「プロ」に関する見解
しばしば、○○の「プロ」とか、そういう話を聴く。ただ、たまに、「プロ」とはなんぞや?と思う時がある。
以下の例によると、しばしば、このように言われることがある。
(1)「職業的な人にふさわしい」という意味で、能力が高く、技に優れ、(その仕事に)確かさがある、ということ。
(2)(アマチュアとは異なって)「主たる収入を得るために特定の分野に従事している(人)
いくつかの例を見た限り・・・(1)の意味で使われている場合が多い。ただ、私は、(2)の方がそれは基盤にあり、それが保証されなければ、(1)は達成できないだろうし、むしろ、(1)だけでは「プロ」とみなしては"いけない"のだろうと、強く考える。
以前、私の知人で、東京都の某所の教育支援の時間講師をやっていた人がいたが、その相手の学校の児童から、
「働いているのは、働きたいから?それともお金のため?」
と聴かれたらしい。
私の知人は、「その両方」といったらしい。
私なら、そこに続けて、
「プロであり、職場で働いている以上、賃金をもらわなければ、プロとは言えない。」
と、ストレートに言うかもしれない。
実は、昔、音楽家の知人から聴いた話だが、
「プロ」よりも演奏がうまい「アマチュア」は実はごまんというらしい。
そういう中で、「プロ」としてやっていくには、単に演奏がうまいだけではだめで、いかに、お客さんの需要を掴むかが重要だと、そのために、演奏だけではなく、いろいろな知識を集めて、それを元に、うまくお客さんを楽しませると、こういうことができないと賃金をもらう「プロ」としてやっていくのは難しいと。
そして、意外と、そういう「プロ意識」が足りない人が多く、「プロ」と長く続けることができない人もいると。
音楽家や芸術家など、「感性の世界」で「プロ」という意識が欠如しやすい分野で、私の知人は周りを見ていて、そう考えたらしい。
これは、私も考えさせられるエピソードだった。
最近は、賃金を抑えたいために、やりがいを強調し、賃金に見合わないことをさせるようなところもあると聴く。でも、それは、本当に「プロ」と言えるのだろうか?
賃金を得るという意識は、子供のうちからキチンと教えるべきだと少なくとも私は思っている。やりがい搾取というものに、騙されるなと。
もっとも、これは、「仕事」であり、「自分の趣味まで金にしろ」とは毛頭いう気はないが。
実際、ネット上を見ていると、単に自分の趣味だったことで「収入」を得るというチャンスがあるように思える。
例えば、動画投稿がその例。
問題は収入を得、始めると、今度はどうやって、収入を得続けるか?ということを考えたり、動画投稿のモチベーションを保つために収入が必要だと言いだしたりする。
それだけではなく、ゆっくり系の動画の中には、しばしば、自分の信者を利用して、新参者を「パクリ」だとかいって、攻撃させているような投稿者までいる。
正直、そういったことで、潰しあいになったりするので、動画投稿あたりは、趣味(というよりも副業だと思っているが)にし続けるのは難しいと思う。収入を考えている者がいる以上。
そもそも、つらかったり、やるのが難しい時には、やらないというのが、趣味の最大の利点であり、それが難しいのが仕事。
仕事では賃金をもらう以上、出来栄えは、熟練と新参で違ったりするだろうけど、完遂する必要がある。
それにしても、趣味でボランティアをやっているというのなら、まだ、ええが、本来、賃金を払うべきことまで、ボランティアでやらせようというのはまずいだろう。
それに、趣味かどうかは、しばしば、主業との負担と天秤にかけて、決めるべきだし、そもそも、主業に比べて、労働とは思えないような些細なレベルのことであれば、それは趣味やボランティアでもいいだろう。
例えば、しばしば、ベルマークや切手を集めて、ボランティアの団体に送ったりしているが、ハサミで切り取って、番号を分けてというのは、主業に比べたら、かなり「些細な」時間でできるので、賃金の必要性は感じたことがない。
こういった感じで、賃金をもらう仕事と趣味は区別をつけるべきだとも考える。
まあ、趣味はあくまで、自分の心の平静を保つため。稀に、仕事をやるうえで役立つ知識が手に入ったり、収入のきっかけになったりするかもしれんが、それは、あくまで「仕事外」だという意識が重要だと思う。いつ辞めてもいいと、そういう意識で。
まあ、私は仕事では手を抜かないし、しかるべき賃金をもらえるようにやっているつもり。それが「プロ」だと思っているから。
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