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自分の “感覚” を優先してあげる

わたしの1日のタイムスケジュールは、一般的に見ると余裕があるほうだと思う。

だから、

「わたしは、元気(なはず)」
「今の状態がわたしのベスト(なはず)」
「もうこれ以上ないくらい恵まれてる(はず)」

だと、自分でも思っていました。


けれどなんかね、体感覚としては、もやもやしていることに気がついたんですよねぇ。


つまり、“こんな恵まれた環境なのに、これ以上を求めるなんてありえない!” “甘えすぎ!”と自分に鞭を打って、本音に蓋をしてしまっていたのです。

これ、自分でも気づかず、無意識にやってしまっているからコワイ。

長年そうやって生きてきたから、もうクセみたいな感じで染み付いているのですよね。

もやもやを感じたら、しっかりその都度深掘りするのが大事だなあ〜と改めて思います。


そんな自分の本音に気づくことができたなら、やるべきことは一つ。


その声をしっかり聞いて、受け入れて、肯定してあげること。

気づいているのに“見ないふり”をし続けるのは、自分を蔑ろにすることに他ならないから。

「 “自分以外の何かと比べて” こんなに恵まれているのだから 」というのは、自分の体や心の声を無視する理由にはならないし、してはいけないのですよね。

だって、この世界を生きていくのは誰でもない“自分”なのだから。

これっていわゆる、多数派/一般的と言われることに自分を当てはめて、そこから外れた自分を否定するのと同じことなのよね。

過去わたしはそうやって、基準を自分の外側に設けて、自分の感覚や声を無視して生きてきました。

その結果、生きづらさに苦しんで、心身共に健康を損なってしまった。

そういう生き方から脱するためには、どうやったって「自分の感覚」を大切に生きる必要があるんだ。


この世界の 一般的/多数派 の中に難なく馴染めて、楽しんで生きられる人はもちろんそれで良い。

けれど、そうではないたくさんの人たちもきっと、“みんなそうしているから” “みんなはできているから” と自分に言い聞かせて、本音に蓋をして生きているんじゃないかなと思うのです。

だからこそ、そこから外れた人に対して、やさしくなれない。

「本当はもっと休みたい」「もっと遊びたい」「あれがしたい」「これは嫌だ」というような自分の声を無視して、無理を強いているから、そのレールから降りた人に対して否定的になってしまう。(過去のわたしもそうでした)


もし自分が本音に忠実に、自由に生きていたとしたら、他人がレールから外れたところで気にならないはずだから。


他人に対して、世界に対して、やさしくいるためにも、自分自身の本音をしっかり聞いてあげる必要があります。

そして、外側の声や一般論ではなくて、自分の感覚を優先してあげること。

もちろん、自分の本音を全て叶えてあげることはできないのだけど、寄り添って、どうやったらその本音を叶える方向に近づけられるかな?と考えて行動することはできる。

みんながそうやって生きるようになったら、この世界はもっとやさしいものになっていくんじゃないかなと、そんなことを思いました。


今のわたしは、心身ともにちょっと疲れてしまっているのだよね。

今以上に自分がゆっくり休んで回復できるような時間配分や環境を考えていこうと思います^^

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