しずつ下がっていき、出産のタイミングで激減するというグラフを何かで見た。
素人考えだが、胎児は母胎にとって生物学的には『異物』だからかなと、それを見て私は思った。
例えば、血液型が違う胎児と母体がへその緒でつながっていても血液が凝固しないのは、二者を互いに異物として隔てる機構があるからだ。


だから、大量の化学物質に曝露した私たちの子どもの世代に何か重大な影響が出てもまったく不思議ではないと、私は思う。
言葉が微妙だが、結果として妊娠・出産は、母体側から見るとデトックス、排泄の役割も果たしてしまっているということではないか。


アトピー性皮膚炎のようなかつて『現代病』と言われた病気も、ある世代の子どもたちから顕著になった。
例えば、発がん性等の観点もありながらやがて禁止されていった、安くて美味しく、工業的にも扱いが便利だった化学調味料も原因のひとつではないかと言われているが、この問題にしたって、間違いなくこれが原因だと証明することなんかできない。

「その洗剤も匂いがするのに、なぜそれは使えて、これはダメなの」
「アトピーなら、なぜそれは食べるの」
人体はそもそも複雑系だし、人生は80年だとすれば、80年持たせればこと足りる身体ではないか。
他人の、まして素人の納得を得るために、個人レベルでは経験則で済むことを、やはり素人である患者個々が完璧にこなすのか。
相手にしなければよいとか、そんなに単純に済む話ではないことは、分かる方には分かると思う。

生活圏内に居る人々の総意がこれになると、ハードモードになる。でも、生活圏内に居るからこそ、理解のために相手に合わせたり我慢したりしたところで、後々結局詰む。感情とか心象で人間は行動するのだと、体調をくずして人に頼らざるを得なくなって、初めて知った。

 
おそらく、私も化学物質過敏症の当事者だ。
外出に困難があるし、外に勤めることもリスクが高い。
職場を下見してその時に大丈夫でも、後から誰かが洗剤を変えたり、職場のリネンに使う柔軟剤が変わると、具合が悪くなるのだ。
在宅仕事がはけたタイミングで単発バイトをしようとしたこともあるが、現場に行ってから体調を崩し、迷惑をかけてしまったことがある。
外で働くことをあきらめたが、体調を崩して自宅でさえ仕事を休んでいるとき、落ち込む。
身近な人に理解されなかったり何か言われたりしても、甘えではなく一番建設的だ、これで良いと自分に言い聞かせている。

家庭内でもそういうことが起きる。
私が体調を崩したのは10年以上前、家族が過剰に使う『ダウニー』に曝露していた時期だ。
最初は香り酔いのレベルだったと思うが、だんだん脂汗が出てきた。
吐き気、腹痛、めまいも起こすようになり、家族に使わないでと訴えたが、神経質、ワガママと一蹴された。
当時は調べても、柔軟剤の『香り』で体調が悪くなるという声はなかった。

 
『真正の』化学物質過敏症以外に、神経症、単なる嗅覚過敏など亜種のようなものがあり、それが理解を妨げるという議論もあり、実際に言われたこともある。
でも、一般の患者同士のレベルでは、実用的な意義があまりない議論ではないか。
例えば、アレルギーだって症候群的なものだろう。
ある物をトリガーに発症するアナフィラキシー患者が、同じ原因物質でかぶれやすい人をあれこれ言わないようなもので、それぞれが自分でできる範囲の対策をしながら折り合いをつけているだけだ。

今では13人に1人が、重症度の差はあれ「柔軟剤の『香りがすると』体調が悪くなる」ことで、生活上なんらかの制限を被っているという。
『香りものを使う権利』を侵害されているといった言い分も、健康被害を及ぼすものを自分が所有する場所の外に漏らし、ときに他者の所有する場所にまでそれが達しているならば通らないのではないかと思うし、安全な空気は公共財でもある。
法律は詳しくないが、自分の所有するスペースを越えて他者の健康をそこなう原因物質を、それと知りながら(理解はできていないかもしれないが、物理的距離を取ることが難しい相手から相応な理由で使用をやめてほしいと頼まれた後でも使い続ける選択をするならば、それは故意であるという意味で)放出し続けた時点で、考えようによっては傷害罪じゃないのかとさえ思っていた。

そして、実際に最近、賃貸物件において個人が使う洗濯洗剤の問題をめぐり、救急車で搬送されるレベルの化学物質過敏症患者で民事裁判で勝った方がいる。
事情を話して頼んでも隣人は使用をやめず、人格否定や嫌がらせまでされるようになったというトラブルだ。
13人に1人が化学物質過敏症に苦しんでいるというならば、こういう話ももはやレアケースではないだろう。

研究が進むことも期待したい。
定量的・定性的に原因物質の挙動を見える化したり、環境への影響という切り口でも、思いつく切り口すべてから、規制すべき理由を言語化してほしい。
ケーススタディもアカデミックを通せば有用だと思う。

『好み』や『権利』にアカデミックの聞きかじりを引っ張り出して、私のような素人も、ああ言えばこう言うで『ケチ』をつける。
「具合が悪くなるからやめて」で済むはずのことに、理由をあれこれくっつける。
売っているものを使っているだけの、本来罪はない身近な個人に対し、ピンポイントのお願いをしながら配慮を求め、生活のための人間関係をきずくことに疲れたので、ネットに書く。
 
それでも一番問題なのは、そんなものが規制されずに売られていることだ。
そりゃ、使う権利の話にもなる。
売っているものを使っているだけ、お気に入りのものを使っているだけだったはずが、偶然身近に存在した一部の神経質な人間のせいで、理不尽で不愉快な状況に一転する。
そのように見える関係性において、私が加害側になるパターンは、柔軟剤以外のところで、気づいていないだけで多分あるに決まっている。

他人のことは分かるわけがないから、何か私が日常的に使うものについて身近な他者から困ると打ち明けられたら、それが個人的な理由であったとしても、自身の生活に対する重要度を振り返って一度は検討したい。
その結果としてそれを省くことをしない・できないのであれば、対策を講ずるなり、その相手と距離を置く選択をするなりしたい。

ただ、今ここで話題にしている香害については、その被害が日常生活、ときに命にかかわるレベルのものであり、かつ、必需品というよりほぼ嗜好品に近い製品が原因となっている。
幸い過敏ではない人にとっても、なければないで致命的に困るものでもないし、いざなくなればおそらく代替品も見つけられる。
そういった性質の製品が、一部の人に対してであっても深刻な健康被害を及ぼしており、どう見ても人体に良いものとは言えそうにないこともすでに分かっているのに、売られている。
そもそも売られてさえいなければ、今使っている人も含めて誰も困らないで済むし、嫌な思いもしなくて済むのだから、意味が分からない。

すぐできることは冒頭の、影響力がある立場の発信者の言葉使いだと思っている。
一方で、現実的には、規制すべき理由が増えることでしか、また、判例が増えることでしか、製造元にも生産・販売をやめてもらうことができないものだとも思う。
 
結局、自分の苦しみでしか全体のことを考えられない私が、思うことを書いてみた。
話が散らかっているので、あとで多分推敲する。

面白いと感じてくださいましたら、サポート嬉しいです。 ランチ・喫茶店・おやつ代に充て、noteに写真でアップします。 友人との時間や、仕事の合間の息抜きに使わせていただきます。